|
解題・説明
|
文政12年(1829)、久米通賢によって完成された阪出墾田は、総面積231町余(塩田及び附属地115町余、畑地116町余)に及ぶ大事業であった。高松藩主松平頼恕公はこの業績を讃え、旧地と墾田地の境で東西墾田の中央にあたる天満社の境内に石碑を建て、顕彰したのがこの「阪出墾田之碑」である。 製作は江戸で行われ、文は藩の儒学者中の名文家として知られた岡内棣に命じ、書は楷書で日本一と称された、加賀藩(石川県)の河三亥(市川米庵)に特に依頼し、彫刻は江戸の名工といわれた廣瀬群鶴・群亀親子に彫らせている。 碑石は宮城・塩竃に近い雄勝石(黒色硬質粘板岩)を手配し、表面を研磨し、ケズリ手法による薬硏彫りである。文政12年12月、江戸から海路で運ばれてきたと『民賊物語』に記されている。阪出墾田完成の記念碑として、藩主の特別な思いが感じられる。坂出発展の起点としての意義を持ち、江戸期を代表する碑石・碑文として貴重である。 碑の石は縦2.14メートル、横1.35メートル、厚さ15~20センチ、碑文は上部の題字が隷書で書かれ、縦30.5センチ、横63.5センチ、碑文は楷書で書かれていて縦1.58メートル、横1.10メートルである。 平成3年に石碑保存のため、覆い屋が建てられている。
|