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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロ村の誕生)

そして七月十二日に大友亀太郎も箱館裁判所附属に任じられ、引き続いてイシカリ御手作場の取扱いに従事する。,この大友が附属に就任したと同じ七月に、イシカリ御手作場も新しい展開を見せている。,イシカリ御手作場に隣接するシノロにおいても荒井金助による荒井村が建設され、金助が名主、百姓代の村役人を,イシカリ御手作場における村役人が、どのような意図のもとに如何なる性格のものとして任命されたかは不明である
新札幌市史 第1巻 通史1 (家作の支給状況)

家作の支給状況 イシカリ御手作場に農夫家屋一軒(桁間六間・梁間三間)が慶応三年に建築され、その費用は,図-1 イシカリ御手作場農夫本家作図  本来この農夫家作が建築されて各移住農民に支給されることになっていたのであるが
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場の地所選定)

大友は各地検分の結果、自分が取り扱うべきイシカリ御手作場の地を、石狩川左岸のサッポロプトからフシコサッポロ,他方、このような御手作場の造成と相まって、その間農民を招募し、最初の移住農民四戸が同二年七月イシカリ御手作場
新札幌市史 第1巻 通史1 (大友亀太郎のサッポロ選定)

大友亀太郎のサッポロ選定 サッポロ村という呼称は維新変革以前には見られないが、これはイシカリ御手作場,このイシカリ御手作場はすでに前章で述べられているように、慶応二年(一八六六)箱館奉行所の強い意向のもとに,に下流地域においてはシノロ村が生成していたが、そこからさらにフシコサッポロ川の上流の左岸地域を大友はイシカリ,御手作場の地と選定したのであった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場の導入)

イシカリ開拓の要請は容認され、直ちに右のような命令が発せられたものとみられ、ここに大友亀太郎が差配するイシカリ,御手作場の開設をみるのである。,『石狩開墾取扱願伺取調書上帳』(大友文書)によると、「関定吉儀石狩出張御免相願候ニ付」とあるように、イシカリ,御手作場取扱方を命じられた直後に辞退して、イシカリへの赴任はみられなかった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (農地開発の成果)

なお大友は明治二年七月に兵部省に転じ、十月にイシカリ御手作場を開拓使に引き渡すにいたっているのであるが,取調書(石明御手作場開発田畑取調書上帳 大友文書)によると、開設より大友の手から離れる明治二年七月までのイシカリ,御手作場の開発田畑は、田の四反四畝歩、畑の四七町二反六畝二三歩、合計四七町七反二三歩であった。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (ロシア産種子と牛の回付)

のようなロシア産種子は、蝦夷地に適合する寒冷地作物として、箱館奉行所の積極的な奨励によるものであったが、イシカリ,御手作場におけるその成果については知りえない。  ,なおまた、箱館奉行所イシカリ役所より、同所備付けの牛、牝牡合わせて五頭を、イシカリ御手作場備付として引
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場総経費の内訳)

御手作場総経費の内訳 上述のようにイシカリ御手作場は、幕府倒壊により明治元年(慶応四年)をもってその,イシカリ御手作場の経営において、その目的達成のため開墾場の造成・整備に、また入植農民に対する手厚い扶助,これによってみると、箱館奉行所の当初の目途では、イシカリ御手作場経営の年間予算を金三〇〇〇両としており,表-1 イシカリ御手作場開墾請払勘定表 慶応2年 慶応3年 慶応4年 計 受入 両  分  朱 両
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌・発寒・琴似村)

札幌・発寒・琴似村 イシカリ御手作場として慶応二年(一八六六)に形成されたのがサッポロ村である。,中川金之助、中嶋彦左衛門らの在住のコトニ開墾場は、慶応三年にイシカリ御手作場にくり入れとなったが、その
新札幌市史 第1巻 通史1 (農地の区画)

イシカリ御手作場はこの図では札縨元村の地内である。
新札幌市史 第1巻 通史1 (経営指針の提示)

経営指針の提示 慶応二年二月にイシカリ御手作場の差配を命じられた大友亀太郎は、直ちに同月、開墾取扱掛,き添えながら、②への対応を基本として「石狩御手作場御入用其外之義、見込之通り取扱可申」として、ここにイシカリ,御手作場経営の思惑は、一切大友に委任するところとなったのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (大友個人の請願)

①イシカリ御手作場へ移転するにあたり、従来支給されていた手当と別段手当との一季分前借の願。  ,さて、イシカリ御手作場の開墾取扱掛としての大友は、身分は在住と変わりはないが、その手当は前記の如く、大友
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応二年の移住)

慶応二年の移住 イシカリ御手作場への農民移住は、大友が御手作場の造成を進行させつつあった慶応二年の七月
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応四年の移住)

家族より遅れて入植した者一人と出生三人の計四人が加増し、別家のため一人が減じたのを差し引きして、結局、イシカリ,御手作場への移住ないしは編入農家は、入植後一戸の離村もみることなく、慶応四年(明治元年)の十二月末をもって
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応三年の移住)

