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新札幌市史 第1巻 通史1
(勝右衛門)
勝右衛門
大津浜グループの代表格としてイシカリに登場した
勝右衛門
は、姓を五十嵐といい、水戸藩内ではこれを,その大工町一丁目に「一 イシカリ出稼 市蔵店 水戸旅人
五十嵐勝右衛門
」の一行があり、イシカリ出稼は家業,それでは
勝右衛門
の出身地はどこか。参考までに次の記事を紹介しておきたい。,一 加茂(現山形県鶴岡市)よりの誂ひ書状、内澗町万上屋喜八、大工町
五十嵐勝右衛門
殿へ罷越相届申候。,但、
勝右衛門
殿え致面談候処、加茂村弥兵衛の勘兵衛殿也。 /
勝右衛門
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリの繁栄)
金助のプラン及び箱館奉行の政策により、イシカリに永住人も次第にふえ、イシカリが繁栄してくる様子は、『
五十嵐勝右衛門
文書,
五十嵐勝右衛門
は、阿部屋伝治郎の本陣とならび浜名主という町役をつとめており、『
五十嵐勝右衛門
文書』には
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類』、『村垣淡路守範正公務日記』(大日本古文書)、『村山家資料』(北大図、道開)、『
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(本陣)
町役的な役割は、安政五年六月二十日に
五十嵐勝右衛門
が浜名主に任じられてから、両者がうけもつようになっている,これは旅行者、出稼人等が増加してきたためであり、また「女召抱」も認められている(
五十嵐勝右衛門
文書)。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
解題 水戸大津浜(現茨城県北茨城市)の
五十嵐勝右衛門
は蝦夷地の場所請負を画策し、水戸藩を通じ幕府と交渉,この史料は
勝右衛門
の石狩における事業と役務にかかわるものである。 ,
五十嵐勝右衛門
文書と名付けたものは、半紙二つ折袋綴二十一冊(墨付全六百八丁)からなり、これを内容から二分類,すなわち、うち十冊は
勝右衛門
と水戸藩の交渉経緯を伝える往復書簡や記録で、その多くは後日筆写編綴されたもの,そのうち本巻に収載した「安政三辰年東行御用留」、「万延元申年より酉正月迄水戸行文通書」は
勝右衛門
が藩側
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の兼務)
ホリカモイ御掛として金子八十八郎・永嶋玄造、ワッカオイ御掛として中村兼太郎・天野伝左衛門が任じられている(
五十嵐勝右衛門
文書,さらにこれと関連して前記
五十嵐勝右衛門
文書中「永嶋玄造様ホリカモイ、ワツカオイ、シユツフ漁場ケ所御廻り
新札幌市史 第1巻 通史1
(大津浜グループ)
大津浜グループ 表1のうち、
勝右衛門
だけは改革前にイシカリで生産活動をしていない特例ともみられる人物,ただ、天保十四年の『松前御用留』の鈴木平七が同じ大津の人であること、同史料中に『飛脚
勝右衛門
を以て云々,』とあるのによれば、おそらく
五十嵐勝右衛門
と同一人物と見るべく、鈴木平七および水戸藩の蝦夷地場所借受一件,そこで彼は福山へ行き「実意を以、相談申入候所、一切取合不申」(
五十嵐勝右衛門
文書の内 東行御用留)ありさま,この話が安政四年十月二十日で、
勝右衛門
は水戸へ帰ることもできず、結局箱館で冬をすごした。
新札幌市史 第1巻 通史1
(人足役)
オタルナイ川迄の道普請と共に、主に出稼人・永住人二〇人に対し、総計一二七人の人足供与を申付けている(
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
以上道文)、「御用留策」第二巻、「従西蝦夷地石狩宗谷渡海、北蝦夷地白主より同西浦迄道中日記」(以上函図)、
五十嵐勝右衛門
新札幌市史 第1巻 通史1
(新道の再整備)
千歳川より尾樽内領字セニハコ迄道普請橋拵……」と、道普請・橋拵(こしらえ)がおこなわれたようである(
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第6巻 史料編1
(編集にあたって)
であった村山家の史料のうち札幌に関連の深いもの、安政五年から石狩の鮭漁場の出稼人となり浜名主を勤めた
五十嵐勝右衛門
新札幌市史 第6巻 史料編1
(口絵)
41頁参照 安政五午年 石狩改革一件 48頁参照
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(村垣範正の廻浦)
この五日は、ワッカオイ在住の畠山万吉・天野伝左衛門の畑地・役宅、
五十嵐勝右衛門
の漁場を検分し、六日はホシオキ
新札幌市史 第1巻 通史1
(産業・農民など)
、「当御場所御改革ニ付、御田地等御開之趣承リ候ニ付……小鳥川下字シノロ川辺ニおいて」(石狩御用留七
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(共同体意識の成長)
「阿部屋伝治郎返上の引場、不残石狩永住の村網に被仰付候はゝ、御通行取扱も市中一同にて相勤可申」(
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム村の農民)
村山家資料中安政五年(一八五八)八月に「ハツシヤフ紫根掘渡世 佐渡 第次郎」(安政五年石狩改革一件)、
五十嵐勝右衛門
文書中万延元年八月
新札幌市史 第1巻 通史1
(新漁場の割渡し)
から(3年冬網) 五三郎 松前 アリホロ 浜中(16町)、ハナンクル 安政4年から 安政五年より出稼
勝右衛門
,伝吉 アサリ トヱビリ 安政5年
勝右衛門
引場 平治 イワナイ オタルナイ ヒトヱ 安政5年
勝右衛門
引場,新札幌市史第6巻所収の『村山家資料』『
五十嵐勝右衛門
文書』により作成。
新札幌市史 第1巻 通史1
(本陣経営の転変)
と述べ、「御免」期間中の入用品は、返納すると申し出ている(
五十嵐勝右衛門
函館日記留)。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(目次)
石狩御場所御引渡之節於彼地書上之扣…17 場処境小名里数〔他〕…41 安政五午年石狩改革一件…48 二
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
安政五年八月には、秋の鮭漁にそなえ表1のような場所割がなされている(
五十嵐勝右衛門
文書より作成)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼の諸相)
また、鮭漁でにぎわいはじめる安政五年八月十一日、
勝右衛門
が浜名主として市中に廻文した一節には次のように,) 炭焼 倉吉(兼漁業)(60、118) 竹松(188) 重吉(201) 倉吉は倉松か(3名)
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリほか二場所借用運動)
その後、水戸藩の蝦夷地開拓の展望は、安政五年(一八五八)のイシカリ改革にともない、水戸大津浜の
五十嵐勝右衛門
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
610頁) 写真-6 荒井金助の墓 北区篠路龍雲寺 (613頁) 表-1 役人の場所(番所)割 『
五十嵐勝右衛門
文書,村山家資料』(新札幌市史 第6巻)より (751頁) 表-2 イシカリ来往者の業種(安政5年~文久元年)
五十嵐勝右衛門
文書,石狩御場所勘定帳』より (780頁) 表-6 イシカリ改革後の網持出稼人(安政5・6年)『村山家資料』、『
五十嵐勝右衛門
文書
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
函館市中央図書館蔵) 201 安政五年石狩改革一件(『新札幌市史』第6巻史料編1所収) 202
五十嵐勝右衛門
文書
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