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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ役所の評価)

イシカリ役所の評価 イシカリ役所は、これまでみてきたように、イシカリ改革あるいはクシュンナイのイシカリ,以上の点で、イシカリ役所の存在と施策は、札幌市史にとり重要な意義をもち、高い評価を下すことができるのである / イシカリ役所の評価
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ役所の創設)

イシカリ役所の創設 イシカリ改革の実施にともない、イシカリ場所全般の行政・司法をつかさどる機関として,創設されたのがイシカリ役所であった。  ,イシカリ役所は、これまでのイシカリ詰の役人の編成をそのまま継承したものではあったが、役所の組織下に漁場,ここでは、改革後のイシカリ役所の動向をさぐってみよう。   / イシカリ役所の創設
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ御用達と問屋の出店)

そこで、直接生産に従事する人と、廻船にかかわる人の関係を円滑にし、生産力を高め取引を拡大するために、イシカリ,その主務は、直捌にともなう直営引場の鮭と役納鮭及び軽物類の移出販売で、イシカリ役所が必要とする物資の納品,彼らはイシカリ役所の仕事のみにとどまらず、一般出稼人との関係を持たざるをえなかっただろう。,これらの業務をイシカリ役所が管轄し、マクンベツ、ホリカムイほか二カ所で船改めを強化、一方、アイヌの生産物,こうして改革後の流通機能は、イシカリ役所の強い統制のもとで発展していくのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (直場所の経営費)

直場所の経営費 クシュンナイを中心とするカラフト直場所経営の手足となって動いたイシカリ役所は、当然多額,10のように、箱館奉行所が直接金銭で支出した五カ年の経費は二万三三三七両余で、うち一万七一八二両余はイシカリ,これは全体の七三・六パーセントにものぼり、箱館奉行所の名で行われたクシュンナイ直場所経営は、事実上イシカリ,まず、安政五年の準備段階で二二五一両余がイシカリ役所から支出された。,亀谷丑太郎談(改革の年イシカリ役所詰となった足軽、ハッサム勤番所に在勤した。)
新札幌市史 第1巻 通史1 (第二次直轄とイシカリ)

イシカリ改革にともない、イシカリ詰の勤番所はイシカリ役所と称されるようになった。,改革後は役所の新築、役人の増加、カラフトのクシュンナイに出稼所の設置など、イシカリ役所は広範な職政を展開,その中にあって諸事を統轄し、改革の成功とイシカリ役所の運営をまとめあげたのが荒井金助であった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (旧幕吏の再任)

旧幕吏の再任 イシカリ役所の引継完了後、八月十四日に箱館裁判所石狩詰の発令がなされている(箱館裁判所評決留,それによると、イシカリ役所詰であった旧幕吏で、新たな石狩詰として再任されたのは、次の通りである。  ,旧イシカリ役所調役樋野恵助は、裁判所への引渡しを済ませた後に江戸へさったという。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕末の変転)

変転 サッポロには、慶応二年(一八六六)以降、大友亀太郎の指導する御手作場が開かれ(第八章参照)、イシカリ,役所ではこの統轄をなし、これまでの在住の開拓地、荒井金助が開いたシノロの荒井村などと共に、イシカリ・サッポロ,この間の情勢や経過につき、箱館奉行から布達類が廻文され、イシカリ役所にも届いていたことが、大友亀太郎文書
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム村の変質)

御手作場とは幕府の直営のもので、おそらくこの場合は退去した在住の地をイシカリ役所が引継ぎ、若干の農民扶助,が退去に際して開墾地を差し出すことにより、これまでのハッサム在住開墾地はすべて御手作場となり、ここにイシカリ,役所によって農民が入地して扶助を得、さらに箱館裁判所(府)に引継がれた、と考えれば、慶応三年以降多くの
新札幌市史 第1巻 通史1 (経営指針の提示)

したがって入用経費に関しては移民数の多少、諸物品価格の高下などを勘案して、一年ごとに巨細取り調べの上に改めてイシカリ,役所へ提出したいこと。,②前記の自分たち(大友・関)宛のイシカリ開拓取り扱いに関する申渡書中に、イシカリ役所の指図を受けて開拓,①の御手作場地所についてはイシカリ役所と相談の上、アイヌの人たちに障害とならないような地を選定すべきこと,、また③の農民飯米については、不都合が生じないようイシカリ役所へ指示する旨を書き添えながら、②への対応
新札幌市史 第1巻 通史1 (新道の開削工事)

