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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第3巻 通史3 (区会での軌道不許可)

区会での軌道不許可 区内の軌道については、四十年七月には馬鉄軌道敷設出願について、区公益上支障の有無諮問,ついで四月二十八日の区会で同諮問を審議したが、議員中様々の意見あるため理事者より撤回することにしたが(,となったが、四十二年二月二十六日札幌石材馬鉄に対しても、体面上と区の風致保存の必要上から不許可となった(札幌区会会議録 / 区会での軌道不許可
新札幌市史 第3巻 通史3 (初区会)

初区会 区会議員がきまり、初の区会に向けて準備がすすめられた。,の制定が急がれたが、まず議事をどのように始めるか、その規則の検討から取りかからなければならず、第一回区会,この記念すべき初日の様子を『北海道毎日新聞』(明32・12・14)は「札幌区会の成立」と題して次のように,茲に区会は成立せり。,十二月二十三日付区告示第一四号は「北海道庁長官ノ許可ヲ受ケ、区会々議規則左ノ通定ム」とし、区会の議決がはじめて / 初区会
新札幌市史 第3巻 通史3 (区会)

区会 区会は会議の必要あるごとに区長が会期を定めて招集し、区長が議長となり、開閉会の機能を有したので,区長は区会議長となるが、議長代理者を区会議員から一人選挙によってきめた。,明治四十二年区役所庁舎が新築されると、その二階が区会に充てられ「札幌区会議事堂ハ、自今札幌区役所樓上ヲ,区制期中の区会開会状況は表9のとおりである。,初区会の明治三十二年と最終年の大正十一年を除く二二年間を平均すると、年に八回の区会が開かれた。 / 区会
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道支部の役員構成)

大井上、藤井、中西、谷、富益は札幌区会議員も兼ねていた。,、関場は北辰病院院長、陶は北海道警部長、高岡は北海道内務部地方課長事務取扱で、森、笠原、上野の三人は札幌区会議員,嘱託の阿由葉は後の札幌区会議員である。,支部の役員の中に、当時の札幌区の実業界を代表する人物(札幌実業協会会員)が多数含まれ、そのほとんどが札幌区会議員
新札幌市史 第4巻 通史4 (薄野遊廓移転問題)

札幌区会の度々の移転要望に対し、道庁は明確な方針を示さなかった。,その理由の一つに、区の要望は区会の議決によったのではなく、区会議員の協議会の意見に過ぎないとして、これを,そこで「遊廓移転ニ関スル建議」案を、大正五年二月二日の札幌区会で修正可決し、道庁に再度の要望書を提出したのである,(札幌区会会議録 大5 第一回)。,区会ハ地元ノ関係上、其ノ意見ヲ当該官庁ニ致スニ外ナラヌモノト考ヘマス。
新札幌市史 第4巻 通史4 (医科大学設置問題)

札幌区会は区立病院を国に寄付することはできないが、総合大学誘致のために「医科大学設置費ノ内、金百万円ハ,本区ニ於テ引受ケ、国庫ニ納付スルモノトス」(札幌区会会議録 大5 第八回)る決議をするに至った。  ,道庁は札幌区会の問題であり道会の論議になじまぬとしたが、阿由葉宗三郎議員(札幌区会議員でもある)は「今日
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

北海道鉄道百年史』上、『札幌区統計』(明43刊)、『札幌市統計一班』、『札幌区状態一班』、『北海道庁勧業年報』、『札幌区会会議録, 明治四十二年』『区会決議録 明治四十一年』(以上〔区会関係書類〕札幌市)、財団法人自転車道協会編『自転車道必携
新札幌市史 第4巻 通史4 (下水道計画)

下水道計画 大正五年、阿部区長時代に調査報告の形で下水道計画が発表された(大正五年区会会議録)。,その後十一年に「下水道工事費補助申請の件」が札幌区会に提案された。,不可ナリ」という意見や、施工地域が中心部に偏っているなどを指摘され、採決の結果否決された(大正十一年区会会議録
新札幌市史 第3巻 通史3 (大学昇格の具体化)

