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目次
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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(二四一)一林舍李窓
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【堺の俳人】
一林舍李窓
は堺の俳人である。【點者とし名あり】名聲四方に聞こえ、批點を乞ふ者、旦暮絶ゆるなく、然も更に倦怠せず、老來益々盛であつた。當時諸國神社佛閣に奉納せる俳諧の扁額は、李窓の評に上らざるもの殆どなかつた。文化六年十一月二十八日行年七十八歳病歿、法號を釋理宗居士といふ。【辭世】辭世に「白雪に清めて戾す命かな」の一句を殘した。(
一林舍李窓
畫像贊)【墓所】
宿院
町西二丁
東光寺
に墓碑がある。