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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(二一六)栗山滿光
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【堺の歌人】
栗山滿光
通稱
新七
、
春秋菴
と號した。元祿十五年六月堺に生れた。【春山に學ぶ】人と爲り、篤實瀟洒、少壯より和歌を好み、
大安寺
の
春山士蘭
に學び、(
春秋菴
栗山處士墓誌)兼ねて參禪し門下の逸材を以て知られた。(春山禪師墓碣銘)春山歿後就學のもの頗る多かつた。明和八年の冬疾に罹り、辭世一首を書し、越えて安永元年十二月二十一日享年七十一歳を以て歿した。【墓所】遺骨を
布金山
大安寺
の後岡に葬つた。法號を良靜處士といふ。嗣子昌治及び門人等相胥つて江西士蜀に撰文を乞ひ、建碑した。(
春秋菴
栗山處士墓誌)