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(九)庸行舍址

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 【所在】德川時代の心學道場であつた庸行舍址は材木町二十六番地の二扇屋旅館西方の一棟に當る。(芳井德松氏談)【舊址】建物は一部改築の外舊形を傳へ、玄關の一室は除かれて同旅館東西兩館の間に介在した坪内となつてゐる。坪内の西に六疊、南に八疊、八疊を挾んで東に三疊、西に五疊半の各室がある。各室中三疊を除く外は悉く庸行舍時代の室を利用したもので、五疊半は神棚のあつた所といふ。(吉井德松氏談)【講義所址】八疊以下東西へ並んだ三室の南に講義所に充てた二十四疊敷の大廣間がある。右は西方を正面とし、正面の中央に違棚、南に床、北に押入があるが、庸行舍時代は中央に床、南に違棚があつたといつてゐる。(芳井德松氏談)又大廣間の南は庭園で、明治年間銀杏の木を菅原神社境内へ移植した外は變つてゐない。
 【創設地】右庸行舍は始め神明町大道に建てられたのであるが、舊址は明かでない。