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新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリアイヌの入会権)
この際、その返礼としてム
イザリ
アイヌ一同から、ム
イザリ
のウライ(鮭を捕獲する簗(やな)のことで、ウライ,レタリカウクは、父方の倅でヌカンランケというアイヌが、
イザリ
の乙名と親戚関係にあったことから、
イザリ
地方,上ユウバリのアンラマシテの場合も、ム
イザリ
川流域が、鮭が豊富なことから、数年以前よりム
イザリ
の干鮭場に,財宝を差し出して、ム
イザリ
川での干鮭漁業権を譲り受けたという。 ,以上が、イシカリ川筋のアイヌが千歳川上流、すなわち
イザリ
川あるいはム
イザリ
川での漁業権を持つにいたった
新札幌市史 第1巻 通史1
(第一回訴願)
、②このウライの所有は、かつて東蝦夷地からアイヌがム
イザリ
に攻めてきた時、ム
イザリ
のアイヌの依頼により,その結果、ユウフツ場所の惣乙名オツカシレ、
イザリ
乙名ヌカンランケ、ム
イザリ
乙名コマワカほか乙名一同は、,その返礼として、シレマウカの祖父、ム
イザリ
アイヌ一同より、ム
イザリ
のウライを「勝手次第」選ぶことを許される,シレマウカの代(寛政頃か) シレマウカ、
イザリ
・ム
イザリ
にウライを3ヵ所所有。,寛政12年(1800) 箱館奉行所ユウフツ詰合高橋次太夫・河西祐助、
イザリ
・ム
イザリ
川の入会漁業を
新札幌市史 第1巻 通史1
(ウライの没収と出漁禁止)
シレマウカの場合、ウライ三カ所(ム
イザリ
川のほか
イザリ
川に二カ所)のうち、ム
イザリ
のウライ一カ所が没収,勘定吟味役村垣左太夫の西蝦夷地調査の際、ユウフツから西蝦夷地イシカリへ抜けるいわゆるシコツ越え道を整備することになり、
イザリ
ブト,、通行屋の番人にリキヤとカシュヒタの二人の千歳アイヌを配置することとし、その飯料として、シレマウカの
イザリ
ブト,これにより、イシカリアイヌが所有していた
イザリ
・ム
イザリ
川流域のウライ設定権や出漁権は、シレマウカの一
新札幌市史 第1巻 通史1
(上原熊次郎の斡旋)
シリコノエより話を聞くとともに、シリコノエと小使サエラフニを連れてユウフツ場所に行き、ム
イザリ
のウライ,その斡旋案のなかには、「当場所(ム
イザリ
)領右ウラエニて荷物取高半分訳ニ差出旨被仰付」というごとく、ム
イザリ
,、この案も、上ツイシカリのシリコノエが承諾しないまま、「其年も漁業等も不仕捨置候」といった状況で、ム
イザリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二回訴願)
ツイシカリの知行主は松前貢、請負人近江屋三郎次、運上金は二〇両であった)の主要産物である干鮭は、千歳川領
イザリ
ブト,、ム
イザリ
の両場所、すなわち上ツイシカリのシレマウカのウライ所有場所から産出するものであって、東蝦夷地,②シレマウカの
イザリ
ブトの二カ所のウライのうち一カ所は、通行屋普請に際し没収されたので、今は一カ所のみである,没収されたム
イザリ
のウライは年にもよるが、干鮭が一四〇〇~一五〇〇束収納できたが、唯一残された
イザリ
ブト,④上ツイシカリのアイヌは、ウライ没収以後、イシカリ川筋の長びく不漁によって、住人のほとんどが今では
イザリ
ブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(上ツイシカリアイヌの離散)
移転先の内訳は、千歳川の
イザリ
ブトへ七戸、二六人、ハッサム場所へ三戸、九人、トウベツブトへ二戸、八人という,うち
イザリ
ブトへの移転は、シレマウカと息子やウタレたちで、「代々住居仕候」といっているので上ツイシカリ,のほか
イザリ
ブトにも住居があったとみてよいだろう。,一方、ハッサム場所への移転もやはり、シレマウカのウタレで、ム
イザリ
のウライが没収されてしまったのでやむなく,ということは、上ツイシカリの産物が乏しく、シレマウカ所有の
イザリ
・ム
イザリ
のウライによってささえられていたが
新札幌市史 第1巻 通史1
(飛驒屋伐木図)
この地図は、イシカリ川流域とその支流のサッポロ川上流域、エベツ川上流域のシコツ川、シママップ川、
イザリ
,この伐木図によれば、当時「伐出場所」は、
イザリ
川上流のシコツ山麓のほか、ユウバリ山等であったらしい。,また、一番左の「シコツ道」は、「ヲシヨシ川」と平行して進み、「
イザリ
夷村」付近で
イザリ
川を横切り、さらに,一方、「川流シ道」の方は、エベツ川を遡り、シママップ川、
イザリ
川を遡って、シコツ山麓辺の「伐出場所」に,また、伐木された材木は、
イザリ
川上流からシコツ川、エベツ川を流送してきて、イシカリ川との合流点の「留場
新札幌市史 第1巻 通史1
(山崎半蔵)
翌六月一日は、千歳川を下り、
イザリ
ブトを通ってイシカリ川へ出、その日のうちにイシカリに到着したが、途中,の
イザリ
・ム
イザリ
二村のところでは、鮭が豊富にとれて、一昼夜で八〇〇〇尾は下らないとまで記している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(『土人由来記』)
