解題・説明
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綾松山千手院(洞林院)白峯寺は、四国八十八カ所霊場81番札所、真言宗御室派の寺院。白峯寺縁起に「弘法・智証両大師の建立」とある古刹で、平安時代末に崇徳上皇の菩提を弔う「頓證寺」が建てられた。 白峯寺古図には多くの伽藍が描かれているが、兵火などにより焼失し、近世になって高松藩の庇護を受け伽藍が整備される。江戸時代前期に阿弥陀堂が建ち、山岳寺院の利点を生かしながら、順次本堂や大師堂など札所の中核部が整う。役行者を祀り、護摩焚き行事を継承し、深山が修験道の道場として働き、遍路にとって四国霊場としての信仰の場であり、崇徳上皇への崇敬を集める頓證寺と一体となった、特色のある伽藍配置が見られる。 伽藍の中で次の9棟が指定対象である。 本堂附厨子一基、大師堂附棟札一枚、阿弥陀堂、行者堂附厨子一基棟札一枚、薬師堂、頓證寺殿附棟札七枚、勅額門、客殿附棟札一枚、御成門附棟札三枚 1:本堂(17世紀後期)桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 81番札所の中心で参拝者が多い。本尊は秘仏千手観世音菩薩で、両脇に愛染明王と馬頭観音が祀られている。 2:大師堂(文化8年[1811]建立)正面三間、側面三間、宝形造、向拝一間、本瓦葺 四国遍路は弘法大師との同行二人の修行で、八十八カ所の札所にはどこにも弘法大師を祀る大師堂がある。ここの堂内には弘法大師の画像が祀られ、ほかに大威徳明王・軍荼利明王・青面金剛が祀られている。本堂と建物を比較すると江戸時代初期と江戸時代末との建築様式の差が如実にわかる。 3:阿弥陀堂(万治4年[1661]建立)正面三間、側面二間、宝形造、本瓦葺 この堂に、高松藩主松平頼重は、万治4年に10石を寄進し参拝している。建物の様式から見ても、境内の建物の中で一番古い。堂内の中央前面に阿弥陀三尊立像が祀られ、後方に阿弥陀仏の小立像が五段にわたって並ぶ。全部で千体あることから、千体阿弥陀堂とも呼ばれている。 4:行者堂(安永8年[1779]建立)桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 中央に黒く塗られた木造の役行者が座し、前側両脇には前鬼と後鬼が守る。峻険な所もある山岳寺院に、修験者の参拝もあり、護摩焚きには近在から山伏姿の修験者が集う。 5:薬師堂(19世紀前期)正面一間、側面一間、一重裳階付、宝形造、本瓦葺 金堂と呼ばれていたが、内陣中央に薬師如来が祀られ、近くに日光・月光菩薩が並ぶので、薬師堂という。さらに、その前に薬師如来の眷属(従者)である十二神将の像が三列に並んでいる。 6:頓證寺殿(延宝8年[1680]) ・崇德上皇殿、拝殿の中央後方にたち、崇徳上皇の御影を祀る。一間社、正面入母屋造、向拝一間、背面切妻造、銅板葺、渡廊下付。 ・本地堂、崇德上皇殿東に建つ。崇德上皇の本地仏、十一面観音を祀り、十一面観音堂とも呼ばれる。正面三間、側面及び背面二間、宝形造、向拝一間、銅板葺、渡廊下付。 ・白峯権現堂、崇德上皇殿の西に建ち、相模坊白峯大権現を祀り、鎮守堂とも呼ばれる。一間社流造、銅板葺、渡廊下付。 ・拝殿、内部中央の間を崇德上皇の拝所とし、東の柱間を白峯大権現の拝所とする。桁行七間、梁間三間、入母屋造、正面及び背面に向拝三間、軒唐破風付、銅板葺。頓證寺は、建久2年(1191)、上皇の菩提を弔うため、近侍の僧章実阿舎梨が府中にあった木丸殿を移して、頓證菩提のため仏殿としたものである。 寺院の場合は本堂内の内陣に本尊を安置する。神社の場合は拝殿の奥に本殿を建て、渡廊下でつなぐ。現在の頓證寺は延宝年間に高松藩主により再建されたもので、寺ではあるが、上皇を祀る、神社の本殿が奥にあり、西には白峯大権現、東には十一面観音菩薩を祀る、三殿がある。同一場所に神と仏が祀られているのは、江戸時代までの神仏混淆の歴史を物語る。なお、崇德上皇殿に祀られていた上皇の御影は、明治2年(1869)勅命により京都へ遷還されてからは、上皇の御宸筆「南無阿弥陀仏」六字の名号を御霊代として祀っている。 7:勅額門(延宝8年[1680]頃)八脚門、切妻造、本瓦葺 寺院には金剛力士像の占拠する仁王門があるが、頓證寺は武者が護る随身門と言い、源為義・為朝像が厨子に納まっている。応永21年(1414)後小松天皇の奉納による「頓證寺」扁額を掲げたため、「勅額門」と言う。 8:客殿(延宝年間[1673~1681])桁行18.0m、梁間11.0m、入母屋造、本瓦葺、西南玄関附属、入母屋造、妻入、軒唐破風付、銅板葺 内部は桁行の方向に、左右三間続きに、六部屋に区分した典型的な客殿型式である。上段の間は左方奥には正面に床と違棚、左に付書院がある六畳で、一段高い上段の間があり、その前に十畳の二ノ間、折れ曲がって床付の十五畳の三ノ間、続いて十畳の表の間がある。上段ノ間、二ノ間、三ノ間は竿縁天井・荿欄間で各室は襖で仕切られているなど、江戸初期の特徴を鮮明に表している。 9:御成門(享保9年[1724])四脚門、切妻造、正背面軒唐破風付、左右袖塀付、銅板葺 七棟門を入ってすぐ右にある門で、往時は勅使門と共に、高貴・権門のお成りに用いられた。現在も特別な法要以外は開けることはない。閑かな佇まいを見せている。
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