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目次
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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(三一八)休翁
434 ~ 434 / 897ページ
【堺の人】【柳澤淇園に交る】
休翁
は堺の富商の出で柳澤淇園と交はり、
茶湯
に達し、殊に料理を好み、自ら調理し、使用人を客として勞苦を慰めた。然も、家法嚴格、人を取立て、分家せしめた數は、頗る多かつたが、各々其分を守つて怠らなかつた。(雲萍雜志四)曾て上京某公卿に拜謁の際、風雅の途の大切なることを聽き、【和歌を學ぶ】就いて和歌を學び、頗る上達した。翁謹嚴己を持し、躬を以て範を示し、篤實溫厚頗る稱すべきものがあつたが、家系、姓氏等總て傳はるところがない。(雲萍雜志四、畸人百人一首)