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(二九四)八角楯右衞門

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 【堺の人】【紀州侯抱相撲】八角楯右衞門は堺に生れ紀州侯の抱相撲となり、同じく、堺の力士玉之井七之助の弟子となつた。【體格】享保中身長五七寸、橫六三寸、體重三十四貫五百目あつたと云はれてゐる。氣性尖く負る事を嫌ひ、色淺黑く肥肉大顏、且猪首で、肩前大きく、【八角の稱呼】身長よりも橫へ平たき故に八角と稱した。資性方正で常に稽古に勵み、享保二十年四月の勸進相撲に南部侯の抱へ土蜘塚右衞門は關脇で、楯右衞門は小結であつたが、相角するや土蜘に踏切があつて、八角の勝に歸した。【名力士との角技】又當時鬼との評判があつた白山にも一度の勝を得た。更に英雄との稱があつた讚岐の谷風梶之助には、江戸では負けたが、京都及び大阪では兩度共勝を占めた。又名高い讚岐の相川には度々勝を占めた。歿年及び世壽は詳かでない。(相撲今昔物語卷二)