同年六月七日には札幌区会議員の土屋轍、村田不二三、斉藤亨の三人は「帝国大学設立ニ関スル建議」を提出し、,区会で可決された。,同年十一月二十一日には札幌区会は「札幌農学校ヲ農科大学ト為スノ意見上申」を内務大臣原敬に提出し、同大学
新札幌市史 第4巻 通史4 (区制時代の上水道計画)

区制時代の上水道計画 前巻で示したとおり、大正八年六月札幌区会で「上水道布設の件」が可決確定した。,そして総工費三二三万三三〇〇円とその内訳を示す「札幌区上水道工事費予算」が添付されていた(区会関係書類,これは大正十年五月の区会の「上水道布設ニ関スル区会議決変更ノ件」で再確認された。,国庫補助申請ノ件」「区営電気事業及上水道事業経営ニ係ル議決ニ付帯議決ノ件」も同時に提出され、可決確定された(区会議事録
新札幌市史 第4巻 通史4 (市制施行)

内務大臣名で同日付札幌区会に「其ノ区ヲ廃シ、其ノ区域ヲ以テ札幌市ヲ置カムトス。,仍テ其ノ会ノ意見ヲ諮フ」文書が出され、五月二十日札幌区会は区を廃し市を置くこと、財産を包括し新しい市に,帰属させることに同意した(区会会議録 大11)。  
新札幌市史 第3巻 通史3 (区長)

就任することになるが、区会における第一候補の選出が重要な役割を果たす。, 7.  31  区助役* *…大正11年8月1日以降市制,継続  札幌区会,第一回札幌区会における区長候補者の選挙は、区会議員選挙の混乱を反映し、実業協会派と憲政党派がそれぞれ候補者,札幌区会の成立は、明治32年12月13日で、その区会において区長候補者3名を選挙し、うち1名が天皇裁可,推挙を得て区会議員協議会を開き、十月二十九日やっと候補者選挙にこぎつけた。
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌立地)

札幌側は当初これを〝浮説〟として深刻に受け止めず、開会中の札幌区会で多少話題になった程度である。,札幌区会が表面に出ることは難しかったので、もっぱら秘密会とし、函館、小樽区会とも札幌永続の支持に傾いた
新札幌市史 第3巻 通史3 (アイヌ実業補習学校の円山村設立計画)

藤井と中西はともに弁護士で、札幌区会議員も兼務していた。関場は北辰病院院長であった。,道毎日 明33.8.18)  こうした集会は札幌区だけではなく、八月二十日には小樽区でも開催され、区会議員
新札幌市史 第4巻 通史4 (区制から市制へ)

②執行機関の権限を強化し、参事会を置かず、区長が区会の議長や委員会の長となって執行機関の優位性を確保していた,③したがって区会の機能は制約され、その議決事項は制限列挙式で枠がはめられ、自律性を損う結果となった(市史,こうした問題は早くから指摘され、区制施行早々から、札幌区会において区制の改正を主張する議員がおり(同前
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市への編入運動)

これを受けて札幌区会でも、「札幌村ノ一部ヲ札幌区ニ編入スヘシ」という建議案が出されていた。,(大正十年区会議事録)  この建議案は、「経画調査会ノ調査ヲ待ツコト」として否決されたが、これとは別,続いて十一年一月二十九日の区会でも、 同シ鉄北ニ於テモ西部〔創成川以西〕ハ已ニ北二十四条迄アルニ、東部,との理由で、札幌区の市制施行以前に編入するとの建議案が出され、今回は可決採択されていた(大正十一年区会関係書類
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道同志俱楽部)

三十一年憲政党内閣の成立を迎え、札幌でも集会及び政社法にもとづく団体の組織化が論じられるが、三十二年札幌区会設立,の時点でなお「政党員は断じて区会に入るべからずとの意見」(最近之札幌 三一頁)が根強かった。  
新札幌市史 第3巻 通史3 (初選挙)