またこの年の六月に、中川金之助の農夫としてすでに近くのコトニに入植していた荷三郎(家族三人)が、イシカリ,御手作場農夫として編入された。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場農民の生活)

例えばイシカリにおいて官が購入する物品の価格でみても、慶応二年二月箱館において作成したイシカリ御手作場,これらの貸付金の利息は不明であるが、ただ大友がイシカリ御手作場経営に当たり、慶応二年六月に提出した将来計画
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕府の倒壊と大友亀太郎の去就)

これをもって大友はイシカリ御手作場の取扱いから離れることになったのである。,開墾場予定地の調査に赴き、同月八日石狩に帰着してトウベツ開墾場の地勢を報告するとともに、十月十二日サッポロ村のイシカリ,御手作場ならびにナエボ一円を開拓使に引き渡すに至った。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (入植の農民)

すなわち慶応二年の七月に四戸、八月に同じく四戸の農民がこのイシカリ御手作場に入っている。,)、妻かね(二一歳) 茂八(サッポロ村永住、四四歳)、妻ミわ(四〇歳)、娘すゑ(一三歳)  以上、イシカリ,御手作場として存立していた慶応二年より同四年の三カ年間、同場に入植あるいは組み入れられた農民は二三戸を
新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロの開発)

他の一つは、慶応二年に設置されたイシカリ御手作場である(第八章参照)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (大友の経営方法)

大友の経営方法 イシカリ御手作場の地所選定に基づき、そこに人間の手によって開墾地を切り開こうと意図していた
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応四年の開墾田畑)

ここに慶応二年より四年に至る三カ年間のイシカリ御手作場の開発田畑は、田が四反四畝、畑が四六町一反六畝二三歩
新札幌市史 第5巻 通史5下 (史跡・有形文化財)

札幌村・大友亀太郎関係歴史資料及び史跡は、札幌村郷土記念館にて保管しているイシカリ御手作場の関係資料である
新札幌市史 第1巻 通史1 (道路・橋梁その他の築工)

」と注記があり、すでに完成をみていた内陸幹線路の一つであるゼニバコより東蝦夷地ユウフツに至る道路に、イシカリ,御手作場を結合させた新道である。
新札幌市史 第2巻 通史2 (庚午移民と組頭)

この時、旧イシカリ御手作場の札幌元村と庚午移民による札幌新村(庚午四ノ村)があわされて札幌村となり、彼
新札幌市史 第1巻 通史1 (大友亀太郎)

大友亀太郎 イシカリ御手作場の取り扱いを申し渡された大友亀太郎は、天保五年(一八三四)四月二十七日相模国足柄下郡西大友村
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場経営の将来計画)

二年目から三〇年目の慶応三十二年までは毎年一五戸ずつの農民を入植させ、したがってこの慶応三十二年で合計イシカリ,御手作場農民は四四五戸、と計画している。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (郷土資料館)

同館敷地はイシカリ御手作場の役宅が所在したところでもあり、既述のように市史跡にも指定されている。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (篠路村と早山清太郎)

第二は箱館奉行所が設置・経営したイシカリ御手作場により形成された村である。
新札幌市史 第1巻 通史1 (用排水路の掘削)

右に掲げた慶応二・三の両年をもって用排水路工事はいちおう終わっているが、これらを合算してみると、イシカリ,御手作場の用排水路の総延長は、「新堀」として新規に掘削された分が七三八五間四尺(約一三・四二八キロメートル
新札幌市史 第1巻 通史1 (農民扶助の内容と方法)

大友(新六)らの仕法見込では、農民扶助米を一人一日五合ずつを三カ年間の支給としていたが、それを大友のイシカリ,御手作場においては、上記のように一人一日初年六合、二年四合、三年三合、四年二合と、四カ年に繰り延べた理由
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

在住の生活        在住の住宅 生活の困難と在住の立場 在住制から御手作場へ   第八章 イシカリ,御手作場の経営…915   第一節 イシカリ御手作場の開設…915     一 御手作場の設置,       慶応二・三年の開墾田畑 慶応四年の開墾田畑 開墾手当の支給 種子の購入     三 イシカリ,御手作場の終焉        幕府の倒壊と大友亀太郎の去就 御手作場総経費の内訳   第九章 村,村        シノロ村の成立 産業・農民など   第三節 サッポロ村…982     一 イシカリ
新札幌市史 第2巻 通史2 (諸村の状況と生産高)

札幌村はイシカリ御手作場以来の開拓の歴史をもち、諸村より早くから開けていた所なので、一戸当農地も二町一反
新札幌市史 第1巻 通史1 (図版・写真・表組一覧)

50音順)『村垣淡路守範正公務日記』ほかより作成 (894,895,896頁)   第8章 図-1  イシカリ,御手作場農夫本家作図 大友亀太郎文書『石狩農夫本家作壱軒仕法帳』より作成 (946頁)    写真-1,大友亀太郎 神奈川県小田原市大友和夫蔵 (922頁)   表-1  イシカリ御手作場開墾請払勘定表 
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