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新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道拓殖銀行の業務展開)
北海道拓殖銀行
の業務展開 札幌市に本店を置き、特殊銀行であった
北海道拓殖銀行
(以下
拓銀
と略)のこの時期,図-3
北海道拓殖銀行
主要勘定(
北海道拓殖銀行
『営業報告書』〔各期〕より作成) 貸金は、図3では,
北海道拓殖銀行
法は、その制定時(明32・3)には不動産銀行としての性格を明確にするために、短期貸出金総額, 旧
北海道拓殖銀行
論)。 ,図-4 債券預金短期貸出伸び率(
北海道拓殖銀行
『営業報告書』〔各期〕より作成) /
北海道拓殖銀行
の業務展開
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道拓殖銀行の普銀転換と都銀加入)
北海道拓殖銀行
の普銀転換と都銀加入
拓銀
は二十五年四月に普銀(地銀)に転換したが、その後三十年十一月,とはいえ当期純益は二十五年三月末の約九五〇〇万円から三十一年三月末には四億一三〇〇万円へと増大した(
北海道拓殖銀行
史,表-14
北海道拓殖銀行
の預貸状況 (単位:億円) 決算年月 預金 貸出金 預貸率 割引手形勘定 貸付金勘定,719 236 384 620 86.2 31.3 904 230 443 673 74.4 『
北海道拓殖銀行
史,三十年十一月、既発行債券の全額償還が終わるのを待って都市銀行に加入した(日本経済新聞 昭30・11・17、
北海道拓殖銀行
史 /
北海道拓殖銀行
の普銀転換と都銀加入
新札幌市史 第5巻 通史5下
(北海道拓殖銀行の破綻と原因)
北海道拓殖銀行
の破綻と原因 平成九年十一月十七日午前、当時の
拓銀
頭取は本店内での記者会見の最後に破綻,む中で、大手行をはじめとした銀行は「土地神話」などに支えられながら不動産融資などに傾斜していったが、
拓銀
,問題の
拓銀
経営戦略「21世紀ビジョン」は、奇しくもバブル崩壊年の平成二年に一〇カ月の期間と三億円の予算,具体的に
拓銀
の不良債権形成についてみる場合、九年十一月十三日に整理回収機構(RCC)が
拓銀
の営業終了と,
拓銀
のソフィアグループに対する融資一五三億円全額が回収不能となった。 /
北海道拓殖銀行
の破綻と原因
新札幌市史 第5巻 通史5上
(拓銀の再建整備と普通銀行転換)
終戦直後からの再建整備について、『
北海道拓殖銀行
五十年史』は、「金融機関経理応急措置法」の施行された二十一年八月十日,、市中大銀行、地方銀行の伸びを大きく上回るものであり、この時期の「道内経済の相対的な活況に恵まれ」(
北海道拓殖銀行
史,表-10
北海道拓殖銀行
等の預貸状況 預金 (百万円) 貸出金 (百万円) 預貸率 (,昭25年3月末 増加倍率 昭20年9月末 昭25年3月末 増加倍率 昭20年9月末 昭25年3月末
北海道拓殖銀行
,、
北海道拓殖銀行
史)。 /
拓銀
の再建整備と普通銀行転換
新札幌市史 第3巻 通史3
(設立の経過)
設立の経過
北海道拓殖銀行
は、明治三十二年(一八九九)三月公布の
北海道拓殖銀行
法に基づく特殊銀行として,
北海道拓殖銀行
は、府県農工銀行に対応する不動産銀行であり、北海道固有の銀行であった。,」として具体化され、内務省サイドの立案によって
北海道拓殖銀行
法が成立した。,しかし第三点は、明治三十八年
北海道拓殖銀行
法改正により修正された。,をも合わせもつことになったからだといわれている(斉藤仁 旧
北海道拓殖銀行
論)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(主要銀行の業績と銀行合同)
発行残高は停滞ないし減少の傾向にあり、十八年五月に第二七四回を発行したのを最後に発行を打ち切られた(
北海道拓殖銀行
史,表-26
北海道拓殖銀行
の主要勘定 (単位;千円,%) 年 昭和 払込済資本金(A) 拓殖債券,『
北海道拓殖銀行
史』(昭46)より作成。 ,二月二十日合併契約を締結し、五月十四日吸収合併となった(
北海道拓殖銀行
史)。,が締結され、九月一日に合併した(
