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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第4巻 通史4 (第六期市会議員)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 第六期市会議員 市常会で決定をみた市長案にもとづき、札幌市翼賛市会確立協議会結成会は、十七年九月一日札幌神社,は一九人、元議員が三人で、新人二二人と半数ずつであったが、うち一人は立候補しなかったため、大政翼賛会札幌支部推薦候補,こうして第六期の市会議員を選ぶ投票は十七年十月三日に行われ、推薦候補者四三人中二八人が当選して新市会の,⑤市会では予算の増額修正ができないことになり、会期制を採用し、また市会の権限の一部を参事会に移した。,札幌市会の第六期選を最後に、各種選挙は非常時との理由で延期され、次回選挙は敗戦後新制度にもとづき、昭和二十二年四月三十日 / 第六期市会議員
新札幌市史 第4巻 通史4 (市会の人格化)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 市会の人格化 第二期市会議員は、当選まもなく昭和の世を迎え、連年の冷害凶作、慢性的経済不況下にあって,最大の争点は水問題で、全国七二市で上水道施設を持たぬ二市のうち、一つが札幌市であり、水利権と財政負担の,すなわち、市会議員や参事会員は市会の議決事件につき発案権を持つことになり、市会は広く関係行政庁に意見を,の問題が、政界浄化、政党解消、ファッショ謳歌、選挙廓清へとつながり、札幌市会を〝人格化すべし〟との呼びかけへと,それでは札幌市会を〝人格化すべし〟という呼びかけは、この選挙によって実現したのだろうか。 / 市会の人格化
新札幌市史 第4巻 通史4 (第五期市会議員)

新札幌市史 第4巻 通史4 / め、市長は「希くは市民各位が深き理解を以て、終始歩調を一つにして同行協力せられんことを」呼びかけた(札幌市告諭第二号,事件後間もない八月十五日、札幌市では時計台で時局並国体精神大講演会を開き、十月以降は毎月国民精神総動員講演映画会,道内市会選における札幌市の投票率は、函館市とともに毎回低かったが、今回はついに七〇パーセントを割り、棄権率,まず第一に「由来、札幌はサラリーマン階級、殊に官吏の多い都市であるためか、選挙に対しては比較的冷静な態度,札幌市の現状は「我々市民が満足し敢て天下に誇るやうな賞讃に価する市政や市会あるを未だ関知していないとすれば / 第五期市会議員
新札幌市史 第4巻 通史4 (市会議員初選挙)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 市会議員初選挙 市制施行により区制と較べ大きく変化したのは、市会議員の選挙権、被選挙権の制限が大幅に,市制施行にともない、従来の区会は自然消滅し議員資格も喪失したので、札幌市はその後しばらく市会を持たない,異常事が生じ、道参事会が緊急案件の処分に当たり、一日も早い市会の成立が望まれた。,らし、入り乱れて乱闘し、何処も此処も運動員の鉢合せ」(北タイ 大11・10・3)という状態だったが、札幌倶楽部,が市民大会を開いて、市会の政党化排除を訴えたのが注目された。   / 市会議員初選挙
新札幌市史 第4巻 通史4 (女子公民権案と市会)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 女子公民権案と市会 大正十三年十二月十三日、婦人矯風会理事久布白落実や婦選運動家市川房枝等を中心として,昭和三年普通選挙法による第一回の衆議院議員選挙直後の三月二十二日、札幌では「婦人政談大演説会」が三友館,それに続けとばかりに十二月二十六日、札幌市会(第6回)に立憲政友会の木下三四彦議員により、「女子に公民権,(昭和四年第六回札幌市会会議録) と述べ、まず市会議員選挙の公民権の資格を付与してはどうかといった意見,しかし、市会では「時期尚早」として出席議員二七人中賛成一三、反対一四で否決された(第一期第二期札幌市会小史 / 女子公民権案と市会
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌区役所の成立)

