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新札幌市史 第5巻 通史5上
(大谷派と東本願寺札幌別院の活動)
大谷派
と
東本願寺
札幌別院の活動
大谷派
と
東本願寺
札幌別院の活動に関しては、『
東本願寺
北海道開教史』(,昭25)、『
東本願寺
北海道開教百年史』(昭49)に詳しい記述があるので、これをもとに紹介していくことにする,戦時中、活動が停滞していた
東本願寺
札幌別院では、昭和二十一年三月に札幌大谷青年会、四月に札幌大谷日曜学校,宗門の民主化にともない
大谷派
の各寺院では門徒会がつくられたが、札幌別院でも二十四年三月に結成され、門徒 /
大谷派
と
東本願寺
札幌別院の活動
新札幌市史 第2巻 通史2
(東本願寺別院)
東本願寺
別院 現如法嗣一行の函館での協議の結果、別院創立のため四人が任命され、彼らによって同年十月に,さらに十四年六月、宗派名を
大谷派
と改めたことにより、真宗
大谷派
本願寺札幌別院となった。,写真-4 真宗
大谷派
本願寺札幌別院 移築時の原形をほぼ保っているといわれる(北海道毎日新聞 明治24 /
東本願寺
別院
新札幌市史 第3巻 通史3
(教団・教派幹部と高僧の来札)
32年 8 月 大谷光演(
大谷派
東本願寺
法主) 33年 6 月 山下現有(東京、増上寺住職) 33,37年 8 月 加藤咄堂 39年 5 月 神谷大周(知恩院門跡代理) 39年 5 月 大谷光演(
大谷派
東本願寺
法主,) 39年 8 月 大内青巒 39年 9 月 大谷光瑞(本願寺派
東本願寺
法主) 39年 9 月 ,) 40年11月 井上円了(文学博士、
大谷派
) 41年 7 月 新井石禅(曹洞宗永平寺貫主) 41,村雲日栄(瑞龍寺門跡、日蓮宗) 42年 8 月 釈宗演(禅師、曹洞宗) 42年 9 月 大谷光演(
大谷派
東本願寺
法主
新札幌市史 第5巻 通史5下
(大谷・本願寺派と札幌別院)
施設では北海道
東本願寺
青少年研修センター(中央区伏見町五)が、親鸞聖人誕生八〇〇年、立教開宗七〇〇年、,北海道教区教務所と研修センターからなる北海道
東本願寺
会館(南七西七)も、平成九年十一月十日に完成し落慶法要,青少年の教化育成を目的とした、北海道教区視聴覚研究会は五十一年三月十日に設立され、毎月の公開講座である
東本願寺
会館講座,本山
東本願寺
の宗務問題がもとで市内では、五十四年三月に本光寺、法国寺、浄恩寺、兼正寺、四月に北栄寺、白鳳寺,、六月に慧林寺、以上の七寺が
大谷派
より離脱しそれぞれ単立となっていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部寺院の創立)
これに
大谷派
別院(山鼻村)・経王寺(豊平村)など基幹的寺院を除く既設の日登寺(琴似村)・本龍寺(札幌村,;9. 6 篠路村 浄土宗 浄恩寺 19. 10. 4 琴似村 真宗
大谷派
,法国寺 20. 3. 8 苗穂村 真宗
大谷派
慧林寺 24. 12,豊平村 真宗
大谷派
教願寺 28. 9 篠路村 真宗
大谷派
長専寺 29. ,;9 白石村 真宗本願寺派 『北海道毎日新聞』『龍雲寺史』『北海道百年曹洞宗寺院誌』『平岸百拾年』『
東本願寺
北海道開教百年史
新札幌市史 第2巻 通史2
(創立補助と維持)
創立補助と維持 この時期いち早く「布教」を開始したのは
東本願寺
(
大谷派
)であった。,設立については、十二年設立願の提出された
東本願寺
派の琴似説教場の場合は「本山費ヲ以テ建築等候義ニ付」(,さらに苗穂村の
大谷派
説教場のように土地一町五反を寄付し、「作得バ都テ永続ノ法ニ供ス」(札幌県治類典 道文七四
新札幌市史 第3巻 通史3
(婦人会組織の創設)
続いて
大谷派
では、四十二年八月十二日に
東本願寺
別院にて
大谷派
婦人法話会札幌支部が創設され、九月四日に
東本願寺
法主
新札幌市史 第2巻 通史2
(監獄教誨)
同年十月には札幌神社も出願、許可を得、まもなく
東本願寺
管刹もこれに加わった。,十五年頃から
大谷派
が主体となり、十八年には同派から五人の教誨師が出ており、十月一日には本山から同監獄署
新札幌市史 第4巻 通史4
(真宗の動向)
さらに九年七月八日には
大谷派
