機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 29件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
新札幌市史 第2巻 通史2
(雁来村の成立)
雁来村の成立 宮城県遠田郡の農民二四戸が四年六月に移住した
対雁村
は、石狩川と旧豊平川の合流地点にあった,それによると
対雁村
は、 何分他村と違ひ右作物ヲ自分ニテ売捌候義甚タ不自由ニ御座候訳ハ、当御庁下ヘハ五里内外之里程,この申請は許可となり、新たな移転地は元
対雁村
と呼称されていたが、六年九月二十九日に雁来村と命名された。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
平岸村 白石上白石両村 月寒村 雁来村 札幌村 苗穂村 丘珠村 篠路村
対雁村
,山鼻村 円山村 月寒村 豊平平岸両村 上白石白石両村 上手稲村 山口村
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の到着)
花畔・円山村 四月八日到着 六五人(一方井組四九人) ④陸前組(黒田三郎右衛門組)
対雁村
,到着後しばらく薄野あたりの仮小屋に収容され、六月十七日に二一戸が
対雁村
、三戸が生振村に入地した(札幌区市街各村之開拓,当初発寒村に入地予定であったらしく、『仕上ケ御勘定帳』に五月は発寒村となっているが、六月の塩噌料から
対雁
人員,六月十七日に
対雁村
に入地したことと対応している。,黒田三郎右衛門は、『細大日誌』(市史 第六巻九〇八頁)、『札幌郡
対雁村
人別調』(道文三二〇)で居住が確認
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾・営農の推進者たち)
対雁村
渡辺寅吉は養父の金助(宮城県黒川郡富谷村)が明治四年募移農夫として移住し、三カ年間扶助米を得、最初荒蕪地六,表-8
対雁村
渡辺寅吉の開墾営農経過 年度 墾成反別 作物及び作付反別 収 穫 その他 四 二畝,次に同じ
対雁村
の新家孝一(養父春三は東京府神田区)の場合をみてみる。,表-9
対雁村
新家孝一の開墾営農経過 年度 墾成反別 作物及び作付反別 収 穫 その他 七 一町二反,上手稲村鈴木信一、内馬場仲政、丘珠村安藤彦松、佐藤石之助、苗穂村坂野元右衛門、山鼻村渡辺卯三郎、七等賞に
対雁村
渡辺寅吉
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
〔発寒村〕 〔平岸村〕 〔白石村〕 〔月寒村〕 〔手稲村〕 〔
対雁村
,月寒村(明治6年6月13日検地開始) 3 円山村(明治6年5月23日検地開始) 4 元
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
なお
対雁村
は札幌市中の中年寄嶋倉仁之助が兼務した(細大日記)。 ,さらに発寒村は笹布源吾、
対雁村
は伊藤溝次郎がこの年任命されたようである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌近傍の林相)
下豊平橋辺迄 平岸村ヨリ精進川迄南方川筋 円山神社境内外、及円山村ヨリ琴似村界平林 篠路太ヨリ石狩川筋
対雁村
迄両側平林,、琴似村ヨリ西南円山ニ接ス 篠路村ヨリ花畔村ノ間 雁来村ヨリ豊平川沿岸
対雁村
迄平林、篠路村ヨリ東北
新札幌市史 第2巻 通史2
(新副戸長と総代、副総代の設置)
山鼻村 第五小区 豊平・上白石・白石・平岸・月寒村 第六小区 札幌・雁来・苗穂・丘珠・篠路・
対雁村
,,苗穂,札幌,篠路 1 1 下手稲,上白石,丘珠 1 1 発寒 3 平岸 1 豊平,雁来,
対雁
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の設置)
上白石村四番地) 札幌・雁来・苗穂・丘珠・篠路五カ村戸長 坂野元右衛門(苗穂村二七番地)
対雁
,・江別二カ村戸長 千葉瀬兵衛(
対雁村
七八番地) 琴似外四カ村戸長役場には、十五年十二月二十二日に設置
新札幌市史 第3巻 通史3
(二級町村制の施行)
第十四部 字当別太(移住者共有地界ヨリ中野開墾道路沿ヒ) 第十五部 字当別太(当別渡道路沿ヒ
対雁村
界
新札幌市史 第2巻 通史2
(授産事業)
授産事業 樺太アイヌが移住した地点は、石狩川河口から約一〇里ほど溯行した左岸で、札幌郡
対雁村
と呼ばれていた
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺の原野排水)
札幌郡各村原野排水. 25年度 札幌近傍原野排水. 26年度 札幌郡琴似村原野排水.札幌郡月寒村原野排水.札幌郡
対雁村
原野排水
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
写真-11 札幌郡各村地図(北大図) また十三年、札幌から
対雁
経由で石狩への郵便路線が増設された(,さらに篠路村の早山清太郎、
対雁村
の小笠原長吉をそれぞれ同村の郵便取扱人とした(郵便駅逓川渡守人名録 道文五二二八
新札幌市史 第2巻 通史2
(コレラの流行)
市中以外では、九年
対雁村
