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(一六)木屋屋敷址

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 【所在】堺全盛期の名家として知られた木屋一族の本居は確實には知られないが材木町濱と思はれる。【元祿二年改堺大繪圖に見えた木屋】元祿二年の堺大繪圖には櫛屋、市、中三町を除く櫻之町より寺地町に至る濱側に木屋を稱する者が二十餘軒あつて、比較的多數住居したのは錦之町より戎之町迄であつた。同族中最大屋敷を有したのは車之町の北側(材木町に接した所)にある九兵衞屋敷で、表口二十六間(新間二十八間一)裏入二十四間(新間二十六間)を有してゐた。是等元祿の諸屋敷と木屋との關係は不明であるが、文獻上最古の木屋たる義繼隱惹の木屋が材木町に住んだ點から考へると、其本居は材木町で、町名の如きも木屋が多かつた爲めに生じたのであらう。故に木屋の本居も材木町に推定すべきものであらう。