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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道教育会札幌支会)

北海道教育会札幌支会 前編に記したように、十五年に設立された札幌教育会は、道庁設置後まもなく二十年七月,この教育会構成員を母体に師範学校、道庁関係者の働きかけにより、「教育上全道同志者ノ一致セル集会」(北海道教育雑誌, 九)をめざし、二十四年三月に北海道教育会が結成され、機関誌『北海道教育会雑誌』(のち北海道教育雑誌),同支会は、支会規則第一条でその地域及び目的を「当支会は札幌区及び札幌郡の教育の進歩を図ることを目的とす,一、通俗教育談話会幻灯会を開くこと」(北海道教育雑誌 五七)と定めた。 / 北海道教育会札幌支会
新札幌市史 第3巻 通史3 (雑誌)

雑誌 機関誌として発行された雑誌ではあったが、中には『北海民燈』(明26・5創刊)のように、はじめは,雑誌形態であったのが同年十一月頃日刊となり、新聞にかわった例もある。,また『北海道水産雑誌』は『北海之水産』となって北海道の水産界に貢献し、二十四年に結成された北海道教育会,は機関誌『北海道教育雑誌』を刊行し、長く北海道文化の中心をなした(北海道出版小史)。  ,当時、期日を守って発行される雑誌は稀であったことがわかる。 / 雑誌
新札幌市史 第3巻 通史3 (設立の経緯)

設立の経緯 北海道教育会は明治二十四年二月、「教育ノ普及改良及其上進ヲ図」(北海道教育会設立趣意書),その機関誌『北海道教育会雑誌』(後に『北海道教育雑誌』『北海之教育』と改題)は、明治中期から大正中期までの,同会の事業として図書館を設立すべきという意見は、明治二十六年にはすでに表われていた(北海道教育雑誌 第六号,こうした経緯を踏まえて、同会が「本道に於ける、学術智識の源泉として」(北海道教育雑誌 第五六号)図書館,「新聞雑誌縦覧所」の設立を盛り込んだ(北海道教育雑誌 第七五号)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (旧露清語学校への移転)

ふる図書の置場なく又出版図書の着荷するに於ては更に其置場に窮」していたことがその大きな理由であった(北海道教育雑誌,図-1 北海道教育会附属図書館平面図(北海道教育雑誌 第93号) 表-7 北海道教育会附属図書館統計,37,579 113.2   6 3,607 252 37,978 150.7 明32~41年度は『北海道教育雑誌,を札幌区に寄付する案が含まれていた(北海道教育雑誌 第一三三号)。,さきの札幌区への寄付案は採決の結果、一票差で否決された(北海道教育雑誌 第一三三号)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (雑誌か新聞か)

雑誌か新聞か この時期は雑誌の刊行も盛んで、『札幌区統計(書)』及び『札幌区統計一班』によると、表6,表-6 明治・大正期の雑誌 題名 年月 題名 年月 園芸 42. 7 北海道教育会雑誌 明25. 9,北海衛生時報 43. 3 北海之教育 25.11 同志 43. 4 北海道教育 25.11 北海商業新報,学友会雑誌 32. 7 火防ト衛生 44. 4 農家ノ金庫 32.12 北海衛生 44. 4 鶏鳴 32.12,35. 4 大正農報 3.12 北海道教育雑誌 35. 9 札幌農園報 4. 2 北星斯新 35.12 / 雑誌か新聞か
新札幌市史 第2巻 通史2 (北盲学校)

三つとし、技芸科は易学、音楽、鍼治、按摩とし、卒業後これらの業務によって自立の途を得させようとした(北海道教育雑誌,さらに三十一年に同校維持等のため育盲慈善会を設け、広く寄付を募った。
新札幌市史 第2巻 通史2 (教員の問題)

無資格教員は大幅に減少し、三十二年末の名簿によれば、この時期の教員はすべて訓導・准訓導となっている(北海道教育雑誌,こうした状況をふまえて師範学校附属小学校で小学簡易科教員の講習会などが開催され、教育内容の向上を図った,また北海道教育会はじめ教員団体も種々の活動を行った。
新札幌市史 第3巻 通史3 (開館直後の利用状況)

開館直後の利用状況 同会では北海道教育会附属図書館(以下教育会図書館と略)の運営の指針として「北海道教育会附属図書館規程,それでは開館当初の教育会図書館の運営の実態はどのようであったのだろうか。,三十三年六月に開催された同会総集会の「前年中の会務及事業報告」中にそれを窺うことができる。,『北海道教育雑誌』には「前年中」と記されているが、収支決算書などの内容から勘案して、「前年度中」と解釈,『北海道教育雑誌』第八五号には「本会図書館寄贈書目」として、その出版社別内訳が詳細に記されている。
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)

