解題・説明
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櫃石の人々にとって水は大切なものであった。室町時代頃に掘られたという大井戸は、浜近くにあるので浜井戸とも言う。島の人々がここへ水を汲みに来る共同井戸である。港の広場から寺社までを東西に走る比較的広い大道と南北に走る生活道路の交わる、集落の中央部にあたる場所に建てられたのが「札場」である。 本島を中心とした塩飽は、江戸時代幕府の直轄地で天領と言われた。船方の650人の人名の自治が認められて、本島に置かれていた塩飽勤番所の支配下にあった。櫃石も塩飽の一部であったから、勤番所からの通達や布告を掲示する札場が、人の集まる大井戸脇に立てられていた。 立て札だけの掲示もあった時代、櫃石では常時掲示が可能な、屋根のある塀状の建物が建てられていた。幕府政治は終わったが、与島村時代にも利用され、今は坂出市指定文化財として保護されている。 なお、井戸は1カ所では足りず、今井戸、北井戸も掘られたが、やはり大井戸が中心であった。今では海底の送水管によって倉敷から水道水が届いている。
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