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(二八八)成田三左衞門

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 【堺の漆工】成田三左衞門は堺の人。(或は飛驒の人なりともいふ)寬永中飛驒國主金森宗和(重近)茶湯を嗜み、【飛驒に抵り技を振ふ】諸國の名工を高山に招いて、茶器を造らしめた事があつた。三左衞門召に應じ鳥籠を作り、黃漆を塗り、宗和の父出雲守可重(一に長重に作る)に上り、大に其技を賞讚せられた。又高橋某作守屋が洞の椹樹の盆に、赤黃の間色に褐色を帶びた髹技を施し、之を重近に上つた。(塗師傳)【製作の方法】製法材を批いて片として之を底板とし、曲げて周緣を造り、櫻の皮を以て綴つた、一種の折敷盆で、木質透明極めて雅致あるもので、世人之を飛驒春慶又は批目細工と稱した。是より工人之に倣ふもの多く、今日の盛況を見るに至つた。(工藝志料卷七)【子孫】三左衞門五世の孫に、正武あり、又髹漆の技を以て元文年間其名聲を知られた。(塗師傳)