北海道拓殖銀行
史)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(土木事業の資金と労働力)
期限延期 16 上水道事業費 546,443.72 4.0
北海道拓殖銀行
17 24 昭9年度日本生命,期限延期 16 上水道事業費 178,250.00 4.0
北海道拓殖銀行
19 19 昭13年度第一銀行,昭10年度日本生命より借入分を再度借替したもの 19 都市計画事業費 77,082.97 4.0
北海道拓殖銀行
,24 24 昭11年度借入分を借替したもの 19 上水道布設工事費 91,000.00 4.0
北海道拓殖銀行
,24 24 昭11年度借入分を借替したもの 19 上水道治水工事費 49,300.00 4.0
北海道拓殖銀行
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道の銀行体系構想)
北海道では、「北海道の金融界は、金融恐慌の影響を受けることも比較的に少なく、概して平穏であった」(
北海道拓殖銀行
史,これは大蔵省および日本銀行の斡旋であったようだ(
北海道拓殖銀行
史)。,しかし、銀行体系改革は「必至ノ運命」なので、
拓銀
がその衡に当たらなければならない。,第二、第三案は
拓銀
分割案である。,
北海道拓殖銀行
史)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(麗沢会結成)
「小樽啓明会」の有力会員であった出口豊泰は小樽新聞の記者であったが、九年に新聞社をやめ、
北海道拓殖銀行
,会員は銀行員、医師などの知識層一〇人で、
拓銀
本店に事務所を置き、定期的に会合した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市域の銀行)
まず、
北海道拓殖銀行
法による特殊銀行たる
拓銀
本店、貯蓄銀行条例(明23・8公布、明26・7施行)、貯蓄銀行法,現栗山町)に大正八年十二月に設立、直後に札幌に支店を置き、九年には中立銀行が小樽銀行と改称している(
北海道拓殖銀行
調査課,表-9 銀行営業状況 〔単位:千円,%〕 ○
北海道拓殖銀行
本店 ○北海道銀行支店 ○北門銀行本店 北海道殖産銀行支店,貸付金は、
拓銀
本店があるために過大な数値となっているが、
拓銀
を除けば、北門銀行(以下北門)、道銀、第一,では
拓銀
、第一、十二、同取立では
拓銀
、第一、道銀の順であった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和恐慌期の経営悪化)
昭和恐慌期の経営悪化
拓銀
は、大蔵省から厳しい監督を受けていたが、昭和九年における監理官橋本昂蔵の報告書,(監理官 橋本昂蔵
北海道拓殖銀行
ニ関スル主ナル問題ノ概要)が残されているので、それを紹介しよう。,このように、昭和恐慌期における
拓銀
の経営は、事業規模は拡大したものの、北海道・樺太経済の浮沈に規定され
新札幌市史 第5巻 通史5下
(バブル経済から平成金融恐慌へ)
のデフォルト(債務不履行)が生じ、短期資金の取り入れは極めて困難となったこともあって、ついに十七日、
北海道拓殖銀行
,は潰さない」という公約や「ツービッグ・ツーフェイル(大きすぎて潰せない)政策」にもかかわらず発生した
拓銀
新札幌市史 第5巻 通史5下
(四行の業種別貸出比率と利鞘の推移等)
例えば製造業、卸・小売業・飲食店がほぼ一貫してシェアを低下させていく中で、
拓銀
はバブル期にサービス業、,表-13 道内四行主要業種別貸出比率推移 (年度末、%)
北海道拓殖銀行
北海道銀行 昭60 平1,これによってもまた各行の違いが見えるが、
拓銀
の場合、バブル期において既に逆鞘が発生しており、平成元年度,表-14 道内四行の利鞘推移 年度
北海道拓殖銀行
北海道銀行 北洋銀行 札幌銀行 昭61 0.04
新札幌市史 第3巻 通史3
(営業状況)
営業状況 図5は
拓銀
の営業状況をまとめたものである。,図-5
拓銀
の営業 この図でもっとも注目したいことは、長期貸付金比率の推移である。,翌四十二年以降に年賦貸付は本格的に伸びていく(白木沢旭児
北海道拓殖銀行
と金融市場―日露戦後を中心に―,6.
