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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (原田市長の三選と市議選)

公明党は前回の倍の八議席となり、民社党も一議席増やして二議席、共産党は三議席で変化なしとなった。,また公明党の躍進によって市議会の多党化現象が鮮明になった。  ,同日の道議選は、全道では自民党六〇、社会党三七、公明党二、民社党一、共産党一、無所属四、札幌市では自民党八,、社会党五、公明党二、共産党一という結果であった。  ,他の会派は、社会党一六人、公明党八人、共産党三人であった。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (五十四年道知事選と道議選)

では、現職で自民・民社・新自由クラブ推薦の堂垣内尚弘と、社会・共産・社会民主連合・革新自由連合推薦、公明支持,道議選(定数一〇五)の結果は自民五八、社会二八、公明五、共産二、無所属一二で、前回に比べて自民、社会が,一増、公明が一減となった。,公明党は道知事選では革新候補を推したが、札幌市長選では保守候補を推す「クロス選挙」(道新 昭54・4・,公明党の路線転換が現われたのが、今回の統一地方選挙の特徴であった。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (五五年体制下の札幌の総選挙)

その後の北海道一区の議席は、三十五年、三十八年は自民党三、社会党二のままで、四十二年、四十四年には公明党,が割り込んで、自民党二、社会党二、公明党一であった。,四十二年以降は、公明党、共産党が伸び出し、民社党も立候補者を出すなど、多党化現象が見られ、自民党と社会党,表-2 札幌市の総選挙における政党別得票率   (単位:%) 年月 自民 民社 公明 社会 共産 諸派
新札幌市史 第5巻 通史5下 (五十八年市議選)

結果は自民が三増の二六、社会が五増の二〇、公明は同数の一〇、共産は三減の四、無所属一〇(二減)であった,これにより、自民党と新政クラブの保守二会派で三六議席と過半数を占め、市長選で板垣を推薦した公明党も加えると
新札幌市史 第5巻 通史5下 (五十年市議選)

結果は自民二六、社会一六、公明九、共産五、無所属八で、前回に比べて自民が七議席増で大勝し、他は社会、公明,社会、共産両党の合計議席数は二一で、これに公明党を合わせても三〇議席にしかならず、板垣市長の市議会運営
新札幌市史 第5巻 通史5下 (板垣市長の三選)

この選挙で板垣は自民党・民社党の推薦の他に、新自由クラブ・社会民主連合推薦と公明党の支持を取り付けた。,しかし横路は応じず、社会党道本部の公明党との市長選共闘の目論みも困難となった(道新 昭53・8・28)
新札幌市史 第5巻 通史5下 (四十六年市議選)

結果は自民一九、社会一五、公明八、共産六、民社三、無所属九で、改選前議席数と比べると自民三減、社会一増,、共産三増、民社一増、公明同数であった(表1参照)。,表-1 戦後札幌市議選政党別議席数・得票率(昭和34年以降) 自民党 民社党 公明党 社会党 民主党,公明党の昭和38年は「公明政治連盟」。,今回、社会、公明、共産の市議会野党三党の合計議席数は二九となり、自民党と保守系無所属の合計議席数二八を
新札幌市史 第5巻 通史5下 (保革相乗り市政の崩壊)

公明党は自主投票とした(道新 平15・4・8)。,六月八日に実施された再選挙は、市民ネット推薦、民主・社民支持の上田文雄、自民・保守新党推薦、公明支持の,石崎は公明党の支持を得たが、前自民党候補の道見重信が「中央主導」の候補差し替えと批判して上田支持を表明
新札幌市史 第5巻 通史5下 (桂市長三選と十一年市議選)

桂市長三選と十一年市議選 平成十一年市長選は、自民・民主・公明・社民・自由推薦の現職桂信雄、前参院議員,結果は自民二六、民主一三、公明一一、共産一一、市民ネット二、無所属五で、改選前に比べて自民三減、民主一減,共産党は公明党と並んで第三党となり、改選前一議席の社民党は議席を失った。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (保守中道連合市政)

公明党が顕著な伸びを見せ、それと共産党の一定の前進は、野党内での相対的な勢力変動を引き起こしつつあった
新札幌市史 第5巻 通史5下 (四十六年道知事選と道議選)

道知事選と同時に実施された道議選(定数一〇五)の結果は、自民五四、社会三六、共産四、公明二、民社一、無所属八,札幌市に限って見れば、自民六、社会六、公明二、共産二となり、はじめて社会党が自民党に議席数で並んだ(表,表-2 札幌市における道議選政党別議席数 自民党 民社党 公明党 社会党 民主党 共産党 新進党 無所属
新札幌市史 第5巻 通史5下 (五十八年道知事選・道議選)