新札幌市史 第2巻 通史2 / その時に札幌区役所が札幌市街と札幌郡一円を管轄することになった。,なお市会所・区務所・区役所の役員・吏員等の名前と分掌について、諸史料を検討してほぼ判明した分は、制度の,表-5 市会所・区務所・郡区役所の役員及び分掌一覧 ●明治6年2月の市会所役員及び事務分掌,浜中庄兵衛 事務分掌 検査方 市中一般事務 島倉仁之助 出納方 貸与受納と市会所経費,願伺届布告 山口吉太郎, 山口重次郎, 野島広吉, 小野新太郎, 前田市太郎 ●明治7年9月頃の市会所役員 / 札幌区役所の成立
新札幌市史 第2巻 通史2 (戸長制と札幌市中の事務)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 戸長制と札幌市中の事務 札幌での市中への戸長の導入はやはり五年四月七日で、その日市中の副戸長が任命されている,事務の煩雑化にともない六年二月札幌市会所も事務分掌がはじめて規定される。,会所内を検査方・出納方・受付方に分課し、検査方は市中一般の事務、出納方は貸与受納及び市会所経費、受付方,この区長たちと市会所との関係は、区長たちが市会所の上位にいて、市在の事務を細大となく合評し、区長は一・,六の日、権区長は隔日に市会所へ出頭して市会所の事務を監督するものである。 / 戸長制と札幌市中の事務
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市の道路新設)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌市の道路新設 札幌区、札幌市がどの道路をいつ開削したかというまとまった資料はない。,図-5 札幌市街図(昭15 文資)  両図を見比べた特徴は、北五条以北西一三丁目以西の道路開削、,から札幌市に編入された地域の道路予定線(破線部)である。,した豊平町と白石町の町民大会にもとづく陳情書には、やはり同地域の道路網設定が要望されている(大正十四年札幌市会書類,地域が桑園方面に貫通する路線開削のために、北海道大学の敷地の一部を解放するよう建議がなされた(昭和八年市会会議書類 / 札幌市の道路新設
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社の活動)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌神社の活動 ここでは通常の神社の活動以外の、この時期特有のものを中心に略述したい。  ,まず前述の教導職とも関わる説教であるが、六年十月二十一日から、毎月六日と二十一日、市会所において開催された,さらに五年五月、開拓使は教部省あて「北海道後志胆振両国以奥各郡産土神社無之地エ、札幌神社遙拝所ヲ仕立、,神躰奉祭いたし候見込ニテ」(札幌神社諸留 道文四五五)神鏡二〇面を新鋳した。,写真-2 札幌神社氏子札(明治4年発行、札幌市長岡武夫氏蔵) / 札幌神社の活動
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌駅などの改築)

新札幌市史 第5巻 通史5上 / 札幌駅などの改築 昭和二十一年八月札幌駅の改築について、第三期北海道拓殖計画に要望するように札幌市会議員協議会,拓殖計画は実施されなかったため、それによる札幌駅の新築はならなかったが、二十三年ホームの拡充、東側跨線橋,二十五年には国鉄が計画した停車場改良五カ年計画の中に札幌駅を民間の融資を受けて鉄筋八階建てに改築する計画,三十九年北口駅開設、さらに地下鉄の開業に合わせて四十六年地下出札口の開設などを行った(道新 昭26・9・9、札幌駅百年史,札幌駅を旅客専用駅とすることにともない貨物取扱施設を桑園駅、苗穂駅、東札幌駅に移した(道新 昭31・3 / 札幌駅などの改築
新札幌市史 第5巻 通史5上 (初の女性札幌市議たち)