北海道拓殖銀行
『営業報告書』(各期),『
北海道拓殖銀行
史』より作成。 ,このことから、
拓銀
は長期貸付を積極的に展開したといってよいだろう。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌金融市場の特質)
参考までに
拓銀
の預金内訳をみると、定期預金の比率が十年十二月の六四・五パーセントから十八年六月の四九・,二パーセントに低下している(
北海道拓殖銀行
史)。,
拓銀
の年賦償還、定期償還貸付を除いた場合、貸金のなかで最も大きいのは、割引手形であり、
拓銀
のそれを含めた,これは
拓銀
の年賦償還、定期償還貸付は分類上証書貸付に入っているからである。,とされたものの多くは、手形貸付であったために、図16の十八年四月以降には割引手形が手形貸付に転じているのである(
北海道拓殖銀行
史
新札幌市史 第4巻 通史4
(土功組合救済問題)
土功組合は、工事費を
拓銀
から年賦償還貸付、定期償還貸付として借入していた。,大正十五年の
拓銀
長期貸付金のうち七六・六パーセントが土功組合に貸付けられていた。,大正九~十三年においては「土功組合新規貸付の八〇パーセントは、当行固有資金によって供給された」のである(
北海道拓殖銀行
史,
拓銀
長期貸付の用途別残高を表8によりみてみよう。,30,730,367 28.3 40,160 108,550,506 100.0 2,703
北海道拓殖銀行
新札幌市史 第4巻 通史4
(低金利政策)
第一種には安田、第一、興銀、
拓銀
、第二種に道銀、北門、函館、十二など、第三種に泰北、商工、殖産が位置づけられた,十四年十一月の小樽における金融懇談会打合せの際に、郡部
拓銀
支店と道銀支店の一厘差が、預金獲得上
拓銀
の不利,になるとして、
拓銀
側は道銀を第一種に昇格するよう主張しているが、日銀支店長、道銀側は困難だと判断している,(
北海道拓殖銀行
業務課 昭和十四、十五年度預金利率等協定関係起案綴)。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(道内四行の業況)
まず
北海道拓殖銀行
について、基本的には破綻前の平成八年度までをみることにする。,経て、七年度には初のマイナス七一五億円となったが、八年度には六一億三七〇〇万円へとやや回復していた(
拓銀
,ほぼ一年後の十年十一月七日未明、本店屋上の「
北海道拓殖銀行
」の表看板(縦約三メートル、横二〇メートル、,一時は
拓銀
との合併話が出た道銀だが、
拓銀
破綻後、道銀にも変革を促す大きな波が押し寄せていた。,平成十年十一月、前年に破綻した
拓銀
の道内分の営業が譲渡された。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(その他の経済団体)
「本会の趣旨に賛同する北海道在住の進歩的な事業経営者、補助者または経済団体役職者」とされ、初代代表は
北海道拓殖銀行
頭取,本道経済と関西経済の交流をはかることを目的に、関西の経済人三〇人が
拓銀
大阪支店で第一回会合を開いている
新札幌市史 第3巻 通史3
(明治四十一年の休業)
後三十八年三月松前銀行、江差貯蓄銀行を合併して北海道貯蓄銀行と改称し、さらに三十九年江差銀行を合併した(
北海道拓殖銀行
調査部,貯銀は道内銀行のなかで支店数は最多で、資本金は
拓銀
、百十三銀行、北海道銀行、函館銀行、根室銀行に次いで,とりわけ経済的に停滞しつつあった江差地方の不良債券を受け継いだことが、休業に至る原因の一つであった(
北海道拓殖銀行
史,『
北海道拓殖銀行
史』(昭46)より作成。原資料は拓殖貯金銀行編『整理顚末』。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(リース業)
を持つリース会社は三十九年に設立した北海道リース(北海道銀行系)が最も古く、四十一年にエスコリース(
北海道拓殖銀行
系,発生したエスコリースのECC(イージーキャピタルアンドコンサルタンツ 本社・大阪)への過剰融資問題は
拓銀
新札幌市史 第4巻 通史4
(北門銀行の発展)
昭和十年十月九日に行われた北門銀行支配人会議において、松本脩
拓銀
頭取は、全国的に貸出減少傾向にある昭和八,北門銀行に対する
拓銀
の指導・監督は、資金援助にまでおよんでいた。,先に紹介した二一項目の
拓銀
頭取承認事項の通達は、資金援助の一環であったのだろう。,ただし、北門銀行の業務の拡大に伴い、昭和九年の
拓銀
監査時には、逆に北門側の貸出超過となっていた(監理官, 橋本昂蔵
北海道拓殖銀行
ニ関スル主ナル問題ノ概要)。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(第九軍団の進駐)
写真-2 北1条通りを進む進駐軍77通信隊 十一時には、
北海道拓殖銀行
本店新館に先発隊のジープ,(表1) 表-1 占領軍接収建物 接収建物名 用途
