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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ在住の入地)

イシカリ在住の入地 第七・八章でのべたように、在住制あるいは大友亀太郎を担当者とした御手作場設置等によって,ハッサム村は、安政四年(一八五七)二月に箱館奉行によってイシカリ在住入地の中心地と位置づけられたことに / イシカリ在住の入地
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕府の崩壊とイシカリ在住)

幕府の崩壊とイシカリ在住 おそらく安政五、六年ころに最多数に達したイシカリ在住は、その後漸減し、明治元年八月現在,際、それへの任用に関する文書で渡辺鼎斎、畠山万吉の二人が現身分を在住と記されており、この二人が最後のイシカリ,在住と思われる(御人撰評議)。 / 幕府の崩壊とイシカリ在住
新札幌市史 第1巻 通史1 (箱館裁判所(府)と在住制)

これをイシカリ在住についてみれば、明治元年(一八六八)八月に、元イシカリ在住の肩書で箱館府に任用された,イシカリ在住の具体的な動向については、次節で述べるが、この時点では、人数は従来いわれているほどには減少
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の移動)

在住の移動 前述の蝦夷地在住の発令・入地等も含めて、イシカリ在住の動向を示したのが表2である。,在住 明治1.8 箱館府任用 荒井金助甥 上野吉之助 安政6.3現 イシカリ在住 文久1.5,在住 元治1.現 イシカリ在住 伝一郎弟 葛山幸三郎 御先手 岩瀬内記組与力 安政 4.3.16,在住 明治2.7現 イシカリ在住 本道(内科)外科医師 (1) 公務日記、維新史料綱要、箱館奉行所 ,イシカリ在住の数は安政五~六年頃をピークとして漸減し、明治に至ったとみられる。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (箱館奉行の対応)

ただ問題となった在住頭取等については、安政四年五月にムロラン在住の高橋三平、新家鉄作、イシカリ在住の酒井和三郎,が頭取に、イシカリ在住の中嶋彦左衛門が世話役にそれぞれ任命された。
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の任命)

本節以降では、現在の札幌市域に重点をおきつつ、イシカリ役所直支配地に入地した蝦夷地在住、すなわちイシカリ,(一八五六)の九月に始まっており、十月以降かなりの数の在住が箱館へ向け江戸を出立したが、その中には、イシカリ,翌安政四年三月から五月にかけては山岡精次郎、中川金之助、中嶋彦左衛門、秋山繁太郎、同鉄三郎、葛山幸三郎などがイシカリ,在住を申渡された。,このほか武光武弥、生島文右衛門、塩田準庵のように、一度イシカリ在住を命じられたが、間もなく他の場所詰を
新札幌市史 第1巻 通史1 (志村鉄一の経歴)

鉄一がイシカリ在住で、学問教授方の鈴木顕輔の家来であった可能性は高い。,在住の二人のうち、靱負・兼太郎はイシカリ在住で、鈴木豊太郎は鈴木顕輔の子弟とみられる。,イシカリ在住に鈴木の姓をもつ在住は、顕輔の他にはいない。,鈴木顕輔は、イシカリ在住兼学問教授方として安政四年七月三日に、箱館を出発する(公務日記)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (荒井金助の事蹟)

まず金助の息子の好太郎は、イシカリ在住や学問教授所の御用書物出役となり、金助が開いた荒井村の農場経営にも,甥の井上斧太郎も、安政七年頃にイシカリ在住となり、イシカリの開拓に尽力する。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (中嶋村の成立)

すなわちイシカリ在住として安政四年ホシオキに入地した中嶋彦左衛門は、万延元年コトニ川支流のケネシベツ川流域
新札幌市史 第1巻 通史1 (コトニ開発場)

ケネシベツ川(コトニ川支流、現琴似川)の川岸に入居していた早山清太郎とその開拓地は、おそらく安政五年にイシカリ,在住(ホシオキ)中川金之助、中嶋彦左衛門の「開発場」として、その管轄下に入った。
新札幌市史 第1巻 通史1 (開拓使の設置と在住制の終末)

ほかに大友亀太郎がこの月兵部省(軍務官か)出張所石狩国開墾掛に任命されており、箱館府のイシカリ在住六人
新札幌市史 第1巻 通史1 (学問教授所)

しかし準庵は、六月三日に箱館在住頭取となり、後任にはやはりイシカリ在住の鈴木顕輔が、学問方教授となった,     鈴木碩(顕)輔 右石かり場所学問教授被仰付候事  顕輔の任命に先だった五月六日には、ムロラン・イシカリ,在住へ四書五経、小学が五部ずつ送られている(公務日記)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕末の役人たち)

もと清水附勘定並で、この年五月にイシカリ在住となって入地する。
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住制から御手作場へ)

すでにみてきたように、全道的にも在住数は、当初の目標とされた六〇〇人をはるかに下まわり、さらにイシカリ,在住についてみれば、ほぼ開拓に専念したとみられる山麓地域はほとんど全滅し、行政的な業務を兼ねた沿海地域
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住制の停滞)

在住が配置されたことを知りうるが、前章の記述によって見ると、安政三年から同五年の間に二五人ほどの者がイシカリ,在住を申し渡されている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (堀・村垣の上申)

しかしこの期の在住制についてはまだ研究が進んでいないため、ここではイシカリ在住について必要な範囲で、在住制
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住制の内容)

イシカリ在住の手当支給の事例は見出していないが、イワナイ在住の常見栄太郎の場合、元身分に応じた分が高四
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の兼務)

さらに『公務日記』では安政四年八月に「一イシカリ在住弓気多源之丞当所ニ罷在、鉄炮打立方近藤庫三郎手伝可致旨
新札幌市史 第1巻 通史1 (荒井好太郎・鎗次郎)

ただし、イシカリ在住に、いつ、いかなる理由で任じられたかについては、史料を見出してない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (生活の困難と在住の立場)

このほか病気と届け出て出函したイシカリ在住について、出函を認めた現地調役の処置を心得違いとした上、箱館
新札幌市史 第1巻 通史1 (土地・農民管理)

べてきたように在住が農民に開拓させた土地は、在住の在地している間は「被下切」となる制度となっており、もちろんイシカリ,在住についてもこれが適用されたが、多少変則とみられる事例があるのでここに紹介し、この面から在住の実態にふれてみたい
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の住宅)

これについてイシカリ在住として軽部伝一郎ほか一名の在住宅の平面図が見出されたので、これを紹介する(図1
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

       松浦武四郎の批判 武四郎とイシカリ改革 〝アイヌの父〟武四郎   第七章 在住制とイシカリ,箱館奉行の反対 箱館裁判所(府)と在住制        開拓使の設置と在住制の終末   第二節 イシカリ,在住の動向…890     一 在住の任命と入地        在住の任命 在住入地場所の選定,    二 在住の移動        在住の移動 幕府の崩壊とイシカリ在住   第三節 イシカリ在住,サッポロ…956   第一節 ハッサム村…956     一 ハッサム村の成立        イシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の設置)

役人の不足を在住で補うのは、この他にも多くみられ、ここにイシカリ在住の特異性があった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (農産の中心・札幌)

その中で起源をみると、琴似、発寒、下手稲、篠路の各村はイシカリ在住制に基づき、札幌村は御手作場制によって
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