新札幌市史 第5巻 通史5上 / 初の女性札幌市議たち 二十二年初の統一地方選挙で四月三十日の札幌市議会選挙には、定員四四人に対し一五,)(前市会議員の妻)は七四二票であった。,また初議会は、「民主市会にふさわしく紅三点を加えた新人三一名という議席構成にも時代の諧調」、全議員四四人出席,五十三年の札幌市開基一一〇年記念式典で札幌市発展貢献賞を受けた、唯一の女性である。  ,札幌市議会の女性議員を表26に示した。 / 初の女性札幌市議たち
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市の町村合併計画)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌市の町村合併計画 札幌市では、札幌村に続いて接続町村の併合計画をその後も進めていった。,豊平、藻岩、白石町村長等と秘かに右問題に関して種々折衝を進めてゐたが、大体諒解を得たので愈市長は今予算市会,とされ、札幌市は十一年度中の実現をめざして着手していく。,に市会に一三人で構成する臨時市域変更調査委員会が設置されて調査が進められていくし、「之カ実現ヲ見ル必スシモ,と、計画は一時中止を余儀なくされていた(昭和十一年札幌市事務報告)。   / 札幌市の町村合併計画
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市第二期下水道及び側溝工事)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌市第二期下水道及び側溝工事 第一期の下水道工事終了後、失業救済事業を兼ねて第二期の下水道及び側溝計画,六年三月の市会で議決され、七月工事着手、下水道総延長二万三五二八・九メートル、側溝総延長六万一〇八・五八,琴似川支流浚渫工事 7,10 伏籠川流域 北11条線 7,9,10 北11東7~伏篭川に放流 『札幌市第二期下水道事業概要,』(昭11),『昭和六年札幌市会会議書類』(札幌市蔵),各年度『札幌市事務報告』より作成。  ,北海道拓殖費から六~十年度で二万二六〇三円余、失業応急事業補助が九、十年度で二万一六〇〇円であった(札幌市第二期下水道事業概要 / 札幌市第二期下水道及び側溝工事
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌建築開始)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌建築開始 函館で五稜郭の移築が進行している最中、札幌での本府建設は雪解けとともに開始された。,5 東創成通 本陣 1 7 東創成通 用度係詰所 1 6 東創成通 札幌病院病室 6 札幌 町長屋,1 9 6 札幌 官邸 2 8 札幌 東京府貫属邸 3 8 7 東創成通 本陣板倉 1 7 東創成通,2 8 札幌 蔵地板庫 1 7 10 東創成通 用度係物置 2 12 札幌 官邸物置 30 12 11,に並ぶ長屋二棟のことで、後に市会所の敷地になるところに建設されたものである。 / 札幌建築開始
新札幌市史 第4巻 通史4 (新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 助役と収入役  市役所の機構  職員  旧庁舎  新庁舎  財政  歳出入  諸官公署   第三節 市会,…83     一 市会議員        市会議員初選挙  一級議員の再選挙  普通選挙の実現  ,市会の人格化     二 市会の運営        職務権限  議長・副議長  参事会  委員会と,翼賛市政と公区制…114     一 国家総動員法下の市政        選挙粛正運動  第五期市会議員,  大政翼賛会  翼賛選挙  第六期市会議員     二 公区と常会        成立の経緯   / 新札幌市史 第四巻 通史四/総目次
新札幌市史 第4巻 通史4 (労働農民党札幌支部の左傾化)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 労働農民党札幌支部の左傾化 合法無産政党である労働農民党の札幌支部は、大正十五年九月六日に組織された,推進力となったのは札幌合同労働組合であったが、最高幹部は憲政会を脱会した高野精一であった。,札幌における最初の普通選挙は、大正十五年十月の市会議員選挙であったが、鉄道従業員組合の活動、北海道製綱争議,だが札幌市での得票は九九四票にとどまり、市内五位であったが当選できなかった。,表-4 札幌市内・近郊における山本懸蔵得票 札幌市 994票 手稲村 13票 札幌村 51  / 労働農民党札幌支部の左傾化
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌の問題点)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌の問題点 区制期を歴史の上からふりかえれば、明治四十三、四年が折り返し点であり中間時にあたる(同前,札幌に区制を施行して一〇年が経過し、この特別自治制の評価が問われるようになってきたが、この時点で札幌区,それは市制に基づく市会と同様の権限を区会に与えるよう要望しているのである。,すなわち札幌区による問題指摘は市制への接近を志向し、自治の拡張を願ってのことであったから、国や道庁長官,それでは、道庁では札幌区の問題指摘をどう見たのだろうか。 / 札幌の問題点
新札幌市史 第4巻 通史4 (市制後の上水道計画)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 市制後の上水道計画 札幌の市制が施行された直後の十一年十一月の市会で、「上水道布設ノ件」が提案され、,その後、昭和三年度の予算をめぐる市会での議論の中で、水道計画の具体案がいつ提出されるのか、という質問が,出される(札幌市会会議録 昭3)。,市長の答弁では、水利権の問題もあるがまだ具体的な計画案ができあがっていないということであった(昭和三年札幌市会会議録,それをうけて九月の市会に「上水道布設費継続年期及び支出方法変更ノ件」、そしてそれに関連して「札幌市上水道事業公債条例設定
新札幌市史 第4巻 通史4 (議長・副議長)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 任期は議員の任期に依ったから、各期市会議員の選挙後初の市会でその都度選出され就任した。  ,札幌市会議員には大正十一年初当選し、同時に議長に選出された。,市会における議長選挙で、代筆投票問題が起こり紛糾したあげく、市会廓清札幌市民大会まで開かれ、再選挙の結果,、同数年長者として議長に就任したが、以後三、四、六期の議長もつとめ、札幌市会の顔となった。,市会議員としては第二期区会(明35)に議席を得て以来、第六期市会(昭22)までの間で一期を欠いたのみである
新札幌市史 第4巻 通史4 (普通選挙の実現)