拓銀
本店 第七七師団司令部
拓銀
頭取公宅 高級将校住宅,,アメリカ領事館として売却
拓銀
役員宅全部 高級将校住宅 大同ビル 特殊参謀部,軍政部 清水ビル 特科隊本部
新札幌市史 第4巻 通史4
(商業組合による組織化)
十一年十二月には商工組合中央金庫が開業し、札幌では
拓銀
が商工中金札幌支所の業務を行った。,19 8 1 28 割引手形 9,700 1 1 - 2 1,003,136 46 19 1 66
北海道拓殖銀行
,『興銀・商中代理業務関係綴』(
拓銀
蔵)より作成。,562,889 1 33,000 現在額 72 556,213 42 556,122 1 33,000
北海道拓殖銀行
,『興銀・商中代理業務関係綴』(
拓銀
蔵)より作成。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(パート一一〇番)
OA化のすすむ銀行内で案内や機械の説明にあたる「ロビーコンパニオン」は、北海道銀行が五十四年、
北海道拓殖銀行
,
拓銀
総合研究所が道内企業六〇〇社(資本金一〇〇〇万円以上)に実施したパート労働調査によると、全体の半数
新札幌市史 第3巻 通史3
(不動産抵当貸付の意義)
拓銀
3,829 14,610 6,185 54.8
拓銀
1,003 8,716 45 7,918,16.3
拓銀
4,363 15,532 6,644 51.2
拓銀
1,139 9,624 大2 ,8,038 15.5
拓銀
5,366 16,951 7,009 46.6
拓銀
1,366 10,106,8 21,174 6.1
拓銀
9,122 34,344 37,391 11.5
拓銀
3,015,6,012 13.0 61,444 15.2 165,378 28.0 31.3 3.6 37.2
北海道拓殖銀行
新札幌市史 第4巻 通史4
(電気局の事業経営)
14 昭和9年度分の借替したもの 14 電気軌道事業整理公債 2,805,000.00 4.1
拓銀
,16 乗合自動車事業費 37,028.82 4.0 道銀 19 19 昭和9年度日生より借入分を
拓銀
,に借替したもの 17 電気軌道事業歳入欠陥補填 93,823.23 4.0
拓銀
19 19 昭和,10年度借入分を再度借替したもの 1.道銀-北海道銀行,
拓銀
-
北海道拓殖銀行
,大蔵省-大蔵省預金部,日生
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
14)、『共生・夢・創造―北海道労働金庫50年史』(平13)、『札幌証券取引所50年史』(平12)、
北海道拓殖銀行
,各期、北海道相互銀行『有価証券報告書』各期、札幌銀行『有価証券報告書』各期、北海道新聞取材班『解明・
拓銀
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区所在銀行の営業)
まず銀行数は、明治三十五年六行となっているが、これは
北海道拓殖銀行
、札幌貯蓄銀行、国民貯蓄銀行、北海銀行,これは
拓銀
本店の数値がかなり大きな比重をしめているからで、
拓銀
は元来預金吸収を主要な業務としていなかった,しかし、
拓銀
の商業金融が活発化するにつれて預金も増加し、その結果大戦期には表の預金と貸付の差は縮小している,この傾向は、
拓銀
が明治四十四年から手形割引を開始し、大正五年に割引手形の担保上の制限を撤廃し、短期貸付,また不況期の札幌区所在銀行の安定した発展も、
拓銀
の不動産抵当金融の伸びが下支えしていたとみることができる
新札幌市史 第4巻 通史4
(自作農創設事業)
北海道各地に散在する約四〇万町歩の民有地を開墾し、自作農の創設を図らんとした民有未墾地開発事業が推進された(
北海道拓殖銀行
史,ここには記載されていないが、篠路村には一〇〇〇町歩以上にも及ぶ
北海道拓殖銀行
の所有地があった。,(中略)またこれ等の農場形式の外に
拓銀
から抵当流れとなった耕地を小作している農家も尠くなかった。,とりわけ、拓北土功組合の全農場、田畑一二〇〇町歩余が
拓銀
の所有に帰し、当時の
拓銀
頭取が土功組合長を兼任,は日を追って進み、遂に二十年三月、それまで
拓銀
から借りていた負債金額を二〇年年賦で償還する契約が成立し
新札幌市史 第5巻 通史5下
(道内四行の業況)
まず
北海道拓殖銀行
については、預金は一兆五〇三四億円から六兆三三一八億円(うち譲渡性預金三四七七億円),・八→六・四パーセント)、その他(一一・七四→一一・七三パーセント)がそれぞれ微減にとどまっている(
拓銀
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌組合銀行の預金金利協定)
札幌における沿革をたどると、明治四十一年四月に
拓銀
、北海銀行、道銀支店が定期預金利上げの広告を新聞に出,
拓銀
