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(六)玉橫野址

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 【所在】歌枕として知られたる玉橫野南宗寺東南の一帶を指稱し、「よもすから露のひかりをみかくなり玉の橫野のあきの月かけ」(新拾遺集、讀人不知)「雲さそふみねのこからし吹なひき玉の橫野にあられふるなり」(藻鹽草、讀人不知)など見えて居り、其他郡家より一里十步の西にあつて良材を出し、修竹葭萱は民間に供し、土地豐饒、萩荻萱菅ありとも見えてゐる。(日本惣國風土紀和泉國部)從つて單なる一小區域ではなく、比較的廣汎な區域を指してゐたやうである。一説に舳松から豆塚に至る區域であつたといふ。(文化十二年改手鑑)【異説】又一説には南宗寺附近説を疑ひ、所在未詳と記してゐるものもある。(全堺詳誌)田能村直入筆茅海八勝の一、玉橫野南宗寺東南郊としての心持で描かれてゐる。