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新札幌市史 第4巻 通史4
(女子公民権案と市会)
女子公民権案と
市会
大正十三年十二月十三日、婦人矯風会理事久布白落実や婦選運動家市川房枝等を中心として,それに続けとばかりに十二月二十六日、
札幌市会
(第6回)に立憲政友会の木下三四彦議員により、「女子に公民権,(昭和四年第六回
札幌市会
会議録) と述べ、まず
市会
議員選挙の公民権の資格を付与してはどうかといった意見,しかし、
市会
では「時期尚早」として出席議員二七人中賛成一三、反対一四で否決された(第一期第二期
札幌市会
小史 / 女子公民権案と
市会
新札幌市史 第4巻 通史4
(市会の人格化)
市会
の人格化 第二期
市会
議員は、当選まもなく昭和の世を迎え、連年の冷害凶作、慢性的経済不況下にあって,すなわち、
市会
議員や参事会員は
市会
の議決事件につき発案権を持つことになり、
市会
は広く関係行政庁に意見を,しかし、太平洋戦争終結時に至る六期の
市会
構成をみると、この第三期
市会
に最も自治権の厚みをみることができよう,の問題が、政界浄化、政党解消、ファッショ謳歌、選挙廓清へとつながり、
札幌市会
を〝人格化すべし〟との呼びかけへと,それでは
札幌市会
を〝人格化すべし〟という呼びかけは、この選挙によって実現したのだろうか。 /
市会
の人格化
新札幌市史 第4巻 通史4
(第六期市会議員)
第六期
市会
議員 市常会で決定をみた市長案にもとづき、札幌市翼賛
市会
確立協議会結成会は、十七年九月一日札幌神社,こうして第六期の
市会
議員を選ぶ投票は十七年十月三日に行われ、推薦候補者四三人中二八人が当選して新
市会
の,④
市会
の職務についてその議決事項を限定して、概括主義を制限列挙主義に改め、法律で定めた以外の事項は
市会
,⑤
市会
では予算の増額修正ができないことになり、会期制を採用し、また
市会
の権限の一部を参事会に移した。,
札幌市会
の第六期選を最後に、各種選挙は非常時との理由で延期され、次回選挙は敗戦後新制度にもとづき、昭和二十二年四月三十日 / 第六期
市会
議員
新札幌市史 第4巻 通史4
(発電事業の公営計画)
札幌水電の買収を必要と考えた
札幌市会
は、十二月の
市会
議員協議会で札幌水電の買収を決定して、合併阻止の動,しかし札幌市による買収も成功しなかった(北タイ 昭6・2・16、17、18、20、21、
札幌市会
小史
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画地域の問題)
札幌市会
議員の福島利雄から、桑園方面の住居地域の決定と、札沼線の開通による桑園周辺の工場地帯化について,そのため
札幌市会
議員の吉田豊吉から、札幌市民としても桑園方面を工場地帯として発展させたいという希望があるので,工業地域外であるため、工場誘致に支障があるとして、工業地域への変更を関係当局に働きかけるようにという建議案が
市会
,に提出されていたのである(昭和十一年
札幌市会
会議書)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
大10)、『区会会議録』(大5、11)、『区会関係書類』(大8)、『札幌市訓育ニ関スル施設計画』、『
札幌市会
会議録,』(大12、13、昭3、4、14)、『
札幌市会
書類』(大14)、『(札幌)
市会
会議書類』(昭7、8、10
新札幌市史 第4巻 通史4
(民営バスの買収)
七年三月の
市会
で、札幌市電気事業費の七年度予算の説明の中で「バス路線ノ統制ヲ計リ、其ノ円満ナル発達ニ資,そのために電気軌道委員規定を設定し、委員を選出した(昭和七年第一回
札幌市会
会議録)。,十二月の
市会
では、「札幌乗合自動車株式会社ノ事業及物件譲受ノ件」とそれに関連して起債の条例とバス路線追加,会社の解散の約束もしていることが、上京中の橋本市長に代わって関崎助役から表明された(昭和七年第三四回
札幌市会
会議録
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
)会会議録』『市(区)会関係書類』『札幌市(区)事務報告』『市制準備関係書類』『大正十一年十月執行の
札幌市会
議員選挙,の選挙又は当選に関する申立関係資料』『
市会
会議書類』『札幌村札幌市境界変更関係書類』『白石村事務引継書,烈々布会館蔵)、『札幌村会議案』(札幌村郷土記念館蔵)、『公区精神』(札幌市長三沢寛一)、『札幌市議会史』、『
札幌市会
小史
新札幌市史 第4巻 通史4
(職務権限)
