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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

【主要参考文献・史料】 『荒井金助事蹟材料』(道文)、『岡本氏自伝』(北大図 写本)、『箱館蝦夷地江御出張所御取立一件
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

村並仕法替書類』、林家文書『御賄留』(北大図)、同『御場所見廻日記』、玉虫左太夫『入北記』(東大史)、『荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (堀と村垣の廻浦史料)

  ヨイチ御場所見廻日記 6 津田 正路  万延1・5   白主御用留 7 糟谷 義明  文久1   荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (荒井村の設置)

設置 のちにシノロ村と称せられる荒井村・中嶋村についても、当時の史料はきわめて少なく、これまでも『荒井金助事蹟材料,』(以下『事蹟材料』と略記)等、後世の編纂物あるいは聞取りによって記述されてきた。,なお、『事蹟材料』では、荒井村ははじめ新井村と称されたとされているが、記述の都合上、ここでは荒井村に統一,まず荒井村の地所選定・農民招募の概要については、『事蹟材料』に次のように記されている。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

高島運上家日記」(越崎宗一『鰊場史話』)、広瀬豊「肝付兼武伝」『伝記』第四巻一号~六号、杉浦勝誠『日次記』、「荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

河野常吉編「石狩場所請負人村山家記録」、「蝦夷地御用留」(以上道図)、「安政七年モンベツ御用所 御用留」「荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (吉田茂八)

再び『荒井金助事蹟材料』の亀谷丑太郎の聞き取り調査によると、茂八は丑太郎がハッサム番所に勤番していた安政五年
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

地理諸留』(道文)、『手稲町誌』、『手稲村史原稿』(手稲記念館)、『札幌郡調』(北大図)、『札幌区史』、『荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (荒井金助のイシカリ到着)

翌二十八日のことで、到着したのは『札幌沿革史』(明治三十年刊)の編纂史料として、永田方正がまとめた『荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁間農業の育成)

この時、イシカリには「畑作物は一切なし」(永田方正 荒井金助事蹟材料)と伝えられる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (沖の口体制)

生活物資や漁業に必要な資材が豊富に移入されるよう努め、改革前にくらべると「士民の便利言はん方なし」(荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (志村鉄一の経歴)

『荒井金助事蹟材料』の中には、当時イシカリ役所の足軽であった亀谷丑太郎の聞き取り調査が収録されている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (運送と通信)

足軽亀谷丑太郎はオシャマンベ・ウス・ユウフツ・ニイカップ・サルなどを巡回して、四〇余頭を買い集めたという(荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (生活)

にさらわれて死亡した永田久蔵をあわれみ「小祀を建て祭て田祖霊神となし、農夫吉蔵に命じて之を祭らしめ」(荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

』(北大図)、『札幌県 拓殖』(北大図)、『札幌郡調』(北大図)、『明治六年市在布達』(北大図)、『荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (改革発表後の動向)

帳役などの任命もなされたが、阿部屋から石狩役所へ正式に場所引継、直捌場所の公布がおこなわれたのは、『荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼所の設置)

以上の具申のもとになった、この年のクシュンナイ出張を伝える史料に、小山亘(倉山和多利)の記述書(荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の移動)

ヨイチ林家文書 御賄留、同 御場所見廻日記、西蝦夷地高島日記―越崎宗一 鰊場史話所収、栗本鯤 北巡日録、荒井金助事蹟材料,(2) 入地場所は、『荒井金助事蹟材料』など後年の編さん物によっていることが多い。,さらに秋山繁太郎については、『荒井金助事蹟材料』ほかの史料で、ハッサム在住の秋山姓は吉郎と鉄三郎二人であり
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム番所)

ハッサム番所 足軽の亀谷丑太郎は、四年間にわたりハッサム番所詰をつとめていたことが、先の『荒井金助事蹟材料
新札幌市史 第1巻 通史1 (後年の聞取り等によるもの)

すなわち『荒井金助事蹟材料』中の「一 金助勤倹の事 附石狩中都計画之事」中では、 其志を遂げしめば石狩
新札幌市史 第1巻 通史1 (学問教授所)

亀谷丑太郎の談(荒井金助事蹟材料)では、学問教授所は「教導館」と名付けられ、命名者は糟谷筑後守義明であったという
新札幌市史 第2巻 通史2 (篠路村と早山清太郎)

設置の年代は不明であるが、『荒井金助事蹟材料』(道文旧記一四三七)には、名主・百姓代・農夫取締の村役人
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以前))

函府人名録(『旧幕府』3巻4号) 211  在住御雇・御雇医師・同並明細短冊(道文蔵) 212  荒井金助事蹟材料
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