に実施された道知事選では、社会党・革新自由連合推薦の前衆院議員横路孝弘(北海道一区、社会党)、自民・公明,公明党は今回、知事選でも保守系候補についた。また二〇年ぶりに知事選で社共共闘が崩れた。  ,道議選(定数一一〇)の結果は自民五二、社会二九、公明六、共産一、無所属二二で、改選前に比べて自民四減、,社会二増、公明一増、共産一減となった。,札幌市では全体で四議席の定数増で選挙が行われ、自民が三増の一三議席、社会が一増の七議席、公明も一増の三議席
新札幌市史 第5巻 通史5下 (板垣市長の再選)

公明党は今回自主投票としたが、創価学会が板垣支持を呼びかけたため市内八万の公明票が板垣に流れたとされた
新札幌市史 第5巻 通史5下 (五十五年公共料金改定問題)

昭和五十四年七月五日にも交通料金改定案が市議会に上程され、社会、共産は反対したが、十六日の本会議で自民、新政クラブ、公明,社会、共産から議案撤回、再提出を求める動議が提出されたが否決され、議案は自民、新政クラブ、公明の賛成多数,社公共あるいは社公の共同による公共料金改定案撤回動議や修正案がたびたび提出されたが、第三期以降になると公明党,は板垣支持に回り、料金改定案は自民、新政クラブ(保守系無所属中心)、公明三会派の賛成で市議会を通過している,市議会の対立構図は、自民・新政クラブ・公明対社会・共産という形になった。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (ベトナム戦争終結と長沼ナイキ訴訟判決)

全道集会は、サブスローガン「伊達火力発電所強制着工阻止」に反対する道同盟が離脱して独自集会を開催したほか、公明党,同年の一〇・二一国際反戦デーは、中央でも社・共、公明の三党や総評・中立労連等の一日共闘が成立し、東京では
新札幌市史 第5巻 通史5下 (無党派・市民派の時代)

社会党も議席比率を減らし、公明党と共産党が伸張してきた。,なし 796,416 57.32%  15. 6. 8 上田文雄(民主党・市民ネット) ①自民・公明
新札幌市史 第5巻 通史5上 (公共料金値上げ問題)

保守派議員から質疑打ち切りの動議が出され可決されたため、社会、公明、共産三党の委員はこれに抗議して全員退席,傍聴席からは「値上げ反対」のシュプレヒコールが沸き起こる騒然とした状況の中、社会、公明、共産三党の議員,社会党、共産党の議員から市議会解散の決議案が八月五日の市議会で提出され、十二月十三日の市議会では社会・公明,多くの議案をめぐって、保守派議員・市長と革新派議員(時に公明党が加わる)の対立という構図が見られるようになった
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市の国政選挙)

いわゆる一九五五年体制に入って以降五議席を自民三議席、社会二議席で分け合っていたが、昭和四十二年から公明,得票率で見ると、昭和四十年代から自民、社会両党に低下が現れ、公明、共産が伸びる多党化傾向が見られたが、,表-12 札幌市における衆院選主要政党別議席数・得票率(昭和33年以降) 選挙年月 自民党 民社党 公明党,表-13 札幌市における衆院選比例代表政党別得票率 選挙年月 自民 公明 民主 共産 社会民主 自由
新札幌市史 第5巻 通史5下 (オリンピックの再招致問題)

昭和五十二年三月三日の市議会の代表質問で鯉登義夫(公明党)は、「国際都市、北方圏の拠点都市としての地位
新札幌市史 第5巻 通史5下 (労働戦線統一問題と連合北海道及び道労連の成立)

五十五年一月、社会党、公明党間の政権構想協定調印により、社会党・総評と共産党の関係はさらに悪化し、その
新札幌市史 第5巻 通史5下 (沖縄返還と反安保体制の終焉)

メーデー全道集会は四年ぶりに全道労協・道同盟など労働六団体による統一集会が復活し、社・共・民社各党に公明党
新札幌市史 第5巻 通史5下 (原水禁、護憲・反戦平和運動)

しかし五十五年、社会党・公明党間などの連合政権構想で共産党除外の方向性が示されたことから、共産党が社会党
新札幌市史 第5巻 通史5下 (政治への新しい参画)

清田区)、南(南区)と略記、所属政党は、共(共産党)、社(社会党)、ネ(市民ネット)、自(自民党)、公(公明党
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