職務権限 『北海道区制』にもとづく札幌区会と、『市制』による
札幌市会
の主な相異点として、①職務権限が,翌十二年五月の
市会
では、速記者を配置し速記による議事録の作成が建議される。,のほか
市会
会議規則、傍聴人取締規則を審議し、ここに
札幌市会
は発足したのである。,五七頁)にまとめられており、第一~六期別の『
札幌市会
小史』各巻に詳しい。,4回 会期日数 17 7 57 合計 168回 会期日数 987日 399日 2190件 6期 『
札幌市会
小史
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画委員会北海道地方委員会委員の選出)
都市計画委員会北海道地方委員会委員の選出 次いで十二年の都市計画法施行にともない、八月二十八日の第六回
市会
,で
市会
議員から選出すべき都市計画北海道地方委員の選挙を行った。,選出される
市会
を開く以前からの根回しで
市会
内の各派に割り振られ、
市会
の投票に付さず、「例の妥協的情実的銓衡委員,実際に
市会
では、議長指名の五人の銓衡委員が指名する方式で、論議は行われずに選出した(大正十二年
札幌市会
会議録,また足立以外は、選出
市会
以前に新聞紙上に噂の下馬評として予測されていた人物であった(北タイ 大12・8
新札幌市史 第4巻 通史4
(市制後の上水道計画)
市制後の上水道計画 札幌の市制が施行された直後の十一年十一月の
市会
で、「上水道布設ノ件」が提案され、,その後、昭和三年度の予算をめぐる
市会
での議論の中で、水道計画の具体案がいつ提出されるのか、という質問が,出される(
札幌市会
会議録 昭3)。,市長の答弁では、水利権の問題もあるがまだ具体的な計画案ができあがっていないということであった(昭和三年
札幌市会
会議録,・27)、「電業、上水道の前途は依然闇」「一部は修正され/上水道は大体諒解」(昭7・12・13)、(
市会
新札幌市史 第2巻 通史2
(市(町)会所・区務所の位置と名称)
されるが、『札幌区史』によると移庁は五年十一月であり、同年十二月三日に改暦となった六年一月一日をもって
札幌市会
所,六年十二月
市会
所は後志通一〇番地(現大通西三)の商館官舎に移り、八年春その東隣(後志通九番地)の平屋官舎,七年二月大小区制がしかれた後も
市会
所と呼ばれた名称は、その後第一大区区務所と呼ばれるようになった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(普通選挙の実現)
普通選挙の実現 最初の
市会
議員が任期満了となる大正十五年(一九二六)十月三日、第二期議員の選挙が行われた,これによる
札幌市会
議員選挙は浜松市に次ぐ二番目で、全国から普選の前途を占うものとして注目を集め、「全市,表-7
市会
,道会,衆議院議員選挙の有権者数 年
市会
道会 衆議院 備考 大11 12,733人 2,810,2.昭和20年11月1日現在,
市会
,道会,衆議院とも112,196人。,
札幌市会
を政党論争の場にすべきでないとの意見が根強く、「市政の政党化は最も忌むべきところ、札幌市が兎も
新札幌市史 第4巻 通史4
(議長・副議長)
任期は議員の任期に依ったから、各期
市会
議員の選挙後初の
市会
でその都度選出され就任した。 ,
札幌市会
議員には大正十一年初当選し、同時に議長に選出された。,
市会
における議長選挙で、代筆投票問題が起こり紛糾したあげく、
市会
廓清札幌市民大会まで開かれ、再選挙の結果,、同数年長者として議長に就任したが、以後三、四、六期の議長もつとめ、
札幌市会
の顔となった。,
市会
議員としては第二期区会(明35)に議席を得て以来、第六期
市会
(昭22)までの間で一期を欠いたのみである
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌駅などの改築)
札幌駅などの改築 昭和二十一年八月札幌駅の改築について、第三期北海道拓殖計画に要望するように
札幌市会
議員協議会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(食糧メーデーと食糧確保運動)
札幌市民食糧管理協議会」を結成し(道新 昭21・5・5)、二十二日、市設置の「札幌市食糧対策委員会」と合流して
札幌市会
及
新札幌市史 第4巻 通史4
(電車の買収方針)
そこで十二月の
市会
で、「電気軌道買収ノ件」が提出され、若干の質疑で可決された(
札幌市会
会議録 大13)
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正二年の紛争)
