解題・説明
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明治41年から43年にかけて、鎌田家別邸として南方飯野山(讃岐富士)、笠山、角山を借景し築庭した。 園の構成は、西部域に池泉回遊式の日本庭園、東部域は芝生広場を中心とした洋風庭園にまとめている。日本庭園は変化に富む汀線を持った池泉に豪快な中島を配し、汀の石組みは荒磯の景に見立て、中島に架かる橋は庭園のどの位置からも実に優美な姿を見せるなど、多くの大名庭園をも凌ぐものであった。築山とその外周域には見事な自然形仕立てのクロマツとウバメガシが適所、適所に植栽され、木々の間には大きな滝が落ちていた。 昭和30年2月、ここを坂出市が鎌田家より買い受け、児童公園、通称鎌田公園として、東部域に平屋の建物を建て、遊具や小動物の飼育小屋などをつくり、芝生域を広場にするなど改変して利用していた。 平成元年、鉄道高架事業の着工に伴い、公園の南側一帯が市道坂出・宇多津線の道路敷地として利用されることとなり、築庭当時と様変わりした。 坂出市は、坂出駅周辺主要プロジェクト事業の一環として、平成11年から2ヶ年をかけて、香風園を築庭当時の名園に復元するための大規模な修復工事を行った。滝組の復元をはじめ、西門や庭園・休憩所・園路の新設・東屋・水飲み場などの便宜施設を付加した。 旧来の形である和風と洋風の庭園を念頭に、可能な限り復元しており、往時の借景は見られないが、池泉を回遊しながら日本庭園の趣を感じ取り、旧来からの翠松閣、時雨亭、所々に配されている雪見灯籠、手水鉢、池に浮かぶ亀石、土橋や滝などを眺めていると、明治の庭園が甦る。
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