これが、いわゆる
イザリ
・ム
イザリ
漁業権紛争である。,図-1
イザリ
・ム
イザリ
漁業権紛争関係図 明治29年5万分の1地形図上に地名・川名を入れた。,じ『由来記』の「イサリムイサリ土人由来之事」という項に、サル川筋のアイヌで山猟が乏しくなったためにム
イザリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(武藤勘蔵)
イザリ
川といふ所にて日もくれ、又々船中に泊す。二夜とも大小便は上陸して山中へ通ふ。,、六年前の串原正峯らとほぼ同じルートを通っているが、宿泊はいずれも船中で、トイシカリ(ツイシカリ)、
イザリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(第三回訴願と収拾)
そのおもな内容は、
イザリ
・ム
イザリ
のウライ二カ所を返還する条件として、「イシカリ領分川筋ヘウラエ三ケ所之,①ム
イザリ
のウライは、従来シレマウカ妹モンカラケならびにシレマウカ妻子が、飯料をとって生活してきたので,決めたのは、シリコノエらが漁に行っていたために、ウライを拵える時節になっても無人であった折、千歳川や
イザリ
ブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(東蝦夷地の仮直轄)
これにより、上ツイシカリのシレマウカの所有するム
イザリ
のウライの設定場所などは、一方的に直轄地に属することになった
新札幌市史 第1巻 通史1
(遠山・村垣一行)
途中の宿泊は、ツイシカリは草小屋であったが、直轄領となった東蝦夷地
イザリ
では、「両岸の篝火千点」が焚かれ,しかも、この遠山、村垣一行の通行によって、前章でも触れたように、シコツ越え道整備のため
イザリ
ブトに通行屋,を建てることにし、通行屋番人二人の飯料としてシレマウカの
イザリ
ブトのウライ二カ所のうち一カ所をそれにあてることに
新札幌市史 第1巻 通史1
(機織技術)
ところで、石附喜三男は、アイヌの「
いざり
ばた」と弥生文化の機織技術は、若干の相違はありつつも基本的には
新札幌市史 第1巻 通史1
(網漁法の導入と塩引鮭)
ところで、この網がイシカリ場所で使用されるにいたった経緯を伝えるような伝承が、
イザリ
・ム
イザリ
事件の顚末
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ見聞)
アイヌが
イザリ
ブトで川に杭を打ち鮭漁の準備をする様子も興味深い。
新札幌市史 第1巻 通史1
(埋められた大地)
さらに、低地帯南部における軽石流の下底の等高線が示す古地形から、この時期には、千歳川や漁川(
いざり
かわ
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地警備と「在住」の任用)
それのみならず、
イザリ
・ム
イザリ
の漁業権紛争に関与するなど、ユウフツ場所の行政の末端をも担っている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(集約化されるアイヌ労働)
この上ツイシカリは、東蝦夷地が直轄になって以来、上ツイシカリの惣乙名(そうおとな)シレマウカが所有する
イザリ
,のウライが没収されるなど、その事件が契機で、シレマウカ一族は
イザリ
ブトや、ハッサム、トウベツブトへ移住
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎のイシカリ川筋探検)
写真-7 ツイシカリ番屋之図(再航蝦夷日誌) これより先武四郎は、千歳領に入り、
イザリ
ブト、カマカ,ここは、
イザリ
ブトより六里のところであるが、寛政年間陸道があったのに、当時わずかに残っている状態で、武四郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
特にツイシカリの番家はイシカリ・
イザリ
ブト(漁太)間の中継地で休泊所をかね、桁間一七間半、梁間五間半の
新札幌市史 第1巻 通史1
(田草川伝次郎)
より建てし誠の小屋」であり、前年にここを通った東寗元稹がみた「草屋」ではなくなっていたし、第三日目の
イザリ
ブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(井上貫流一行)
さらに
イザリ
ブトまで舟を漕ぎ、ここで弁当をととのえ、二日間も遅れたので先を急いで歩行すること五里で千歳会所
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
請負人・運上金・アイヌ人口 田草川伝次郎『西蝦夷地日記』より作成 (436頁) 第6章 図-1
イザリ
・ム
イザリ
,西蝦夷地分間』、『西蝦夷地日記』、『野帳巳第一番』、『土人由来記』より作成 (450頁) 表-4
イザリ
・ム
イザリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
アイヌの人びと 十三場所の人口把握 集約化されるアイヌ労働 疱瘡の犠牲 第二節
イザリ
・ム
イザリ
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