大正二年、篠路農場の新管理人として赴任した川崎繁実(後の
札幌市会
議員)は、前年に引き続いてまたもや小作料
新札幌市史 第5巻 通史5上
(公区制度の改革)
改正が行われた直後の
市会
では、一議員から「今後ノ公区ハ民主的ナ性格ヲ有タセマシテ札幌市政トイフモノデモ,ニシナケレバナラヌ」との見解が示され、これに対して上原市長は同感であると答弁している(昭21第一回通常
札幌市会
速記録
新札幌市史 第4巻 通史4
(上原六郎)
昭和十八年市制改正により、市長は
市会
の推薦により内務大臣が勅裁を経て選任することになり、もし
市会
が候補者,三沢市長の任期は昭和二十年七月十六日までだったから、その一カ月前の日付で内務省から
札幌市会
に新市長の候補推薦,こうして七月二十五日
市会
において、上原市長候補者推薦の件が可決され、直ちに内務大臣に送付されたが、すでに,七月十五日予定の
市会
は空襲警報発令によって流会し、上京した交渉委員は交通事情の悪化でなかなか帰札できず,、通信さえ思うにまかせなかったから、遅延はむしろ当然であり、
市会
推薦通り八月十四日上原市長は勅裁を経て
新札幌市史 第4巻 通史4
(上水道の給水)
のためにはその工事を市費で負担してはという意見が出され、市長もその意向を持っていた(たとえば昭和九年六月の
市会
,そこで十年二月の
市会
で「自昭和十年度至昭和十一年度札幌市上水道給水工事費継続年期及支出方法」が提案され,、三月九日可決され、市債を発行して工事費にあてることにして、水道の普及を図ることにした(
札幌市会
会議書類
新札幌市史 第4巻 通史4
(第一期下水道及び側溝敷設工事計画)
第一期下水道及び側溝敷設工事計画 大正十四年六月の
市会
に「国庫補助申請ノ件」が提案され、同月十二日可決,三一路線二万五三八四間にコンクリート土管を使用し、総工費一〇七万円で行われることになっていた(大正十四年
札幌市会
書類,また、同年七月の
市会
には「土木費補助申請ノ件」が提案され、同月二十日に可決された。,、汚水溜桝築造費は二万八〇〇〇円で、コンクリート製一一二〇個を設置するという計画であった(大正十四年
札幌市会
書類
新札幌市史 第4巻 通史4
(翼賛選挙)
このあと十月に第六期
札幌市会
議員選挙を迎えるため、
市会
議員は非公式に推薦制度のあり方を話し合うようになり,支部では直ちに推薦制実施に向けて、札幌市翼賛
市会
確立協議会の設立準備と、市常会に提出する原案の作成を進,市常会は八月十五日に開かれ、
市会
議員選挙に推薦制を採用することを最終確認し、候補者推薦制要綱、銓衡方法,それによれば、翼賛
市会
確立協議会の委員は一〇〇人で、公区聯合公区選出七三、市常会銓衡二七人をもって構成,こうした制度や市長の態度について、十七年第四回、第五回
市会
で取り上げようとした議員はいたが、いずれも
市会
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市第二期下水道及び側溝工事)
六年三月の
市会
で議決され、七月工事着手、下水道総延長二万三五二八・九メートル、側溝総延長六万一〇八・五八,11条線 7,9,10 北11東7~伏篭川に放流 『札幌市第二期下水道事業概要』(昭11),『昭和六年
札幌市会
会議書類
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画区域の申請と決定)
市会
では九月七日付の都市計画北海道地方委員会幹事諸橋襄の名で高岡直吉市長宛に諮問案として提出された。,
市会
の審議では、市長から「コノ区域通リデ差支ヘナイ。,当
市会
の四番議員(助川貞二郎)から、「内務省ト協定シタ案デアッテ、仲々変更スルコトハ容易デナイト云フコトデモアリ,その結果札幌市の都市計画区域は諮問案通り
札幌市会
を通過した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(道新「五三名事件」)
十八日に
札幌市会
議事堂で行われた道新社員への講演で、インボデンは、道新が「共産党の機関紙(中略)になりたいのなら
新札幌市史 第4巻 通史4
(市街地の拡大)
また
札幌市会
の陳情書の中に、札幌市内の豊平町と白石町の町民が町民大会を開催して決議した陳情書がある。,苗穂町ノ併合時ヨリ三十一割五分山鼻町ノ二十七割一分ノ増加歩合ノ如キ」に急増しているとする(大正十四年
札幌市会
書類
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市の道路新設)
した豊平町と白石町の町民大会にもとづく陳情書には、やはり同地域の道路網設定が要望されている(大正十四年
