【位置】船待神社は西湊町に鎭座し、祭神は天穗日命、菅原道眞である。もと鹽穴天神と稱した。(社寺明細帳、泉州志卷之一)道眞筑紫下向の途次、船を當港に艤し、祖神天穗日命の神祠に賽し、天神地祇及び祖先の靈を奉祀し松、榎數株を植ゑて紀念とした。長保三年正月後裔菅原朝臣爲紀來つて祖先の遺縱を視、【神祠造營】官に請ふて一祠を造立し、船待神社と號したといふ。寬治年間村民社殿を再建して、邑の産土神とした。(安樂院緣起)【別當安樂院】もと別當安樂院奉祀したが、明治以後同院を廢した。【社格】六年三月村社に列し、四十年一月神饌帛料供進社に指定せられ、【合社】同年十一月五日湊村字中筋鎭座の村社瘡神社を合祀した。【社殿】境内百八十五坪、本殿、幣殿、拜殿、拜所、神輿庫等があり、末社に琴平、春日、稻荷の三社がある。(社寺明細帳)氏地は湊一圓で、【例祭】例祭は九月十五日である。
【瘡神社】村社瘡神社は湊村字中筋に鎭座し、少彦名命を祀る。社殿、拜殿、石鳥居等を具へてゐたが、明治四十年十一月五日船待神社に合祀せられた。(神社明細帳)