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新札幌市史 第1巻 通史1
(第二回訴願)
ツイシカリの知行主は松前貢、請負人近江屋三郎次、運上金は二〇両であった)の主要産物である干鮭は、千歳川領
イザリブト
,②シレマウカの
イザリブト
の二カ所のウライのうち一カ所は、通行屋普請に際し没収されたので、今は一カ所のみである,没収されたムイザリのウライは年にもよるが、干鮭が一四〇〇~一五〇〇束収納できたが、唯一残された
イザリブト
,④上ツイシカリのアイヌは、ウライ没収以後、イシカリ川筋の長びく不漁によって、住人のほとんどが今では
イザリブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(上ツイシカリアイヌの離散)
移転先の内訳は、千歳川の
イザリブト
へ七戸、二六人、ハッサム場所へ三戸、九人、トウベツブトへ二戸、八人という,うち
イザリブト
への移転は、シレマウカと息子やウタレたちで、「代々住居仕候」といっているので上ツイシカリ,のほか
イザリブト
にも住居があったとみてよいだろう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(ウライの没収と出漁禁止)
勘定吟味役村垣左太夫の西蝦夷地調査の際、ユウフツから西蝦夷地イシカリへ抜けるいわゆるシコツ越え道を整備することになり、
イザリブト
,、通行屋の番人にリキヤとカシュヒタの二人の千歳アイヌを配置することとし、その飯料として、シレマウカの
イザリブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(遠山・村垣一行)
しかも、この遠山、村垣一行の通行によって、前章でも触れたように、シコツ越え道整備のため
イザリブト
に通行屋,を建てることにし、通行屋番人二人の飯料としてシレマウカの
イザリブト
のウライ二カ所のうち一カ所をそれにあてることに
新札幌市史 第1巻 通史1
(山崎半蔵)
翌六月一日は、千歳川を下り、
イザリブト
を通ってイシカリ川へ出、その日のうちにイシカリに到着したが、途中
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ見聞)
アイヌが
イザリブト
で川に杭を打ち鮭漁の準備をする様子も興味深い。
新札幌市史 第1巻 通史1
(第一回訴願)
文化3(1806) シレマウカ、残りのウライ、
イザリブト
1ヵ所となる。,シコツ越え道整備のため
イザリブト
に通行屋を建てることとし、通行屋番人のリキヤとカシュヒタの2人の千歳アイヌ,を配置することとし、その飯料としてシレマウカの
イザリブト
のウライ2ヵ所のうち1ヵ所をもってあてる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎のイシカリ川筋探検)
写真-7 ツイシカリ番屋之図(再航蝦夷日誌) これより先武四郎は、千歳領に入り、
イザリブト
、カマカ,ここは、
イザリブト
より六里のところであるが、寛政年間陸道があったのに、当時わずかに残っている状態で、武四郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(第三回訴願と収拾)
決めたのは、シリコノエらが漁に行っていたために、ウライを拵える時節になっても無人であった折、千歳川や
イザリブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
特にツイシカリの番家はイシカリ・
イザリブト
(漁太)間の中継地で休泊所をかね、桁間一七間半、梁間五間半の
新札幌市史 第1巻 通史1
(集約化されるアイヌ労働)
(そうおとな)シレマウカが所有するイザリのウライが没収されるなど、その事件が契機で、シレマウカ一族は
イザリブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(田草川伝次郎)
より建てし誠の小屋」であり、前年にここを通った東寗元稹がみた「草屋」ではなくなっていたし、第三日目の
イザリブト
新札幌市史 第1巻 通史1
(井上貫流一行)
さらに
イザリブト
まで舟を漕ぎ、ここで弁当をととのえ、二日間も遅れたので先を急いで歩行すること五里で千歳会所
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