札幌市会
書類,地域が桑園方面に貫通する路線開削のために、北海道大学の敷地の一部を解放するよう建議がなされた(昭和八年
市会
会議書類
新札幌市史 第4巻 通史4
(尋常科授業料の全廃)
この授業料は「全道一の高額」で、毎年の予算
市会
では必ず問題となっていた(北タイ 昭2・1・19)。,大正十五年の第二回
市会
で池田新三郎議員が授業料の全廃の意向を質したのに対して、高岡市長は教育施設の整備,同じ
市会
で、池田議員は尋常科授業料を三〇銭から二〇銭へ減額する修正案を提出したが、賛成少数で否決となった,だけでも五万円の歳入となっているので全廃する意志はないが、二年度から若干の減額措置を講じることを明言した(
札幌市会
小史,各小学校保護者会の代表委員は役員と協力して、通学区域内の
市会
議員を訪問し、陳情の趣旨の理解とそれへの支援
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長制と札幌市中の事務)
事務の煩雑化にともない六年二月
札幌市会
所も事務分掌がはじめて規定される。,会所内を検査方・出納方・受付方に分課し、検査方は市中一般の事務、出納方は貸与受納及び
市会
所経費、受付方,この区長たちと
市会
所との関係は、区長たちが
市会
所の上位にいて、市在の事務を細大となく合評し、区長は一・,六の日、権区長は隔日に
市会
所へ出頭して
市会
所の事務を監督するものである。,一方
市会
所の受付方・出納方双方の副戸長は、申し合いで五日交番で一人が開墾局へ詰めることになっていた(市史
新札幌市史 第5巻 通史5上
(公区制の廃止・市民会の創出と挫折)
同年二月六日、
札幌市会
議員協議会において「公区制度廃止にともなう民主的な組織」を作るために公区制度審議委員会,を設置することとなり、委員として「連合公区、公区の長および役員から十名、
市会
議員から五名、市内学識経験者
新札幌市史 第4巻 通史4
(バス事業の市営化)
バス事業の市営化 バス事業の市営化について、昭和四年九月三十日の
市会
において、議員からバスの営業をすることで,このような質問が出るのは、質問の中に以前に七大都市の実状を調査したという言葉もあり、
市会
議員の中に市内交通,そこで十二月の
市会
において、「一般交通ノ便宜ヲ考ヘマシテ電車ノ補助機関ト致シマシテバスヲ経営シタイ」と,からの提案の仕方について種々議論の後、電車との関係や民営バスとの関係などについての質疑の後、可決された(
札幌市会
会議録,その後五年一月の
市会
で運転計画案が公表され(北タイ 昭5・1・9)、一月十一日道庁長官に許可稟請した(
新札幌市史 第4巻 通史4
(参事会)
一
市会
ノ権限ニ属スル事件ニシテ其ノ委任ヲ受ケタルモノヲ議決スル事 二 市長ヨリ
市会
ニ提出スル議案ニ,ヲ述フル事 三 其ノ他法令ニ依リ市参事会ノ権限ニ属スル事件 一項目については、市制第四三条で「
市会
,ハ其ノ権限ニ属スル事項ノ一部ヲ市参事会ニ委任スルコトヲ得」とあり、
札幌市会
は委任事項を次のように決めた,より選出された六人の会員をもって構成されたので、
市会
での会員選挙が重要案件となった。,それまでは
市会
に準じていたが、会議の公開は原則として許されなかった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(一級議員の再選挙)
者が投票しているとして、いずれも当選者の取消と選挙のやりなおしを求めたのである(大正十一年十月執行の
札幌市会
議員選挙,市役所は市制第三六条にもとづき、四件の申立を議案として最初の
市会
に提出した。,これにより
市会
としては四件すべての異議を認めないことに決定したのである。 ,これを受けて
札幌市会
は対応を協議した結果、道参事会の決定に誤りがあるとして、これの異議申立を国の行政裁判所,『
札幌市会
小史』(第1~6期)を基に,『札幌市公報』『札幌市事務報告』『北タイ』により加除修正した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
『北海道職業行政史』、札幌少年職業指導協会機関誌『少年職業』、札幌市立第一高等小学校『経営一年』、『
札幌市会
小史
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
研究』、『北辺の出稼と労働関係』、筆宝康之『建設労働経済論』、『北海道開拓殉難者調査報告書』、『札幌市
市会
議員有権者名簿,山口美代子編『日本婦人問題資料集成』第一〇巻、日本廓清会編『廓清』第一九巻八・九号、二一巻七号、二二巻八号、『
札幌市会
