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(九)北村左吉

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 北村左吉は安政元年十月十三日、金澤藩士の家に生れた。明治十年の交、堺吾妻橋畔に來り寓し、十一年代言人の免許を受け、【堺代言人組合長】十四年堺代言人組合長に推され、翌十五年大阪代言人組合の副會長となり、二十三年大阪辯護士會の組織に際し副會長に擧げられた。是より先、二十年堺區より推されて大阪府會議員となり、三十四年堺市會議員及び市參事會員に當選した。三十五年總選擧に方り、【衆議院議員】衆議院議員に當選し、爾來再選の榮を負ふこと三囘に及んだ。三十九年四月日露戰役の功により、勳四等旭日小綬章を授けられた。其他、堺市常設教育委員長、第五囘内國勸業博覽會評議員、堺市教育會會長、同水道事業調査委員等の要職に就き、大正六年三月堺市實業學校調査委員に擧げられ、專ら市立商業學校の創設に努め、晚年更に推されて堺市教育會長となり、初等教育振興の爲めに挺身努力した。同十年五月二十五日享年六十八歳、材木町東三丁の自邸に歿した。法號を釋齋證といひ、墓碑を妙國寺の塋域に建てた。(北村五良氏報告書)