の長期貸付金利も低下し、日本勧業銀行の内地における貸付金利との格差は急速に解消した(
北海道拓殖銀行
史
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後の混乱と札幌預貸状況)
ではこのような金融経済状況の中で、明治以来の特殊金融機関として北海道の金融を担ってきた
北海道拓殖銀行
(,
拓銀
)や太平洋戦争中の国策に基づき旧来の四無尽会社が合併して創設された北洋無尽株式会社あるいは新たに創設
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
銀行統計の札幌市分は
北海道拓殖銀行
本店,北海道銀行札幌支店,十二銀行札幌支店などのように支店単位の数値,これは札幌市のデータには
北海道拓殖銀行
本店分を含んでいるからである。,
拓銀
分が多いことは証書貸付の多さとなってあらわれ,同年の貸金に占める証書貸付の比率は80.7パーセント,これに対して預金は
拓銀
の本来業務ではなかったために
拓銀
本店分は少なく,札幌の預金の32.9パーセントにすぎなかった,すなわち
拓銀
本店の著しい貸出超過(同年では貸金は預金の約5倍)が札幌の貸出超過の原因であった。
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(凡例 明治以降)
北海道会,庁立=北海道庁立,市教委=札幌市教育委員会,道教委=北海道教育委員会,道開発局=北海道開発局,
拓銀
,=
北海道拓殖銀行
,道銀=北海道銀行(1951年以降),国鉄=日本国有鉄道,JR北海道=北海道旅客鉄道,
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市債)
このうち、銀行等縁故債の引受シンジケート団は、昭和四十四年度に結成され、受託会社は当時の
北海道拓殖銀行
,一方、市場公募債引受シンジケート団は、四十八年度に結成、当初は
拓銀
が受託会社であったが、破綻後は長銀と
新札幌市史 第4巻 通史4
(酪聯)
すなわち、公社は設立の翌十七年、道庁、
拓銀
の出資を新たに加え、事業の範囲も、単に製乳にとどまらず、畜産加工,85,300 4,265 85,300 4,265 その他 北海道庁 50,000 2,500
北海道拓殖銀行
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
今井百貨店の成立 同業者団体の活動 第三節 札幌金融市場の形成…328 一
北海道拓殖銀行
,北海道貯蓄銀行の休業 明治四十一年の休業 救済委員会の整理案 道庁の介入と
拓銀
新札幌市史 第3巻 通史3
(図版・写真・表組一覧)
大正期の大日本麦酒株式会社札幌工場(札幌神社写真帖) (135頁) 写真-9 明治42年に新築された
北海道拓殖銀行
,卸売価格(農産品,札幌区) (301頁) 図-4 卸売価格(鉱工産品,札幌区) (302頁) 図-5
拓銀
,円以上納税商業者 (323頁) 表-14 札幌区の同業者団体(明治40年) (325頁) 表-15
拓銀
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)
札幌の金融…274 一 金融の再建整備と発展 戦後の混乱と札幌預貸状況
拓銀
,銀行等の札幌進出状況 二 朝鮮戦争と金融整備 金融制度整備と札幌預貸状況
北海道拓殖銀行
新札幌市史 第5巻 通史5下
(新札幌市史 第五巻 通史五(下)/総目次)
第二節 バブル経済と平成不況下の札幌金融…373 バブル経済から平成金融恐慌へ
北海道拓殖銀行
,の破綻と原因
拓銀
破綻関連倒産―たくぎん抵当証券倒産など 金融恐慌下
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
手稲町誌 下(昭和43年) 569 ひがしく再発見 まちの歴史講座① 570 北海道金融史(
北海道拓殖銀行
,1265 北海道俳句史(木村敏男) 1266 篠路歌舞伎ノート(中村美彦) 1267
北海道拓殖銀行
史,周年記念誌 1635 北海道と九州人(佐藤一雄) 1636 藤井太三郎専蔵両兄小伝 1637
拓銀
, 19-9 1824 札幌短歌会記念歌集(白井重朗編) 1825 北海道及樺太株式会社要覧(
北海道拓殖銀行
編,1989 戦時農業生産拡充計画(北海道庁) 1990 北海道行刑史(重松一義編著) 1991
北海道拓殖銀行
業務課
新札幌市史 第5巻 通史5下
(図版・写真・表組一覧)
札幌市派遣団(平成7年)(札幌市市民生活部男女共同参画課) 写真-18 平成10年11月6日業務を終えた
北海道拓殖銀行
,年) (372頁) 表-11 札幌市内銀行預貸状況(昭和61~平成12年) (378頁) 表-12
拓銀
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