)  804  北海道教育雑誌 第1号(北海道教育会)  805  北海道教育雑誌 第3号(北海道教育会,)  806  北海道教育雑誌 第7号(北海道教育会)  807  北海道教育雑誌 第15号(北海道教育会,号(北海道教育会)  828  北海道教育雑誌 第123号(北海道教育会)  829  北海道教育雑誌,北海道教育雑誌 第140号(北海道教育会)  832  北海道教育雑誌 第145号(北海道教育会),(北海道教育会)  837  北海道教育雑誌 第169号(北海道教育会)  838  北海道教育雑誌
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

史料】 エドワード・S・モース『日本その日その日2』、渡瀬荘三郎「札幌近傍ピット其古跡の事」『人類学会報告,につくられた竪穴分布図について」『北海道考古学』一一、河野常吉「北海道先史時代の遺跡遺物並に人種」『北海道教育雑誌,』七八~八一(『河野常吉著作集Ⅱ』所収)、札幌史学会『札幌沿革史』、藤本英夫『アイヌ学への歩み』、伊東正三,『札幌区史』、宇田川洋校注『河野常吉ノート』考古編二、河野常吉「非コロポックル論」『札幌博物学会会報』,発寒村の遺物に就いて」『蝦夷往来』一〇、後藤寿一「札幌市及びその附近の遺跡遺物の二三について」『考古学雑誌
新札幌市史 第2巻 通史2 (区の就学率)

札幌区の場合、就学に関する意識よりも、増加する学齢児童に施設が追いつかないことの方がむしろ問題で、『北海道教育会雑誌,・三五パーセントで、二十二年に比し約一〇パーセントの低下となっており、特に男子にそれがいちじるしい(北海道教育雑誌,#160; 計 3293  1362  4655  70.7  『北海道教育週報
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道支部の役員構成)

北海道支部の役員構成 同会は札幌区や小樽区での演説会の「成功」を踏まえて、明治三十三年九月十四日の評議員会,支部長以下の役員構成は次のとおりである(北海道教育雑誌 第九四号)。,嘱託の阿由葉は後の札幌区会議員である。,それは支部の役員の中に、当時の札幌区の実業界を代表する人物(札幌実業協会会員)が多数含まれ、そのほとんどが,ちなみに支部事務所は北海道教育会内に設置された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

殖民公報』第八・九・一一・六九号、「上田万平と弟善七」『札幌百年の人びと』(札幌市)、「阿部仁太郎君伝」『北海道教育雑誌,』、『北海道庁拓殖年報』、『北海之殖産』二〇・二五・三四・三七・四五・八六・九九・一〇〇号、『勧農協会報告
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育)

良妻賢母主義教育 北海道の教育界で、札幌区に高等女学校の設立の必要性が主張されはじめたのは明治二十五年である(北海道教育雑誌,同じく三十年には、札幌農学校校長佐藤昌介は北海道教育会第七回総集会で、「女権問題」と題して講演し、「婦人権利,の拡張」の視点から諸外国の事例を引き、「婦人にも男子と同様に高等なる教育」の必要性を論じた(北海道教育雑誌,小林は女子教育の専門家で、「他府県を観察し又実験上より幾多の女子教育上の好経験と良知識を有」(北海道教育雑誌,、「一種格段の人を作るにあらす又敢て学者を作るにあらす職務を授くるにあらす職業を与ふるにあらさる」(北海道教育雑誌
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道旧土人救育会の創立と小谷部全一郎)

北海道旧土人救育会の創立と小谷部全一郎 北海道旧土人救育会という、アイヌ民族を直接の対象とする社会事業団体,同日付の『東京朝日新聞』は「北海土人救育会の設立」と題して、次のように報じた。,土人保護法の精神に基き之を救育する事業の機関として北海道旧土人救育会なる者を設立するの計画あり。,に於て其趣意を発表すべき演説会を催す由  これとほぼ同内容の記事は、同じ日の『東京日日新聞』『日本』,その後、二十年には「土人研究の目的」(北海道教育雑誌 第一六四号)でアメリカに留学し、ハンプトン農工学校 / 北海道旧土人救育会の創立と小谷部全一郎
新札幌市史 第2巻 通史2 (学習・自己啓発)