に移住した樺太アイヌにも十二年九月頃よりコレラ患者が発生しはじめ、シビシビウス・,来札・
対雁
合わせて十月二十五日までに患者七四人、うち死者三〇人(高畑家文書によれば患者五四人、うち死者一九人,とある)を出す大惨事となった(
対雁
移民授産書類 道文五一八五、アイヌ政策史)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(作物の特産化)
主とし大麦、小麦、蔬菜、麻、丘珠村は大麦、小麦、蔬菜、篠路村は例年水害で播種期が遅れ十分の収穫なし、
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未移民の編成)
④も発寒村の予定が
対雁村
にかわる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移住の契機)
それは、当時たとえ今国土を失ってもアイヌだけは「帝国の臣民」としておく必要がある(
対雁村
史)といった考,石狩への再移住は九年六月決行され、移住先として一旦は海浜に面した厚田地方が提示されたが、急拠内陸部の
対雁
新札幌市史 第2巻 通史2
(途上都市札幌)
ところで二十年の札幌の人口は、区と村(
対雁村
を除いた一七カ村)合わせて六六五七戸、約二万九〇〇〇人である
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 札幌市街並に周辺村落の誕生)
札幌市街町名追加の件伺(明治六年五月) 三一 白石村分村願の件伺(明治六年八月一九日) 三二 元
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(仮学校とアイヌ教育)
ニ他ノ人民ト並立スルニ至ラストモ漸々教化候注意可為致」(開拓使布令録)と布達し、札幌付近では十一年、
対雁村
,に移住した
対雁
教育所が開設された(後述)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
札幌郡二〇村から広島・江別・
対雁
の三村を除き、区を加えた地域が、ほぼ現在の札幌市域にあたるとみてよい。,(11309) 広島村 - 4684 4684 江別村 2558 6274 3716
対雁村
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の連絡道路)
厚岸郡厚岸町大字真龍町,同郡浜中村姉別,根室郡根室町 4 札幌稚内線 札幌区 宗谷郡稚内町 札幌郡江別町大字
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
二九戸一二四人 ⑤胆沢県水沢の伊達将一郎旧家臣ほか ①は月寒村、②は花畔村(ばんなぐろむら)、③は
対雁村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
、まとまりつかず、月寒村に残ったものは六戸と大阪からの三戸、他は平岸村へ二十一戸、当別村へ二十八戸、
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
5,845 東京府 15 吉村佐太郎 丘珠村 57,456 5,500 苗穂村 16 永山武四郎
対雁村
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
作成 (300頁) 表-7 明治11年村費調『取裁録』(道文1951)より作成 (305頁) 表-8
対雁村
渡辺寅吉,の開墾営農経過 (323頁) 表-9
対雁村
新家孝一の開墾営農経過 (324頁) 表-10 開墾地面積
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
隣接する12カ村(円山,琴似,手稲,発寒,平岸,白石,月寒,
対雁
,札幌,苗穂,丘珠,篠路)も区域内としているので,,第一大区の区域範囲は現在江別市域となっている
対雁
を除くと現市域と一致するものであった。 ,567戸,本籍人口1256人(男675・女581),寄留人口(含12カ村)4717人,現市域(ただし
対雁村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
明治六年五月)…216 三一 白石村分村願の件伺(明治六年八月一九日)…217 三二 元
対雁村
,下手稲村 豊平村 平岸村 白石上白石両村 月寒村 雁来村 札幌村 苗穂村 丘珠村 篠路村
対雁村
,四ケ村 篠路村 山鼻村 円山村 月寒村 豊平平岸両村 上白石白石両村 上手稲村 山口村
対雁村
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
北海道郷土研究資料10) 666 石狩十勝両河記行(松本十郎,『日本庶民生活史料集成』4所収) 667
対雁村
史, 684 北海道印刷のあゆみ(北海道印刷工業組合) 685 札幌基督教会歴史 686
対雁
移民書類,関スル調査(経済調査会報告書) 702 創立70周年記念誌(札幌スケート協会) 703
対雁
学校,中央創成小学校 沿革誌(上)(文資蔵) 726 虎列拉病一件書類(道文3714) 727
対雁
移民授産書類
/ 1ページ