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(四九)福寺

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 福成寺正覺山と號し、一に菩提樹院又は釋迦堂と云ふ。【位置】錦之町東二丁字寺町にあり、淨土宗京都知恩寺末、寺格能分四等。藥師寺三郞左衞門曾て其子を細川晴元に質としたが、【高國軍記に見ゆる釋迦堂】享祿四年三月堺北の釋迦堂に殺害せられたと高國軍記に見えて居るのは卽ち當寺のことであらう。又寺傳に、天文七年洛西嵯峨清涼寺の化主堯淳、慈覺大師將來赤栴檀木の釋迦牟尼佛を、【本尊】同寺より移して本尊としたと見えてゐる。【身拭會式】例年三月十九日本尊の身拭會式を修し、今に連續して居る。(福成寺本尊緣起)【舊僧房】寶永の頃には塔頭に養龍菴の名目があつた。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【堂宇】本堂、庫裏、玄關、土藏、浴室、納家を有し、【什寶】境内二百五十九坪(社寺明細帳)什寶に開山堯淳上人木像一軀、涅槃並に八相圖繪一幅等がある。【墓碑】墓地には芝辻理右衞門入道道逸の墓碑がある。