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新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使貫属への編入)
開拓使貫属
への編入 佐藤孝郷(廓尓)は片倉家の家老職の家柄で、白石に残留する家臣たちをまとめる立場にあった,(一九二〇)、白石村の開村五〇年記念に著(あらわ)した『北海道札幌郡白石村外二村移住開拓紀要』には、
開拓使貫属
,これをうけ三月十七日に開拓使から、「仙台藩士族片倉小十郎元家来角田県在留ノ者六百人、当使
貫属
ニ仰付ラル,」と(開拓使日誌、日付は奥羽盛衰見聞誌による)、
貫属
への編入が認められた。,
貫属
は本来、その地に本籍をもつ士族身分のことで、秩禄は府県などを通じて大蔵省から支給されることになっていた /
開拓使貫属
への編入
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石・手稲村と貫属取締)
白石・手稲村と
貫属
取締 北地跋渉組の中で白石に残留していた片倉家臣は、四年三月十七日に
開拓使貫属
に編入,され、三月二十八日に角田県庁から移住準備を命ぜられ、あわせて佐藤孝郷に
貫属
取締が任ぜられた。,
開拓使貫属
編入の願書で、「移住済迄之内ハ大県(角田県)ニテ進退御指揮被成下」と述べているように、「締」,佐藤孝郷の役割は、
貫属
取締にあたるものであった。,孝郷は札幌に到着後も
貫属
取締とされており、白石村の方を管轄することになる。 / 白石・手稲村と
貫属
取締
新札幌市史 第2巻 通史2
(米穀金融)
米穀金融 開拓使は白石と上手稲に入植した
開拓使貫属
士族のために、用達為替商石川正蔵に米穀利殖をさせている
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌建築開始)
用度係詰所 1 6 東創成通 札幌病院病室 6 札幌 町長屋 1 9 6 札幌 官邸 2 8 札幌 東京府
貫属
邸,さらに注目されるのは、建設地は不明であるが、東京府
貫属
邸三棟の建設である。,その具体案が東京府
貫属
の移住計画であった。,したがって東京府
貫属
の移住計画の中止は、七月か八月頃と推定できる。,またこの計画は、四年三月に仙台藩の陪臣らを
開拓使貫属
とした影響で東京府
貫属
を
開拓使貫属
とできなくなったため
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落の形成と移民)
以上は農民層の移住によるものであるが、この年は旧仙台藩白石領の片倉家臣団が
開拓使貫属
となり白石・手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(明治三、四年成立の村)
さらに
開拓使貫属
となった片倉家旧臣は四年十一月に白石村、五年二月に手稲村に入植し、それぞれ村落を形成するようになった
新札幌市史 第2巻 通史2
(手稲村への入植)
写真-17 松本十郎が手稲村入植の
開拓使貫属
に与えた書画(手稲記念館蔵)
新札幌市史 第2巻 通史2
(幌別への移住)
これを打開するためにとられたのが、
開拓使貫属
への編入である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の伍組と伍長)
へ贈られた「兵農一理の書」(札幌市武田清晃氏蔵) 白石村の場合、五年六月に二〇人の「白石村住
貫属
伍長,以上の勧農規則にもとづく伍組・伍長制は、
開拓使貫属
であった白石、手稲村にのみ適用されたものであった。,なぜこのように厳しい内容となったのか種々の理由が考えられるが、もっとも基本的な原因はこの頃、
貫属
取締の,「惣轄者」を巡る紛糾が発生しており、
貫属
の取締強化のための方策として生みだされたものとみられる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の移民規則)
なお
開拓使貫属
となって白石・手稲に入植した片倉家の旧家臣団は、家屋は自前で建設した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村の成立)
下手稲村の成立 手稲村は片倉家旧臣の
開拓使貫属
が入植し、五年二月に発寒村を割き設置された。
新札幌市史 第2巻 通史2
(上白石村の成立)
上白石村の成立 四年十二月に白石村に入植した元仙台藩片倉邦憲(小十郎)の家臣で、
開拓使貫属
となった一
新札幌市史 第2巻 通史2
(移住までの経過)
移住までの経過 開拓使では片倉家の家臣を
貫属
に編入した時点で、すでに札幌への移住が決定をみていたようである,田村顕允もこの時伊達邦成家中の
貫属
編入を説諭され、間もなく
貫属
編入に応じることになる(『伊達町史』所収,の
貫属
編入及び札幌移住はこれにかえて充当されたとみられる。,
開拓使貫属
となり、いよいよ札幌への移住が決まり、三月二十八日に佐藤孝郷・三木勉は角田県庁に出頭し、孝郷,その時、「
貫属
五名ヲ呼ヒ説諭」(公務摘要日誌 東京都岩村家蔵)をおこなっている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
への到着 四 片倉家臣団の移住 戊辰戦争と仙台藩 北地跋渉 幌別への移住
開拓使貫属
,への編入 移住までの経過
貫属
と「心得書」 白石村への入植 手稲村への入植 第二章, 人口と移住動態 諸村の人口と移住の動向 移民調査と〝定着〟 三 村三役と
貫属
取締, 組頭から村三役へ 庚午移民と組頭 辛未移民の編成 村三役の普及 白石・手稲村と
貫属
取締
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
106頁) 写真-16 咸臨丸(長崎オランダ村提供) (110頁) 写真-17 松本十郎が手稲村入植の
開拓使貫属
,) (275頁) 写真-3 小熊善右衛門の履歴書(札幌村郷土記念館) (288頁) 写真-4 白石村
貫属
取締,開拓使事業報告』より作成 (283頁) 表-2 村三役の変遷『評議留』(道図)等より作成 (287頁) 表-3
貫属
取締
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