新道の開削工事 サッポロ越新道の開削に関し、安政五年五月に阿部屋伝二郎からイシカリ役所に提出された伺,これに対しイシカリ役所では、「新道之儀ハ手入等致し候ニ不及候事」と答え、以後はイシカリ役所により完成させることになる
新札幌市史 第1巻 通史1 (城六郎の北地出張)

これによりイシカリ役所の調役は、兼任の六郎を含め三人となった。  ,クシュンナイには、イシカリ役所の役人・番人などが越冬して、出稼所の取締りにつとめ、同心広田八十五郎のような,イシカリ出稼所の設置により、このクシュンナイを「石狩詰之附属」とし(白主御用所御用留)、イシカリ役所の
新札幌市史 第1巻 通史1 (事務の引継)

、今日に至リ候テハ皇家之御民たるハ勿論ニ候間、裁判所附属之心得を以尽力可致候事  この達書によってイシカリ,役所詰の面々も、ひとまずその身分の安堵が現実化する見込みとなったのである。  ,かくして旧箱館奉行所のイシカリ役所においても、七月に箱館裁判所より参事井上弥吉ほか附属三人がイシカリへ
新札幌市史 第1巻 通史1 (シノロ村との関係)

すなわちイシカリ役所調役荒井金助は「剱客下國雪之進、鎗(ママ)術士荒谷兵三郎をして農村(荒井村―シノロ,永嶋玄造は在住でオタルナイ川口付近に居住し、イシカリ役所の伐木改役を兼務していたが、武術の総括者的役割
新札幌市史 第1巻 通史1 (兼務の収入と在住)

経済的に行き詰まったことも大きな要因の一つとみられ、これに対して沿海地域の在住は、行政官的な業務を兼ね、イシカリ,役所にその点でも従属することにより、ようやく残留が可能となったと考えられる。,逆にイシカリ役所の側からみれば、行政官の役割を果たすものが、正規の詰合役人以外にも一定数必要であったとみられ,、これが前述の石狩河口付近を在住不適地とする箱館奉行の意見がありながら、イシカリ役所を中心とする沿海地域
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリへの情報伝達)

それは箱館奉行所を通じてイシカリ役所にもたらされ、さらにイシカリ役所から管内の詰合や在住に至るまで廻状,引き続き箱館裁判所権判事井上石見と同岡本監輔の連名による、杉浦旧箱館奉行あての次のような書付が、イシカリ,役所より廻付されている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (改役所の設置)

改役所は漁場の経営、漁獲物・軽物の流通、及びイシカリ役所入用品の仕入をおこなう、イシカリ役所管轄下の機関,などにみられるように、イシカリ改革によりアイヌはこれまでの場所請負人の収奪・搾取からまぬがれ、幕府及びイシカリ,役所の保護下にはいることになる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕府の崩壊とイシカリ在住)

このうち中村はヤウスバに入地したとされているが、実態は兼定役代すなわち行政官として、主としてイシカリ役所,荒井好太郎も本拠をシノロにおきながらも、やはりイシカリ役所に出仕していたとみられるが、荒井については、
新札幌市史 第1巻 通史1 (本陣)

また阿部屋伝二郎からイシカリ役所への、諸種の伺の中に次の項目がある。,これに対しイシカリ役所では、「本陣と相唱可申事」と、本陣と称することを指示している。
新札幌市史 第1巻 通史1 (ロシア産種子と牛の回付)

詳細な『魯西亜之種物蒔付仕法』が添えられ、大友あてに「函府より相廻り其開墾地え蒔付候様申来候間」と、イシカリ,役所から回付されている(大友亀太郎文書補遺)。,なおまた、箱館奉行所イシカリ役所より、同所備付けの牛、牝牡合わせて五頭を、イシカリ御手作場備付として引
新札幌市史 第1巻 通史1 (共同体意識の成長)

