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(二三〇)舟木探泉齋

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 【河内瓜割の人】【吉村周山の門弟】舟木探泉齋諱は忠恕、字は周意、河内瓜割の人、幼にして丹青を好み、吉村周山に師事したが、後探幽の粉本を獲て之を學び、頗る妙境に達した。釣魚の癖あり、畫を需むるものあるも意に愜はざるものあれば之を顧みず、而も興到るに及んでは、夜を晷に繼ぎ、一揮にして畫債を盡くした。南紀の人某其畫を藩侯に侑め、嘉納するところとなり、祿仕せしめんとしたが、辭して受けなかつた。大阪に居住したが、常に諸國を周遊し、文化六年五月二十七日享年七十三歳を以て歿した。【屢々堺に遊ぶ】其生地堺は釣魚の便地として之を愛し、屢々來遊し、爲めに親族故舊も多く其畫を所藏するものがあつた。【墓表】物故するに及び、是等の人々相議り、碑を南宗寺塔頭永源院の兆域に建てゝ記念とした。(碑誌)