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解題・説明
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木造二階建ての寄棟瓦葺きで、南北約10.9メートル、東西約23.6メートルの規模で、一階は各部屋に分かれ、二階は講堂になっていた。土台は花崗岩の全面加工仕上げで、建物中央に突出した玄関も花崗岩製である。壁は板を特殊に組み合わせたシロコ壁で、窓は格子の上下引き上げ窓とするなど、大正建築のモダンな要素を取り入れている。大工は横津町の宮大工藪下亀吉、石工はその子、藪下竹次郎の手になるもので、坂出の住人の優れた技が今に伝わる。壁材や天井部などは改修されているが、外観や部材は当初のまま保存されていて、大正初期の建築様式をよく留めており、坂出市内の学校建築として最古の建築物である。 元来、この建物は大正8年(1919)、郡立綾歌商業学校が県立に昇格した際に建設されたもので、途中に火災に遭いながらも、翌大正9年完成した建物である。 その後、戦後の学制改革等で、商業学校が移転し、東部中学校が昭和24年6月1日から27年2月末まで使用し、翌3月から現在地に新築・移転した。その後、中央中学校と西部中学校が統合し、昭和28年6月から坂出中学校の校舎となる。坂出商業高等学校は中央中学校の跡へ移転する。坂出中学校が昭和50年3月31日までで現在位置に移る。その後、この敷地は公民館、郷土資料館となる。 以上のような経緯からも、この建物は綾北地方の教育振興・発祥の地に立つ記念すべき建物である。
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