新札幌市史 第4巻 通史4 / これによる札幌市会議員選挙は浜松市に次ぐ二番目で、全国から普選の前途を占うものとして注目を集め、「全市,3.各年『札幌市事務報告』より作成。  ,札幌市会を政党論争の場にすべきでないとの意見が根強く、「市政の政党化は最も忌むべきところ、札幌市が兎も,第一は札幌市民に多いサラリーマン層の票をいかに獲得するか、その代表者を市会に送ることができるか否かで、,このように、日本で二番目に普選を体験した札幌市の有権者は、知識層もしくはインテリ層と呼ばれるグループと
新札幌市史 第4巻 通史4 (発電事業の公営計画)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 発電事業の公営計画 大正八年頃から札幌区では電業区営の方針を決定して、札幌水力電気株式会社(以下札幌水電,佐藤区長の退職などで買収話は流れた(札幌市史 産業経済篇)。  ,札幌水電の買収を必要と考えた札幌市会は、十二月の市会議員協議会で札幌水電の買収を決定して、合併阻止の動,札幌水電では株主総会などの決議も経て合併は不可避であった。,しかし札幌市による買収も成功しなかった(北タイ 昭6・2・16、17、18、20、21、札幌市会小史 
新札幌市史 第4巻 通史4 (バス事業の市営化)

新札幌市史 第4巻 通史4 / バス事業の市営化 バス事業の市営化について、昭和四年九月三十日の市会において、議員からバスの営業をすることで,このような質問が出るのは、質問の中に以前に七大都市の実状を調査したという言葉もあり、市会議員の中に市内交通,そこで十二月の市会において、「一般交通ノ便宜ヲ考ヘマシテ電車ノ補助機関ト致シマシテバスヲ経営シタイ」と,からの提案の仕方について種々議論の後、電車との関係や民営バスとの関係などについての質疑の後、可決された(札幌市会会議録,このバスの市営化の動きに対して、札幌乗合自動車株式会社から反対の陳情書が市会議員や関係官庁へ提出された
新札幌市史 第5巻 通史5上 (上原市長の就任)

新札幌市史 第5巻 通史5上 / 市会ではその前より詮衡委員会を組織して候補者の選定にあたり、七月二十五日の第三回臨時市会で上原六郎を第四代市長,写真-4 上原六郎市長  敗戦を迎えた札幌市は、山積する諸問題への対応に追われた。,十一月十五日、上原市長のもと戦後初めて開催された市会では、「市民主食糧確保、円滑配給方法ニ関スル意見書,一方市会は、二十三日、緊急議員会を開催し、食糧供出督励のため市議の出張を決定している。,戦後初市会から昭和二十二年三月までの八回の市会の議事から札幌市に緊急に求められていた課題を順不同であげれば
新札幌市史 第4巻 通史4 (市常会の新設)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌市にはこうした制度がなかったので、新たに市長が参務委員を嘱託し、その委員による市常会開設を計画したがまとまらず,ノ円滑完全ナル運営ヲ期センガ為市長ノ諮問又ハ附託ニ応ジテ重要事項ヲ調査協議シ且市長ノ行務ニ協力スル」札幌市常会,札幌市には古くから土木委員会、水道電業委員会、財政調査委員会、体育委員会等議会と関わる各種委員会があり,道路保護組合、火災予防組合、銃後奉公会等を廃止し、その業務を町内会(公区)が肩代わりするよう求めており、札幌市,もっとも市制が改正されると、その第八二条によって札幌市参与条例が十八年九月にでき、翌十九年一月、市常会委員中
新札幌市史 第2巻 通史2 (市(町)会所・区務所の位置と名称)