札幌別院擁護会も創設となっている。,していたこともあって、北海道教区では大正七年五月十二日に開道五〇年を記念して廟塔を札幌に建設することを決議していた(
東本願寺
北海道開教史,福祉事業では、
東本願寺
別院が大正十四年四月十五日に山鼻幼稚園を開設し(昭17・11札幌大谷幼稚園と改称,写真-5
東本願寺
別院(上)と西本願寺別院
大谷派
の北海道寺務出張所では、出獄者の保護と授産を,同場は大正二年六月八日に別院内より苗穂へ移転し(
東本願寺
北海道開教史)、九年三月に法人組織となる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所)
ついで十五年六月、やはり真宗
大谷派
から苗穂村五五〇番地に説教場開設願が提出され、八月十六日付で許可を得,また、のちの教願寺は、八年から
東本願寺
札幌別院が毎月篠路村に出張布教を行ったのを起源とするが、説教場建設年,篠路村説教場留守居申付け史料があることから、おそらくこの頃に説教場が設置されたものと思われる(寺院説教場関係
東本願寺
札幌別院
新札幌市史 第2巻 通史2
(檀家の区域)
苗穂村の
大谷派
説教場は、苗穂村住民のほか丘珠・札幌・雁来から檀家総代が出ており、四村を区域としていることを,村落部では十七年に青森県から札幌に入植した山本徳太郎は、「禅宗であったが近くに寺もなく智徳寺(真宗
大谷派
,四年
東本願寺
の建設さるるや三部右衛門等其の世話方をなす。,このため、
東本願寺
では十三年にこのようなことのないよう末寺に達しており、また前述の「布教」もこの状況をふまえて
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所の設立)
、基幹的寺院等の主導によって、おそらく寺院に引直しの予定をもたずに説教所として設立されたもので、真宗
大谷派
,写真-4
大谷派
札幌別院の説教場設計斜面図(寺院説教場関係
東本願寺
札幌別院) これ以外の大半は寺院設立,真宗本願寺派、丘珠村―のち高恩寺)、二十五年(日蓮宗、経王寺教会所、新琴似兵村―のち光明寺)、二十八年(真宗
大谷派
新札幌市史 第5巻 通史5下
(教団史の編纂)
大谷派
は従来より開教史の編纂を重視しているところであり、戦前には『北海道
東本願寺
由来』(明45)、『北海開教記要,』(大4)などをまとめ、戦後も開教八〇年を記念して『
東本願寺
北海道開教史』(昭25)を刊行していた。,そして一〇〇年を記念して四十九年に、『
東本願寺
北海道開教百年史』を出している。
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝宗都〟──札幌)
北海道布教を最も展開したのは曹洞宗ならびに浄土真宗、なかでも
大谷派
と本願寺派であった。,
大谷派
では札幌に明治三年十月に札幌管刹所を置き、九年四月に別院と改称して道央部の拠点としてきた。,後四十二年に至り、寺務出張所は函館大火の類焼もあって北海道庁や主要官公署が所在し、「中央枢要の土地」(
東本願寺
北海道開教史,ここに札幌は初めて
大谷派
の全道の拠点となるのである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(各宗派の布教)
各宗派の布教 前編で
東本願寺
を例として略述したように、移住した信徒を追って寺院・説教所を経済的助成を,最も早く「布教」に着手した真宗
大谷派
では、明治二十九年(一八九六)十月に、函館にある北海道寺務出張所の
新札幌市史 第5巻 通史5下
(寺院の転入)
大谷派
の正信寺ももとは当麻町に所在していたが、「壇徒少数、維持困難のため」に四十二年に閉鎖し、札幌での,「再建」が図られていた(
東本願寺
北海道開教百年史)。,
大谷派
では他にも平成七年に音別町から正楽寺、八年に音更町から綱遵寺、九年に平取町から明徳寺が移転してきていた
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時下の仏教)
大谷派
では「
大谷派
同信報国運動委員会規則」を制定して運動の指示を行っていたが、北海道教区ではこの「北海道地方部規則,」を制定するとともに(
東本願寺
北海道開教百年史)、次の「決議」を発表した。,太平洋戦争が開戦となる十六年十二月以降には本願寺派、
大谷派
、曹洞宗、日蓮宗などでは報国団も結成され、「