こうした住人の生産と生活の用務を直接担当したのは改役所(のちに漁場改会所という)であるが、イシカリ役所,市中一同にて相勤可申」(五十嵐勝右衛門文書の内 函館日記留)と言い、組頭を中心に具体的な運営仕法を作成し、イシカリ,役所に対し住人共同体への委譲を強く働きかけたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (箱館府の成立)

この箱館府の成立により、これまでのイシカリ役所の役人は、八月十五日に箱館府に石狩詰としてつぎのように再登用
新札幌市史 第2巻 通史2 (箱館裁判所の設置)

この蝦夷地全面の政務引継により、石狩に置かれていた旧箱館奉行所のイシカリ役所も、同年七月に引継を完了し,、またイシカリ役所の旧幕吏の多くも箱館裁判所石狩詰として再任されたが、これらの事情については前巻(市史
新札幌市史 第1巻 通史1 (林木の保護)

安政三年七月、箱館奉行所は伐木制限を打ち出し、イシカリ役所の許可なしに木を切るのを禁じた。,大量の伐採はイシカリ役所の権限外で、箱館に伺うこととされたが、そうした願い出はなかったようで、むしろ特殊
新札幌市史 第1巻 通史1 (騒動とシノロ村浪人の参加)

一揆勢は御用所を襲ったりしたが、漁民の多くは解散し、六日にイシカリ役所の調役樋野恵助らがオタルナイに到着
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼所の設置)

安政五年九月に城六郎を北地詰のところをさらにイシカリ増詰とし、北地・イシカリ詰の兼務としたのは、イシカリ,役所にクシュンナイ開発を担当させる構想にもとづいていた。,安政六年一月に、「今般御用所にて、北蝦夷地西海岸通漁業新規切開相成候」(余市町史 第一巻)と、イシカリ,役所の触書がだされ、カラフトへの出稼人が募集されている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (カラフトへの足場)

いいかえれば、カラフトのクシュンナイ直捌のためにも、イシカリの掌握が必要となり、イシカリ役所はイシカリ,イシカリ役所は前述(第一章)のように、改革の年いち早くクシュンナイ経営の準備にあたり、翌安政六年から出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (通行屋の建設)

トヨヒラ通行家がまだ普請中で完成していなかったことは、安政五年五月に阿部屋伝二郎から、イシカリ役所に出,イシカリ役所では、この伺に対し「通行家之義取建ニ不及、為冥加取建候義ハ別段之事」と回答している。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政六年の人別帳)

中川は次の慶応元年の人別帳にもみられるように、イシカリ場所の場所名ではなく、イシカリ役所及び改会所の出張所
新札幌市史 第1巻 通史1 (調役の政務)

政務事項は、安政三年一月に制定された「場所在勤心得方」(幕末外国関係文書 一三)に、種々列挙されているが、イシカリ,役所での政務のあり方をみてみると、先にひいた「石狩場所改革方取計之儀申上候書付」には、漁業中のこととして,イシカリ役所の調役は、フルビラからアツタまでの持場内の最高責任者でもあり、各場所の担当者を招集して、会議
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の兼務)

在住の兼務 先にも少しふれたように、在住は、在住本来の業務を行うだけでなく、イシカリ役所関係の種々の,さらに、石狩町田中実氏所蔵史料(イシカリ役所文書の断簡と思われる)には「永昌丸 諸雑用諸払 目録」と書
新札幌市史 第1巻 通史1 (荒井好太郎・鎗次郎)

すなわち好太郎は文久以来、辞令のとおり主としてイシカリ役所に出仕して、行政官としての職務に従事していたものと,おそらく、好太郎は主としてイシカリ役所に出仕しながらも、本拠を荒井・シノロ村においていた、ということであろう
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ改役所の設置)

そこで、まずイシカリ役所の下部組織としてイシカリ改役所(あらためやくしょ)を設置した。,その中で重要な職務は、イシカリで水揚げされる鮭の量を厳しく掌握し、役鮭(税)を徴収し、これを売り払ってイシカリ,役所の収益とすることにあった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (役鮭)

役鮭 イシカリ役所が網持出稼人に課した現物納の営業税を役鮭と呼ぶ。,) 100  出稼人荷物高     17,459束14尾(5,820石) イシカリ,役所荷物高  9,135束16尾(3,045石) 束以下は切りすてたので、合計は一致しない。    
新札幌市史 第1巻 通史1 (住人の組織化)