会議録,』(第六回 昭4)、『
札幌市会
小史』(第一期第二期)、婦選獲得同盟編『婦選』(昭和六年九月号)、札幌女性史研究会編
新札幌市史 第4巻 通史4
(成立の経緯)
二、一八 記念事業委員会小委員会 二月十九日両回開催原案ニ若干修正ヲ加へ可決答申ス 一五、二、二三
札幌市会
,銃後奉公会実行班長、聯合衛生組合長、同副組合長、各組合長、火災予防組合聯合会長、同副会長、同各組合長、
市会
正副議長,第二点は、市長案の実質的審議が札幌神社祭典区委員会と紀元二千六百年記念事業委員会においてなされ、
市会
はその,結論を形式的に諮問されたにすぎなかったことで、後日の
市会
と常会の関係を暗示していたともいえる。 ,このほか札幌護国神社拡張造苑と円山町合併が含まれ、公区創設を加えることに反対した議員が退場した上で、
市会
新札幌市史 第4巻 通史4
(本署新築)
札幌市会
は昭和六年三月意見書を可決し、「市勢ノ進展ニ伴ヒ警察事務モ亦益々増加シ、従来ノ設備ヲ以テシテハ,仍テ速ニ改築ヲ実行セラレムコトヲ望」(
市会
会議録 昭和六年第一回)んだ結果、九年十一月鉄筋コンクリート
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画事業の実施)
十四年になると、都市計画事業の執行について、
市会
で小谷議員から「時局ハ重大ニシテ総テヲ延期シテ居ル時節,この年、都市計画事業は前年度の繰越し分の舗装工事や街路樹植栽を行った程度であった(昭和十四年第一回
札幌市会
会議録
新札幌市史 第4巻 通史4
(神社参拝問題の発生)
第二八回通常北海道会では、札幌市立高等女学校の女教師(カトリック教徒)が大嘗祭に神社の玉垣外で参拝したとして
札幌市会
新札幌市史 第4巻 通史4
(道都意識)
この階層分化は
市会
議員選挙をはじめ衆議道議選に直接影響を及ぼし、札幌の文化発展にかかわることでもあった,しかし、
札幌市会
の機能や市民の自治観が全道市町村の模範たり得たというのではない。
新札幌市史 第4巻 通史4
(青果市場問題)
また、
札幌市会
議員松本菊次郎、琴似村農会は桑園市場を開設、円山朝市が閉店している午後三時から開店する方針
新札幌市史 第5巻 通史5下
(鉄道の高架化)
鉄道を高架とする希望については、昭和四年(一九二九)にすでに
札幌市会
で意見書が可決されていた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画委員会北海道地方委員会の開催)
第七師団参謀長斎藤瀏、北海道帝国大学教授高岡熊雄、札幌鉄道局長斎藤真澂、北海道会議員前田政八、同林儀作、同村田不二三、
札幌市会
議員松田学,、小樽
市会
議員河原直孝、函館
市会
議員恩賀徳之助が指名された(北タイ 大15・6・4、高岡松岡旧蔵パンフレット
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(凡例 明治以降)
(省略) 市=札幌市,区会=札幌区会,
市会
=
札幌市会
(1947.5.2の地方自治法施行以前),市議会
新札幌市史 第4巻 通史4
(市内商工業者の階層と地理的分布)
また、昭和十年第一回
市会
において、ある議員が「商工会議所ノ調査発表スル所ニ依ルト物品販売業者トイフモノハ,八千二百五十三戸 ソノ中四千九百五十戸ハ所謂小売商人デアル……」(笹沼孝蔵議員の質問 昭和十年第一回
札幌市会
速記録
新札幌市史 第4巻 通史4
(三期にわたる「札幌市教育五年計画」)
しかし、計画完了の時点でも、普通教室の特別教室への転用が依然として行われていた(
札幌市会
小史 第一期・
新札幌市史 第4巻 通史4
(軍用施設)
軍用飛行機献納運動をくりひろげ、札幌村ではいち早く飛行場開設記念として「札幌村号」を海軍省に寄贈したが、
札幌市会
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
1080 小樽市史 第3巻 1081 伊藤組九十年史 1082 伊藤組百年史 1083
札幌市会
小史, 第1・2期 1084
札幌市会
小史 第3期 1085
札幌市会
小史 第4期 1086
札幌市会
小史, 第5・6期 1087
札幌市会
小史 第7期 1088 札幌市議会小史第11期 1089 ,タイムス社) 1730 札幌とともに半世紀(NHK札幌放送局編) 1731 大正15年札幌市
市会
書類,(札幌市蔵) 1732 昭和4年第6回
札幌市会
会議録(札幌市蔵) 1733 北海道通運業連盟
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