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦没者追悼と慰霊)
戦没者追悼と慰霊 真宗
大谷派
本願寺札幌別院では昭和二十二年八月二十四日に、北海道教区主催によって現如上人二十五回忌法要,アッツ島の遺骨収集では、戦死者に本道出身者の多いことから、
東本願寺
北海道教区会が二十七年七月に遺骨収集
新札幌市史 第5巻 通史5上
(現如と開教百年)
と開教百年 現如(大谷光瑩、大12・1・8死去)は明治二年に本願寺街道の建設、札幌管刹所の開設など
大谷派
,会、慶讃芸能大会、慶讃平和おどりの夕などの記念行事が実施され、また丸井デパートを会場に「北海道開拓と
東本願寺
新札幌市史 第2巻 通史2
(仏教各宗連合会の結成)
「札幌各宗寺院和合同盟シ、茲ニ協議所ヲ設ケ、済世利生ノ行ヲ実施スルヲ以テ目的トス」(札幌各宗連合会
東本願寺
札幌別院,上記の経過を経て、三十二年に仏教各宗聯合会が結成され、五月二十日に
大谷派
三条説教場において発会式を行った,(月カ)第一土曜日第三土曜日午後七時より仏教講義並演説を開会す(中略)、第四項 本会会場は当分南三条
大谷派
説教所
新札幌市史 第4巻 通史4
(寺院・説教所の増加)
師範、桑園、円山方面が益々発展するので同地方に説教所を設け」たとされ(北タイ 大14・12・10)、
大谷派
,全部で五四カ所あり日蓮宗八、本願寺派六、
大谷派
五というのが多く創設していた宗派であった。,
大谷派
明 3 . 7 .24 南7西8 大谷光暢 3,510戸14,000人 530戸16,000, 180人 慧林寺
大谷派
明24.12.11 豊平3-8 羽部大照 大導寺
大谷派
昭 8,真宗
大谷派
札幌別院(
東本願寺
別院)には輪番が所長を兼務する
大谷派
北海道寺務出張所が置かれ(同所は大正十二年十月
新札幌市史 第4巻 通史4
(民力涵養・作興詔書と教化運動)
仏教界では教化運動を推進するために北海道仏教聯合会を組織し、大正八年十月三十一日に全道の僧侶三五〇人を
東本願寺
別院,ただその後、
大谷派
や本願寺派の仏教青年会にて仏教民力涵養講演会が開催されたが、実際的に低調な取り組みに
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
東北帝国大学農科大学農場成績報告』、『札幌区区勢調査原表』、北海道庁内務部『北海道農場調査』、多屋弘『
東本願寺
北海道開教史,』(札幌別院)、『北海道百年曹洞宗寺院誌』別冊、『
東本願寺
北海道開教百年史』(真宗
大谷派
北海道教務所)
新札幌市史 第4巻 通史4
(仏教青年会)
仏教青年会 仏教青年会は、これまでにも本願寺派に仏教青年会が明治四十二年に設立されていたが、
大谷派
にも,大正四年九月七日より十三日までに、
東本願寺
別院では宗祖親鸞の六五〇回大遠忌法要が法主の大谷光演を迎え盛大
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
札幌市長岡武夫氏蔵) (408頁) 写真-3 官幣小社札幌神社遙拝所『札幌繁栄図録』 (410頁) 写真-4 真宗
大谷派
本願寺札幌別院,日付 (866頁) 写真-3 龍雲寺創立願『浄土宗龍雲寺創建書類』(北大図) (871頁) 写真-4
大谷派
札幌別院,の説教場設計斜面図(寺院説教場関係
東本願寺
札幌別院) (872頁) 写真-5 札幌仏教青年会第一回演説会,村落部寺院設立一覧『北海道毎日新聞』,『龍雲寺史』,『北海道百年曹洞宗寺院誌』,『平岸百拾年』,『
東本願寺
北海道開教百年史
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)
戦没者追悼と慰霊 平和塔の建立 仏教団体の活動 三 寺院の動向
大谷派
,と
東本願寺
札幌別院の活動 現如と開教百年 諸寺院の動向 平和の滝と盤渓の奥の院
新札幌市史 第5巻 通史5上
(図版・写真・表組一覧)
昭39)(北海道神宮 写真百二十年史 平1所収) (951頁) 写真-4 現如上人銅像の除幕式(真宗
大谷派
北海道教務所,
東本願寺
北海道開教百年史 昭49所収) (960頁) 写真-5 平和の滝と禊教の祭典(日登寺百年史
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