新札幌市史 第2巻 通史2 / )会所・区務所の位置と名称 その後町会所は現在の南二条西二丁目にあった町長屋の一棟に移されるが、『札幌区史,』によると移庁は五年十一月であり、同年十二月三日に改暦となった六年一月一日をもって札幌市会所と改称したとある,六年十二月市会所は後志通一〇番地(現大通西三)の商館官舎に移り、八年春その東隣(後志通九番地)の平屋官舎,』(札幌歴史地図 明治編)の同位置に雑貨商の〓山田直吉商店が確認できる。  ,七年二月大小区制がしかれた後も市会所と呼ばれた名称は、その後第一大区区務所と呼ばれるようになった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (民営バスの買収)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 七年三月の市会で、札幌市電気事業費の七年度予算の説明の中で「バス路線ノ統制ヲ計リ、其ノ円満ナル発達ニ資,そのために電気軌道委員規定を設定し、委員を選出した(昭和七年第一回札幌市会会議録)。,十二月の市会では、「札幌乗合自動車株式会社ノ事業及物件譲受ノ件」とそれに関連して起債の条例とバス路線追加,会社の解散の約束もしていることが、上京中の橋本市長に代わって関崎助役から表明された(昭和七年第三四回札幌市会会議録,~札幌刑務所前、北四西四―五番舘前~北一西三~中島橋~南一四西十三札幌工業学校横、北一西四~北一西一三
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

新札幌市史 第4巻 通史4 / ニ関スル施設計画』、『札幌市会会議録』(大12、13、昭3、4、14)、『札幌市会書類』(大14)、『,(札幌)市会会議書類』(昭7、8、10、11)、『札幌市公報』、『札幌市歳入出予算』(各年度)、札幌市,)、『札幌市下水道事業概要』(昭6)、『札幌市第二期下水道事業概要』、『札幌市水道五十年史』、札幌市『,札幌都市計画概要』(昭29刊)、札幌市『札幌都市計画区域設定参考資料』(道図)、『道路幅員図』(文資),』『札幌軌道会社営業報告』『軽石軌道営業報告』『定山渓鉄道株式会社営業報告』『札幌温泉電気軌道営業報告
新札幌市史 第4巻 通史4 (翼賛選挙)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 国家総動員法のもとで、総力戦を支える札幌市政はどのように変わっていったのだろうか。  ,このあと十月に第六期札幌市会議員選挙を迎えるため、市会議員は非公式に推薦制度のあり方を話し合うようになり,、意見書をまとめて市長と大政翼賛会札幌支部に提出した。,支部では直ちに推薦制実施に向けて、札幌市翼賛市会確立協議会の設立準備と、市常会に提出する原案の作成を進,こうした制度や市長の態度について、十七年第四回、第五回市会で取り上げようとした議員はいたが、いずれも市会
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画委員会北海道地方委員会委員の選出)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 都市計画委員会北海道地方委員会委員の選出 次いで十二年の都市計画法施行にともない、八月二十八日の第六回市会,で市会議員から選出すべき都市計画北海道地方委員の選挙を行った。,選出された委員は、松田学、関場不二彦、本間久三、足立庸三、伊達翁記、阿部与之助である(大正十二年札幌市事務報告,選出される市会を開く以前からの根回しで市会内の各派に割り振られ、市会の投票に付さず、「例の妥協的情実的銓衡委員,実際に市会では、議長指名の五人の銓衡委員が指名する方式で、論議は行われずに選出した(大正十二年札幌市会会議録
新札幌市史 第4巻 通史4 (高岡直吉)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 市会成立後二回目の市会で、市長銓衡委員九人を決め、第一に地元からの人選、第二に準地元関係者、第三に一般,その結果、高岡直吉、浜田恒之助(名古屋市長)、渡辺勝三郎(神戸市長)、山岸哲夫(札幌逓信局長)等の名があがり,全国的にも、また函館・小樽両市にくらべても、札幌市は都市計画事業がたち遅れていたので、水力発電、電車、,札幌農学校を卒業後山口県庁に就職し、明治二十年北海道に来て郡長、道庁課長、部長を歴任、四十一年から宮崎県,、島根県、鹿児島県の各知事、大正七年から十一年まで門司市長をつとめ、札幌市長をやめてのちは東京で生活することが
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画区域の申請と決定)