イシカリ役所は来住の願い出をもとに、永住人と出稼人に区分して許可を与え、前者に家別銭である四半敷役(しはんじきやく,し混乱を生じやすく、万延元年五月「市中願筋は勿論、何事に不寄」(市史二〇四頁)両者は相談し、両印の上イシカリ,役所と協議することになった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリアイヌの流散)

イシカリ改革以後は、イシカリ役所が改(あらため)役(会)所を通じて直接的に「撫育」を行うようになった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (役人の増員)

役人の増員 改革により事務量が増大し、イシカリ役所では役人の大幅な増員がおこなわれた。,イシカリ役所では、万延元年(一八六〇)一月六日に、市中取締掛も兼務した(市史一九二頁)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応三年の人別帳)

阿部屋により人別帳が作成され、人別数も信頼のおけない面が多いが、それにひきかえ、この年の人別ははじめてイシカリ,役所によっておこなわれたはずで、人別数も前回にくらべ大幅に減少している点も、正確な人別帳が作成された証左
新札幌市史 第1巻 通史1 (後年の聞取り等によるもの)

箱館奉行堀織部正およびイシカリ役所調役荒井金助の意見については、直接の史料は見出してはいないが、数種の,すなわち、イシカリ役所のあるイシカリを中都とし、ツイシカリに城を築くという意見である。
新札幌市史 第1巻 通史1 (エンカルシベの山霊)

八幡社設立の元由は、むしろイシカリ役所及び箱館奉行側にあり、菊池大蔵の方に誘導があったとみられるのである
新札幌市史 第1巻 通史1 (兵部省の支配)

に即応した官僚社会をのり切っていくのは困難で、肝付七之丞(大伴遊叟)が大主典となったのは別にしても、イシカリ,役所の関係者で昇進を得たのは、わずかに少主典となった来住野五郎次・平田弥十郎のみであった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (士分の雇農民)

一つはイシカリ役所の詰合役人が農事専従者を雇用して開墾耕作にあたらせる場合で、新井村や城開墾地がその例
新札幌市史 第1巻 通史1 (人口の減少)

五年になるとイシカリ役所による調査数で、実態にもとづくほぼ正確なものとみてよい。
新札幌市史 第1巻 通史1 (農民の招募)

次に、安政四年ハッサムに入地した秋山鉄三郎は、万延元年十二月にイシカリ役所に対し、農民の飯米に差し支えるため,、兄で北蝦夷地在住の秋山吉郎(繁太郎)の扶持を、イシカリで受け取りたい旨願い出たが、それに対してイシカリ,役所は「同人石狩開墾地エ召抱候農夫追々相増、飯米之差支候趣ニて、事実無余義次第ニ相聞」(白主御用所 御用留
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場の地所選定)

大友亀太郎文書補遺)によると、大友は慶応二年(一八六六)の四月十四日、いよいよ大野村を出立、同月二十三日にイシカリ,役所に到着した。
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の設置)

第二に、番所には同心・足軽、「御掛」には在住が担当となっており、番所はイシカリ役所の出先機関としての位置付,番所の役割は、ここでは収納高の改めと切手の発行、抜荷の防止など、イシカリ役所の財政と流通にかかわる根幹
新札幌市史 第1巻 通史1 (箱館奉行の廻浦)

しかし、イシカリでは安政五年以降直捌となり、さらにイシカリ役所関係資料が、昭和二十年の石狩町役場の火災
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁間農業の育成)

漁間農業の育成 イシカリ役所は改革を機に出稼奨励と表裏をなす生産活動の振興に力をそそぎ、〝無商売の者
新札幌市史 第1巻 通史1 (沖の口体制)

イシカリから商品として移出される大半は鮭荷物であるが、この運輸手段をイシカリ役所が新たに確保しないかぎり
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリの内国化)

イシカリのアイヌは場所請負人の支配をはなれ、イシカリ役所の管轄に入り風俗習慣まで内国化を求められる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリの機能)

北蝦夷地における日露の関係が緊迫化するにつれ、箱館奉行所のイシカリ役所は北蝦夷地をも管掌するところとなり
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