総代人制度を取捨し札幌区会を成立させる経緯をここでみることにする。  ,北海道庁は区制にもとづき、区会議員選挙順序と選挙資格調査心得を定め、三十二年十月一日現在で選挙人名簿を,区制第三九条により札幌区公民(四四頁参照)は原則としてすべて区会議員の選挙権を有するから、十月一日の名簿調整,しかし縦覧によって名簿からの脱漏、級別変更の申立があり、道庁において調査裁決の結果、初の区会議員の選挙人,こうして決定した初の区会議員二四人の氏名は表6のとおりである。
新札幌市史 第3巻 通史3 (庁舎と位置)

こうした事情は函館・小樽両区も同じで、仮住まいからの独立を目論み、札幌区会では三十三年九月十八日「只今,ノ区役所ハ支庁ノ一部ヲ借リ、不便且不体裁ト考ヘラレマスガ、是ハ何時迄此儘ニ」(明治三十三年区会決議録),しかし、一個人への付与が伝えられ、区は払下不許可の指令を受けるにおよび、区会はもとより新聞、世論は一斉,区会は四十年八月、区役所敷地三六〇〇坪と庁舎及び付属建物を八万一〇九七円余で売却することを決定し、その,北三条東一丁目の土地を九月いっぱいで立ち退くことになり、北五条西三丁目番外地への位置変更を九月二日の区会
新札幌市史 第3巻 通史3 (連絡道路の整備)

札幌区会の開会中でもあり、区会議員の同意を得て、札幌と小樽から委員を出して請願することになった(道毎日
新札幌市史 第3巻 通史3 (新支部)

こうして新しい支部は札幌区会議員の初選挙に向けて予選の組織化を急ぐことになり、札幌実業協会と議席を争う,初区会議員選挙の結果は別項で触れたが(五四頁)、本部と支部が必ずしも一体的な動きをせず、支部の要望を本部
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

これにより札幌区会および各村会の議員選挙が行われることとなった。,札幌区(市)のデータは,1899年(明32)~1917年(大6)では3年ごとの区会選挙時の有権者数しかわからないが
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌農学校の大学化の理由)

札幌区役所『北海道帝国大学設立趣意書』中に綴じ込まれている「北海道大学設立ノ必要ナル理由」と題する文書は、札幌区会
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (凡例 明治以降)

(省略)  市=札幌市,区会=札幌区会,市会=札幌市会(1947.5.2の地方自治法施行以前),市議会
新札幌市史 第4巻 通史4 (職務権限)

職務権限 『北海道区制』にもとづく札幌区会と、『市制』による札幌市会の主な相異点として、①職務権限が,区会にはこれがなかった。,③区会議長には区長が就くことになっていたが、市会では議員中より選挙によって議長と副議長を決め、会議を総理,市会の招集は市長権限で、議長は開議及び閉議を宣するものとされ、議場は区会を引継ぎ市役所二階をそのまま使用
新札幌市史 第3巻 通史3 (鉄道院札幌工場の成立)

四十年初めには鉄道院「本工場」設立が噂され、札幌村苗穂がその候補地として名乗りを上げ、札幌区会議員、札幌商業会議所議員
新札幌市史 第4巻 通史4 (阿部区長の市制策)

下心をもって開かれたのが、大正七年の開道五十年記念行事で、その一つとして第一八回全国市区長聯合会議が札幌区会議事堂
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌農学校の大学昇格運動)

札幌区会では一月三十一日に「北海道大学設立建議調査委員」の花村三千之助が、「札幌農学校ヲ拡張シテ北海道帝国大学
新札幌市史 第4巻 通史4 (魚市場をめぐる資本家と仲買人)

中西八百吉は、石炭・石材商を経て大正二年七月に就任したが、他に定山渓鉄道取締役、北海採炭常務取締役、札幌区会議員
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (『新札幌市史』編集の経過)

』編集の経過 1 はじめに  札幌市では,札幌区制施行12年にあたる明治43年(1910)1月,札幌区会
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