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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (十三場所の出産物)

まず海産物では、魚油、干鮭(からさけ)、鯡切込(にしんきりこみ)、身欠鯡、鮭鮓、数子、白子、串貝、干鱈,2斗入2樽、鯡切込2斗入1樽、身欠鯡5,000、干鱈7束、魚油2斗入3樽、厚子7枚、蝦夷苫3枚 シママップ,ところで、以上の差荷物のなかに鯡が多く入ってきていることに気付く。,十三場所のアイヌたちは、イシカリ場所外まで鯡漁の出稼に行かされ、その漁獲物は十三場所の出産とされた。,鯡漁出稼のかたちで、アイヌの労働力の集約的使用が開始されているのが知られる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (改革発表後の動向)

この頃、各場所請負人は鯡漁(にしんりょう)に建網の使用許可を請願しており、その陳情をかねるものであった,また、新たに漁場の割当て、改役所の帳役などの任命もなされたが、阿部屋から石狩役所へ正式に場所引継、直捌場所
新札幌市史 第1巻 通史1 (西蝦夷地見回りへ)

イシカリは、ちょうど秋味漁の最盛期で、一〇〇里余の間のアイヌが大勢集まり、川口や川中に網を立てて漁をし,①西蝦夷地は、東蝦夷地に比較してよほど良いように見受けられ、和人が松前辺から漁事のために大勢出稼に入って,現在のところ、秋味漁の時に川上からもアイヌが集まったり、鯡漁(にしんりょう)の時にタカシマ、オタルナイ,さしあたり、タカシマの屯所より秋味漁の季節のみイシカリに警備に出張するがよいであろう。  ,このように、東西をつなぐ間道開設、異国船の注進、タカシマ、オタルナイ屯所、イシカリ場所の立地(秋味漁・
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロの検分)

大津浜グループがイシカリの鮭漁業に着手した年、その実態をたしかめ藩としての対応を考えるための実地検分である,鮭漁期の十月七―十二日をイシカリ滞在とし、大津浜グループの漁業の実態をつかもうとしたのである。,調査は網引場の位置、船、網などの設備、漁小屋、切り蔵などの施設、さらに雇人、仕込み(金主)、漁獲高、役鮭,網の入れ方、引き方はこのままでいいか、網の改良をどうするか、沖合で鯡漁(にしんりょう)はできないか、金主
新札幌市史 第1巻 通史1 (諸施設)

⑤塩切長屋 川岸に建ち、秋味漁の時この蔵で切囲をしたり、荷物にする。,地域内の諸施設を示したものであるが、イシカリ川河口の元小家のあるところからツイシカリフト付近にかけて漁業,このことは、この時期の最終段階においては、漁場労働がイシカリ川のツイシカリフトより下流域に集中し、このため,そして、後述するようにアイヌは飯料とり等に故郷に帰るのみで、秋末には再び鯡漁(にしんりょう)の雇にとられ
新札幌市史 第1巻 通史1 (開発方御用取扱)

この開発方とは漁場新開や農地開墾だけでなく、出産物を江戸に開設したばかりの産物会所に運送することを第一,箱館奉行所の〝御用達〟を肩書きにし、「越後新潟金四郎、喜八、イシカリ場所漁業出稼、且土地開発方被仰付」,(港省衙規則)、手船をもって流通にたずさわるほか、イシカリで鮭、アツタで鯡漁(にしんりょう)を行い、イシカリ,文久元年(一八六一)イシカリのシビシビウシの漁場を人手に渡してから、金四郎の消息はわからず、開発方御用
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