新札幌市史 第4巻 通史4 / その後詳しい経緯は不明であるが、十五年七月札幌市から内務省へ内申した(札幌都市計画概要)。,市会では九月七日付の都市計画北海道地方委員会幹事諸橋襄の名で高岡直吉市長宛に諮問案として提出された。,市会の審議では、市長から「コノ区域通リデ差支ヘナイ。,当市会の四番議員(助川貞二郎)から、「内務省ト協定シタ案デアッテ、仲々変更スルコトハ容易デナイト云フコトデモアリ,その結果札幌市の都市計画区域は諮問案通り札幌市会を通過した。  
新札幌市史 第4巻 通史4 (職務権限)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 職務権限 『北海道区制』にもとづく札幌区会と、『市制』による札幌市会の主な相異点として、①職務権限が,市会傍聴人取締規制(札幌市告示第三四号)も会議規則と同日に告示された。  ,のほか市会会議規則、傍聴人取締規則を審議し、ここに札幌市会は発足したのである。,これら各期各回の市会の主要事項は『札幌市史』(政治行政篇 二九一~三一〇頁)、『札幌市議会史』(三四~,五七頁)にまとめられており、第一~六期別の『札幌市会小史』各巻に詳しい。
新札幌市史 第4巻 通史4 (三期にわたる「札幌市教育五年計画」)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌ではマスメディアだけではなく、行政や教育関係者の間からも「教育都市札幌」を標榜する言説が声高に叫ばれるようになる,本巻が対象とする大正十二年から昭和二十年までの札幌市は、この「教育都市札幌」をスローガンとして、その充実化,札幌市小学校長会の同時期の調査では、全国の各市のなかで、札幌市だけが尋常科の一学級当たりの平均児童数が,こうした現状を解決するための方途として、札幌市長・高岡直吉は大正十三年一月、学務委員会に「第一期札幌市教育五年計画,しかし、計画完了の時点でも、普通教室の特別教室への転用が依然として行われていた(札幌市会小史 第一期・ / 三期にわたる「札幌市教育五年計画」
新札幌市史 第4巻 通史4 (成立の経緯)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 二、一八 記念事業委員会小委員会 二月十九日両回開催原案ニ若干修正ヲ加へ可決答申ス 一五、二、二三 札幌市会,銃後奉公会実行班長、聯合衛生組合長、同副組合長、各組合長、火災予防組合聯合会長、同副会長、同各組合長、市会正副議長,第二点は、市長案の実質的審議が札幌神社祭典区委員会と紀元二千六百年記念事業委員会においてなされ、市会はその,結論を形式的に諮問されたにすぎなかったことで、後日の市会と常会の関係を暗示していたともいえる。  ,した上で、市会は設置規程を満場一致で可決した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (上原六郎)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 昭和十八年市制改正により、市長は市会の推薦により内務大臣が勅裁を経て選任することになり、もし市会が候補者,三沢市長の任期は昭和二十年七月十六日までだったから、その一カ月前の日付で内務省から札幌市会に新市長の候補推薦,上原は札幌生まれだったから、前任の三市長と同じ移入市長とはいえないかも知れない。,札幌市長退任後は参議院専門員、地方財政審議会委員、東京都特別区公平委員等を歴任した。,写真-2 札幌市長
新札幌市史 第4巻 通史4 (尋常科授業料の全廃)

