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(三〇)村田捨吉

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 【舳松村の人】捨吉は舳松村の人、嘉永四年十一月出生した。人と爲り、沈毅膽略あり、十六歳阿波藩の老臣稻田氏の臣、【武技を三宅高義に學ぶ】三宅高義に就き、戸田心流の柔術及び棒術を修めた。刻苦淬勵凡十三年、遂に奧義を究め、明治十年十二月允可を得、受業の徒門に充ちた。【道場弘武館】玆に於て道場を建設して弘武館と稱し、後進を導き、技を授くるに方あり、各長ずるところに隨ふて名を成さしめた。捨吉每に心を王事に殲し、專ら力を家國に致し、齡既に六十有一に達し、心身益々強健、大に斯道を闡明し、體育の效果を擧げんとした。有志の士其德を頌し、故舊及び門人等と相謀り、【壽碑】四十四年十月壽像碑を、堺調御寺の境内に建設した。(頌德碑誌)大正二年十一月六日享年六十三歳を以て歿した。