二十年当時会長山崎清躬、会員三百余人。 北海道教育会 15・3創立 はじめ札幌教育会。,夏期講習会などを開催。三十年札幌支会設立。機関誌『北海道教育雑誌』刊行。,演説会や雑誌無料縦覧を行う。,演説、討論、有用な書籍新聞雑誌等を購入し、会員の縦覧に供す。,さらには北海道学友会や北海道教育会のように機関誌を発行して広く普及活動を行ったり、札幌史学会のように『
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌農学校の大学昇格運動)

同年七月には北海道教育会が「札幌帝国大学設立建議書」を文部大臣樺山資紀宛に提出した(北海道教育雑誌 第七九号,同協議会は翌月、文部大臣に対して、「北海道帝国大学設立建議」を提出した(同前)。  ,同じ一月には、札幌区有志が「北海道帝国大学設立期成会」を発足させ、「北海道帝国大学設立の請願」を行った,同年十一月には、第一五帝国議会に向けての運動が開始され、「北海道帝国大学設立期成会」は再び貴族院へ提出,する請願書への署名運動に取り組む一方で、与党である政友会への働きかけを行った(北大百年史 通説)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (俳句結社の増加と運動の本格化)

さらに三十四年には、前年創刊した秋田の『俳星』の最高幹部島田五空が来札しているが、これが始めての有力雑誌,・雑誌等で扱っているものがある。,このほか、一般の雑誌についてみれば、前巻の時期に引き続き北海道教育会の刊行する『北海道教育雑誌』に「文苑及家庭,また札幌農学校では二十五年に創立された学芸会機関紙『蕙林』が二十九年に『学芸会雑誌』と改め、さらに三十四年文武会発足,によって『文武会雑誌』(のち文武会会報と改題)となったが、これらにも前巻の時期にみられるように、新体詩
新札幌市史 第3巻 通史3 (図版・写真・表組一覧)

(669頁) 表-33 大正8年札幌の盆興行 (676頁)       第8章     図-1 北海道教育会附属図書館平面図,(北海道教育雑誌 第93号) (751頁)       写真-1 名誉旗制式(北海道教育令規 明37),創立三十年記念絵はかき,札幌市立大通小学校蔵) (709頁) 写真-7 豊水尋常高等小学校卒業証書(北海道教育大学附属図書館蔵,札幌中学校生徒募集広告(北タイ 明37.2.14) (714頁) 写真-9 『大正三年版入学試験問題及解答』(北海道教育大学附属図書館蔵,札幌区尋常小学校卒業後調 (711頁) 表-6 札幌区内各中学校入学志願者数・入学者数の推移 (714頁) 表-7 北海道教育会附属図書館統計
新札幌市史 第3巻 通史3 (尋常科の授業料徴収制の実態)

札幌区では明治三十四年の第八回区会で、区立尋常小学校の授業料の段階的廃止計画を決議、可決した。,札幌区は明治三十八年度も一カ月六銭の授業料の徴収を申請したが、この時は北海道庁が却下した(北海道教育雑誌,授業料の徴収に関しては北海道庁への申請に先だって、まず区会に議案として上程される。,しかし、区会では実質的な審議が行われず、区側の原案がそのまま可決されるのが常であった。,区の行政をチェックする区会の役割を放棄していたといってもよい。
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦争と小学校)

次に小学生を動員したのは「戦捷祝賀会」である。,旅順陥落シタルヲ大通ニ於テ祝捷会ヲ開催ニ付キ本校職員児童六百余名参列シ、午前十時三十分会長加藤寛六郎祝辞,同校では、また三十八年五月二十六日に幻燈会を開催した。,、修身、地理、歴史、国語、算術、図画の各教科で「旅順口」を取り上げ、それを教材化することを提言した(北海道教育雑誌,写真-5 篠路尋常高等小学校「唱歌帳」  その一方で、当時の札幌では竹内余所次郎を中心とした社会問題研究会
新札幌市史 第2巻 通史2 (図版・写真・表組一覧)

386頁) 写真-4 ウィリアム・S・クラーク (398頁) 写真-5 明治12年頃の札幌農学校『学芸会雑誌,北海道毎日新聞』明治25年3月25日付による (821頁) 表-2 札幌区内小学児童数一覧【尋常科】『北海道教育雑誌,』第77号による (821頁) 表-3 札幌区内小学児童一覧【高等科】『北海道教育雑誌』第77号による,札幌区内児童就学状況『北海道毎日新聞』明治23年3月7日より作成 (831頁) 表-6 札幌区内児童就学状況『北海道教育週報,少年禁酒鼓隊 (1018頁) 写真-11 同攻会雑誌第一号(道開) (1020頁) 写真-12 『北海道毎日新聞
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