新札幌市史 第4巻 通史4 / この授業料は「全道一の高額」で、毎年の予算市会では必ず問題となっていた(北タイ 昭2・1・19)。,大正十五年の第二回市会で池田新三郎議員が授業料の全廃の意向を質したのに対して、高岡市長は教育施設の整備,同じ市会で、池田議員は尋常科授業料を三〇銭から二〇銭へ減額する修正案を提出したが、賛成少数で否決となった,だけでも五万円の歳入となっているので全廃する意志はないが、二年度から若干の減額措置を講じることを明言した(札幌市会小史,各小学校保護者会の代表委員は役員と協力して、通学区域内の市会議員を訪問し、陳情の趣旨の理解とそれへの支援
新札幌市史 第4巻 通史4 (中央卸売市場設立問題)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 北海道では、札幌、小樽、函館三市が対象とされ、道が市に区域選定を依頼してきた(北タイ 昭4・9・21),市では、昭和八年に中央卸売市場調査委員会を設け、橋本市長は、「札幌の中央卸売市場は、札幌市及豊平町、白石,、札幌村、藻岩村、琴似村の一市一町四ヵ村を一丸として」設置するとの方針を述べた(北タイ 昭8・7・30,ただ、市会議員若狭由次郎が十年十一月に新聞紙上で、中央卸売市場は財政難の札幌市には時期尚早との見解を述,市会では、市の財政赤字が問題となっていた時期なので、財政的理由から議会提出に至らなかったものと思われる
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 【主要参考文献・史料】 『札幌市(区)会会議録』『市(区)会関係書類』『札幌市(区)事務報告』『市制準備関係書類,』『大正十一年十月執行の札幌市会議員選挙の選挙又は当選に関する申立関係資料』『市会会議書類』『札幌村札幌市境界変更関係書類,』、『昭和十年藻岩村議決書』『昭和十一年藻岩村議決書』『隣接町村合併関係〔参考〕』(以上札幌市蔵)、『,』(札幌村郷土記念館蔵)、『公区精神』(札幌市長三沢寛一)、『札幌市議会史』、『札幌市会小史』、『北海道庁統計書,の歴史』29号、中村英重「札幌区(市)の住民組織と町内会」同30号、前田朔二「多彩に生きる」『大正の話
新札幌市史 第4巻 通史4 (橋本正治)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 前市長の場合と同様に、地元派と移入派の対立は深刻で、普選後の市制への関心が市民に広まり、市長銓衡問題が市会,市会議員協議会で選出された銓衡委員は、「先づ以て地元より候補者を物色するを第一義となし」、松田学の名が,は場外に佇立するの盛況」(北タイ 昭2・9・19)を呈し、市長移入を排し一路建国公道の発揚を宣言し、市会議員,橋本は翌三年一月十三日札幌に赴任したが、札幌駅に多数の市民が出迎える一方で、〝反橋本市長デー〟の催しが,札幌市長在任期は実に九年五カ月に及び、戦前期の区市長を通して、最も長期にわたってその職にあり、札幌市の
新札幌市史 第4巻 通史4 (参事会)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 参事会 区制のもとでは参事会を設置することが許されず、不便をきたすことがたびたび起こったので、札幌区,ハ其ノ権限ニ属スル事項ノ一部ヲ市参事会ニ委任スルコトヲ得」とあり、札幌市会は委任事項を次のように決めた,が強化され、昭和十八年には参事会会議規則(札幌市告示七九号)が制定された。,初期の参事会の様子を札幌市公報六号からうかがうことにしよう。,(札幌市公報 六 大12・12・25)
新札幌市史 第4巻 通史4 (財政)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 図2は歳入決算額の変遷により、札幌市財政の動向を大まかにとらえようとしたものである。,図-2 札幌市の歳入決算額の変遷(札幌市史 政治行政篇より作成)  市制施行後昭和二年に至る初代高岡市長,札幌市の近代化をめざす都市計画事業の立案に腐心し、豊平川水利権、水力発電、上下水道敷設、電車市営化を一方,それまでは市長提出の予算案を、市会は議長指名の調査委員に委ねて詳細な検討をなし、市会が何らかの修正を加,第四代上原市長は財政通をもって選ばれたとはいえ、その識見を札幌市で発揮することができぬまま退任に至ったのである
新札幌市史 第4巻 通史4 (電車買収の経過)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 電車買収の経過 札幌市側で買収を決定し、市会を開催する直前、十二月二十四日札幌電気軌道会社では定時株主総会,だからといって札幌市の一方的な方針だけで買収が進むものではなかった。,この後の買収経過は、市側が最初に市会で示したのが一九〇万円余、その後会社側から提出した営業成績から算定,、十月一日「電車一切を三百七萬五千円で市に譲渡」する事が内定し(北タイ 大15・10・2夕)、同日の市会,、札幌市営電車が成立した(北タイ 昭2・12・1、2)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (入営)

新札幌市史 第4巻 通史4 / に兵役証書が交付され、現役兵となった者には約半月間、補充兵には約一週間の予備教育が十一月に在郷軍人会札幌分会,そして現役兵については十二月に札幌市の入営送別会が催された。,沼田聯隊区司令官、松本分会長以下分会幹部、松田市会議長以下各市会議員ヲ来賓トシ、三橋社司修祓、佐藤社司降神詞,続イテ市会議員総代松田市会議長、分会総代松本分会長、沼田聯隊区司令官ノ祝辞アリ。,に於て、篠原札幌聯隊区司令官以下立会の上人員の点検を行ひ、午前十時には全部各中隊に配属された。
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画地域の問題)

