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新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井好太郎・鎗次郎)
荒井
好太郎
・鎗次郎 ここで
荒井
・シノロ村と深く関わったとみられる、金助長男の
好太郎
および三男の鎗次郎,
荒井
好太郎
は、開拓使の履歴綴に明治四年で三六歳とされているから、天保七年の生まれであろう。,もう一つは、
好太郎
と
荒井
・シノロ村との関係である。,後年のものではあるが、
好太郎
が
荒井
・シノロ村に居住したようにとれる史料がいくつかある。,おそらく、
好太郎
は主としてイシカリ役所に出仕しながらも、本拠を
荒井
・シノロ村においていた、ということであろう /
荒井
好太郎
・鎗次郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井金助の事蹟)
荒井
金助の事蹟
荒井
金助は安政四年六月に、イシカリ詰の調役に就任以降、種々様々な事蹟を残してきた。,金助自身も農民を招募し、シノロに
荒井
村をおこしている(第九章参照)。,まず金助の息子の
好太郎
は、イシカリ在住や学問教授所の御用書物出役となり、金助が開いた
荒井
村の農場経営にも,弟の蘭台は、文久元年頃にモウライの在住となり、後に
好太郎
と共に開拓使に出仕した。 /
荒井
金助の事蹟
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ開拓と荒井村の性格)
イシカリ開拓と
荒井
村の性格 以上みてきたように、
荒井
村は
荒井
金助が自費で開いた村であるが、幕吏の自費開墾,また
荒井
村開墾の動機を、
荒井
が堀織部正の屯田農兵の制の意図に基づき、国家のために行った、と記されているものが,
荒井
好太郎
らが終始本拠を
荒井
・シノロ村においていたのも、おそらくはこれと関わってのことと思われる。,と同時に、城六郎開墾地がその後消滅したのに対し、
荒井
・シノロ村が明治に至るまで存続し得たのは、金助その,他
荒井
一家が、おそらく扶助を含めてこの村と関わってきたことが、ひとつの要因であると考えられる。 / イシカリ開拓と
荒井
村の性格
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕府の崩壊とイシカリ在住)
おそらく安政五、六年ころに最多数に達したイシカリ在住は、その後漸減し、明治元年八月現在で中村兼太郎、
荒井
好太郎
,
荒井
好太郎
も本拠をシノロにおきながらも、やはりイシカリ役所に出仕していたとみられるが、
荒井
については、,明治元年八月に、前記在住のうち中村、
荒井
、永嶋玄造、井上の四人が箱館府に任用され、残る六人は引き続き在住
新札幌市史 第1巻 通史1
(箱館府の成立)
)、永島玄造・井上斧太郎(在住) 属事席 西村嘉右衛門・山本政之助・田中鋭次郎(足軽) また、
荒井
好太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎開墾地)
(
荒井
)
好太郎
様其外御家来御見廻之節ハ、同様御見分御手農夫とも且ハ御世話之程ニ願上候。,この点は、
荒井
村が
荒井
金助個人の費用によって設置されたと伝えられているのと同様で、これからいえば、
荒井
村,は
荒井
の「小生開墾地」ということになる。 ,また「見廻之節ハ、同様御見分」という文言、
荒井
らが開墾地の実状と対応策にまでふれている点、それに
荒井
・,金助の弟
荒井
蘭台をチーフとするモーライ開墾も、同じ性格のものであろう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(金助の死)
荒井
金助儀、此程中出函之処、御用済ニ付明日帰村可致処、不快ニ付立渋療治罷在、一両日殊ニ様子不宜趣之処、,
荒井
金助の長男
好太郎
をはじめ遺族は、その後もシノロ村に住み(第九章参照)、金助の三十三回忌にあたる明治三十一年,写真-6
荒井
金助の墓 (北区篠路 龍雲寺)
新札幌市史 第1巻 通史1
(兵部省の支配)
この時期に、幕末よりひき続き石狩詰となった下級官吏には、山本晋之助・
荒井
好太郎
(使掌)、西村嘉右衛門・
新札幌市史 第1巻 通史1
(学問教授所)
亀谷丑太郎の談(
荒井
金助事蹟材料)では、学問教授所は「教導館」と名付けられ、命名者は糟谷筑後守義明であったという,また、学問教授所の御用書物出役に、
荒井
金助の息子
好太郎
が文久元年四月十五日に任命された。,
好太郎
はその後、明治元年(一八六八)八月十五日に、石狩詰兼学校助教給事席を申し付けられている(箱館裁判所評決留
新札幌市史 第1巻 通史1
(旧幕吏の再任)
給事席 元石狩在住定役代中村兼太郎、元石狩在住
荒井
好太郎
(兼学校助教) 趨事席 元石狩詰同心山本晋之助
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の移動)
また、
荒井
金助三男の
荒井
鎗(槍)次郎のように、さらに不確実なもの若干は、表からはぶいた。,本多一学組 安政 4.7.23 安政 4.10.10 シップ 文久1.2 死去 200俵
荒井
好太郎
,シノロ 明治1.8 箱館府任用
荒井
金助長男 文久1.3箱館書物御用出役 井上斧太郎,、
荒井
金助逸伝、岩村判官 札幌開拓記、谷澤尚一 札幌創建への史的階梯―札幌の歴史12号所収、等より作成,(2) 入地場所は、『
荒井
金助事蹟材料』など後年の編さん物によっていることが多い。
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
の赴任
荒井
金助のイシカリ到着 詰合役人の刷新 堀利熙の再訪 金助赴任時のイシカリ,移転と御手作場への繰り入れ 中田儀右衛門・福玉仙吉ほか 第二節 シノロ村…970 一
荒井
村,の成立
荒井
村の設置 農民の招募 村役人 早山清太郎 産業・生活など 二
荒井
村,の性格 城六郎開墾地
荒井
好太郎
・鎗次郎 イシカリ開拓と
荒井
村の性格 三 中嶋村, 第十章 建府論の展開…1008 第一節 箱館奉行等の意見…1008 一 堀・
荒井
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1945年〜2000年)
年史 3594 道婦連協30年史 3595 東洋信託銀行10年史 3596 北海道立三岸
好太郎
美術館報, 創刊号 3597 北海道立三岸
好太郎
美術館報 第10号 3598 開校5周年記念誌 稲陵(稲陵中学校,校舎落成記念学校要覧(元町小学校) 4210 札幌彫刻美術館報 もにゅまんNO.2 4211 燃ゆる山々(
荒井
英二
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