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解題・説明
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千人塚は沙弥島の南丘陵である吉野山の、なだらかな平坦地の西端に占地し、標高22メートルの頂上部に、東西約14メートル、南北約12メートル、高さ約1メートルの墳丘に列石を2段に廻らす方墳である。墳頂東寄りに、南北方向に竪穴式石室が確認されており、そこから長さ39センチの鉄剣1点が出土している。石室が東寄りのため、中心部西寄りにもう1基の石室が存在する可能性がある。この千人塚は直島・荒神島の岬先端にある方墳に墳形・施設が共通する。共に小島であり、製塩集団に関わりのあるものとみられ、鉄剣の存在と併せて考えると古墳時代中期を想定できる。 この方墳の東側から南にかけて小さな石盛りや土盛りの小墳が多数あった。調査以前は主墳と陪塚と言われていたが、築造時期が異なっていて、長期間に形成された群集墓であった。現在までに11基が確認されており、平成8年までの確認調査で、多くが7世紀初頭の須恵器・土師器を副葬する小型竪穴式石室墳が多く、遺物のない組み合わせ石棺墓や土坑墓、副葬品の多い横穴式石室墳もあった。 特に3号墳は終末期の横穴式石室墳鉄製釣針、刀子、鉄族などのほか土玉などの装飾品も副葬されており、特殊な小型長頸壺も含まれている。ここより少し離れた場所には、横穴式石室墳の沙弥古墳群、遙か離れた場所にも古墳が存在している。なお、沙弥島は今では陸続きになったが、長く孤島時代が続いていた。しかし、万葉集には柿本人麻呂が狭峯島で詠んだ長歌と反歌があり、古代には瀬戸内の重要な航路上にあったことがわかる。
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