新札幌市史 第4巻 通史4 / だが札幌の各地域の将来構想については、あまり明確な方針を持って臨んだようには思われない。,札幌市会議員の福島利雄から、桑園方面の住居地域の決定と、札沼線の開通による桑園周辺の工場地帯化について,そのため札幌市会議員の吉田豊吉から、札幌市民としても桑園方面を工場地帯として発展させたいという希望があるので,工業地域外であるため、工場誘致に支障があるとして、工業地域への変更を関係当局に働きかけるようにという建議案が市会,に提出されていたのである(昭和十一年札幌市会会議書)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (政党政派)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 政党政派 札幌市における政党勢力の盛衰は、中央政界の動きを敏感に映していた。,ところが市制施行後初の市会議員選挙は、札幌市の政党支持色を塗り変え、憲政会が主勢力を形成し、以後政党の,市会においては、憲政会・民政党系議員は実業青年会(団)を、政友会系議員は公友会をつくり、選挙戦もこの会派名,大正十五年の市会初の普選以後、懇話会、同志会、一新会、新政会、準中立等の小会派が統合され、同好会と中正倶楽部,なお、昭和五年市会選挙後、落選した立候補者が集まり札幌市政の革新を標榜し、市政革新同盟を組織したが、どのくらいの
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北方都市市長会議)

新札幌市史 第5巻 通史5下 / 北方都市市長会議 札幌市では、北方の都市づくりの基本的方向、交通問題、住環境整備、芸術、文化、スポーツ,いの知恵と経験を分かちあうことが必要と考え、北方諸都市の代表者が集会して、情報交換をする場として北方都市会議,写真-12 第1回北方都市会議  その後、平成十四年(二〇〇二)の青森市での開催まで、一〇回を数,『札幌市政概要』平成15年版、札幌市総務局国際部『札幌市の国際交流』平成15年版より作成。  ,北方都市会議もそれにあわせて北方都市市長会議に名称を変更した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (電車の買収方針)

新札幌市史 第4巻 通史4 / また札幌市は、区制施行後から市街地に馬車鉄道や電気軌道を公営で敷設する方針を持っていた(市史第三巻一章及,さらに札幌市では上水道敷設にともなう政策の中に、発電事業の公営化も含まれ、その電気の使い道についても考慮,する必要があり、札幌電気軌道会社を買収する計画が持ち上がった。  ,水力電気を買収することを条件に、電気軌道の買収を暫定的に決定した(北タイ 大13・10・15、大正十三年札幌市事務報告,そこで十二月の市会で、「電気軌道買収ノ件」が提出され、若干の質疑で可決された(札幌市会会議録 大13)
新札幌市史 第4巻 通史4 (市の統轄・代表)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 市の統轄・代表 市制にもとづき札幌市に市長を置き、市を統轄し代表するものとされた。,市長が担当する事務の概目として、市会や参事会に議案を発しその議決を執行する権限のほか、財産及び営造物の,セシメ 上奏裁可ヲ請フヘシ」と決められ、初代札幌市長はこれによった。,市制施行からのち太平洋戦争敗戦までに、表2のように四人の札幌市長が誕生した。,表-2 札幌市長・同代理一覧 職名 氏名 就任年月日 退任年月日 備考 臨時代理 前田宇治郎
新札幌市史 第4巻 通史4 (委員会と議員協議会)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 市会選出委員は市会で選挙し、参事会員からは市長選任、市公民からは参事会の選挙によったが、大正十五年市制改正,たとえば「水利権獲得第一手段として、札幌電気軌道株式会社買収問題に支障を見、委員会に大激論を生ぜしめ久,各種委員会等ハ成ルベク市町村常会ニ統合スルコト」(内務省訓令一七号 昭15・9・11)との方針による改正で、札幌市,新たに札幌市常設委員会規程(告示一六九号 昭15・10・25)ができ、市会議員は教育、交通水道、土木警備,また市会の重要事項の審議に先立ち、または並行して、しばしば市会議員全員による議員協議会が開かれた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (高田市長の就任)

新札幌市史 第5巻 通史5上 / 高田市長の就任 初代公選札幌市長となった高田富與は、明治二十五年(一八九二)福島県大野村に生まれた。,札幌区山鼻小学校などで教員をした後、中央大学に学び、大正十二年弁護士を開業した。,昭和五年(一九三〇)に市会議員に初当選し、以後連続三期当選したが、十七年の翼賛選挙では落選した(推薦候補,十九年札幌市連合公区長会会長、二十年十二月札幌市食糧対策委員長、二十一年三月道地方労働委員会会長にそれぞれなっている,今回の市長選では、保守系の市会議員や市政功労者、連合公区長などの大きな支持を得、上原六郎前市長と原田與作助役
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