解題・説明
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当社があるこの地は、往古、神々がこの谷に集い遊んだ所から「神谷」と呼ばれると言う伝承地である。神谷神社は平安時代初期に編纂された延喜式神名帳に記載のある讃岐24社の内の1社である。祭神は火結命・奥津彦命・奥津姫命・春日4神が合祀されている。三代実録に、貞観7年(865)10月従5位下、同17年正5位下の神階が記載されている。 本殿は高さ1.5メートル程の乱石積基壇の上に礎石を置き、桁行三間、梁間二間の切妻平入りの母屋の前面に庇を付けて向拝とし、檜皮葺の屋根が棟から向拝にかけて美しい曲線で流れ下る、三間社流造りの建物である。棟は箱棟で、両端に千木と両端近くと中央に鰹木を載せている。 母屋軸部はヤリガンナで仕上げ、丸柱をクサビで割り、ヤリガンナ仕上げの頭長押・腰長押でつなぎ、柱上に舟肘木を載せて桁で受け、妻はイノコザスで棟木を受け、妻飾りは猪目懸魚である。正面中央に板扉、右側面一間に板扉がある以外は横板壁である。浜床はなく、正面に角材を積んだ階段があり、正面と側面に跳勾欄のついた縁がある。 向拝部は大きく面を取った角柱を頭貫きでつなぎ、柱上に和様三ツ斗で桁を受け、両端で真っ直ぐなつなぎ虹梁で母屋の柱につなぐ。垂木は二重繁垂木で母屋の地垂木、その上から長く流出した面取りの飛檐垂木からなる。 本殿棟木に建保七年歳次卯二月十日・・とあり、1219年鎌倉時代初期の墨書銘で、建築年代のわかる三間社流造りの神社建築では、わが国最古の社殿である。
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