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新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ改革の胎動)
イシカリ改革
の胎動
イシカリ改革
は、漁場を独占した場所請負人を廃止し、場所経営を箱館奉行が直接的におこなうという,「
イシカリ改革
」の史料上の初見は、『公務日記』の安政四年四月三十日条である。 /
イシカリ改革
の胎動
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎とイシカリ改革)
武四郎と
イシカリ改革
武四郎は「石狩場所人別帳に添て上る書」(燼心餘赤)にて、イシカリ場所は運上金年一,武四郎は
イシカリ改革
後のイシカリの様子を、「此度直捌に成てより移住の者も多く、僅一年の間に一すじの町家,となりしも、偏に休明の御世なるかな」と述べ、
イシカリ改革
の成果を「休明の御世」と讃嘆している(西蝦夷日誌,
イシカリ改革
の成果が実際的にどのようなものであり、武四郎はどのように評価しえたのか興味がもたれる。 / 武四郎と
イシカリ改革
新札幌市史 第1巻 通史1
(村垣範正の廻浦)
村垣範正の廻浦 以上の
イシカリ改革
の発表がなされてから間もなく、村垣範正が廻浦でイシカリ入りをした。,『公務日記』によると、二十五日条には「金助へ
イシカリ改革
筋之儀、得(とく)と申談」とあり、また堀利熙・,範正が金助ヘ
イシカリ改革
発表後のイシカリの様子を種々たずね、その返答を両奉行に書き送っている。,箱館奉行では、いかに
イシカリ改革
の反応を気にとめていたかがわかる。,このようにみてくると、
イシカリ改革
の発表もイシカリでは平静にうけとめられ、予想したほどの動揺もみられなかったらしい
新札幌市史 第1巻 通史1
(範正のイシカリ入り)
範正のイシカリ入り 写真-2 村垣淡路守範正 (市立函館図書館蔵) 以上の
イシカリ改革
の計画,範正の『公務日記』は、イシカリ滞在中のことはいたって簡単で、胸中に
イシカリ改革
のことがあったはずなのに,すでに、
イシカリ改革
の既定路線ができあがっていたためであろうか。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリの内国化)
しかし、そうした歴史的方向へ確実に進行していたことを
イシカリ改革
は物語っている。 ,こうした一連の動きは、明治になって開拓使が取り上げた基本施策であり、その前駆的事業は
イシカリ改革
において,
イシカリ改革
は、幕藩体制の綻びを繕い、さらに強化しようと目論見られたのであるが、一方では松前藩の経済的基盤,こうした矛盾をもちつつ、近代社会出現への一里塚を、
イシカリ改革
はしるしたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井金助の事蹟)
その中でも、第一にとりわけ
イシカリ改革
の実行は、金助のおおきな事蹟といえる。,もちろん、
イシカリ改革
の基本計画は、金助の就任以前にはある程度できてはいた。,その点で、金助と
イシカリ改革
は不可分な関係にあったといえよう。 ,箱館奉行を中心とした〝世論〟が形成されており、金助の施策活動もその一環としてみる必要があるものの、困難な
イシカリ
,
改革
の前夜に、イシカリ詰の調役として派遣されただけに、金助自身の能力と識見による部分も多かったはずである
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革にむけての動向)
松川弁之助が直捌場所の支配人となるが、北地の問題とはこのことをさしており、イシカリの直捌の問題、すなわち
イシカリ
,
改革
とならび、場所請負の廃止─直捌が箱館奉行の内部でも、着々と準備されていたのである。 ,書類が江戸に送られたこの時点で、
イシカリ改革
の大綱のプランはできあがったとみてよいだろう。,以上のような経過をへて、
イシカリ改革
の件は幕閣にても決定をみるようになった。,安政五年三月二十六日に、「石狩一件江戸ニても評議済、不及伺、申上之積リ、早々発表之手続取調方夫々申談置」とあり、
イシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(水野一郎右衛門の在住への降格)
あとで述べるように儀三郎は、
イシカリ改革
の基礎調査で重要なはたらきをなしており、「イシカリ兼持」は
イシカリ
,
改革
へむけての始動であると同時に、それまで問題のみられた一郎右衛門への〝目付〟をなすものであった。,それと同時に、イシカリ場所では着々と
イシカリ改革
の準備がすすめられており、この処置は
イシカリ改革
へのつよい
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二次直轄とイシカリ)
第二次直轄となり、イシカリ・サッポロに最も大きな変化をもたらしたのは、安政五年(一八五八)に実施された
イシカリ
,
改革
であった。,
イシカリ改革
は、場所請負制を廃止し、幕府・箱館奉行による直接経営(直捌(じきさばき))を行うことで、狭,
イシカリ改革
にともない、イシカリ詰の勤番所はイシカリ役所と称されるようになった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(金助赴任時のイシカリ)
金助赴任時のイシカリ この当時のまず第一の問題は、何度もふれてきたように
イシカリ改革
の問題であった。,これは第一の
イシカリ改革
と不可分の問題であり、改革の中で実現がはかられねばならない問題であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリアイヌの流散)
イシカリ改革
以後は、イシカリ役所が改(あらため)役(会)所を通じて直接的に「撫育」を行うようになった。,また、アイヌへの優遇策を謳(うた)った
イシカリ改革
であったが、この改革は同時に和人の出稼労働を招いて、
新札幌市史 第1巻 通史1
(カラフトへの足場)
プチャーチンによる開港と国境画定要求、ネヴェリスキーのクシュンコタン占拠以来、急展開をみせた対ロシア外交に、
イシカリ
,
改革
が果たした役割は小さくない。 ,写真-17 カラフトを調査する佐倉藩士(北蝦夷画帳の内)
イシカリ改革
にともない、イシカリ場所,
イシカリ改革
はカラフトの直場所経営を支える上で、行わなければならなかったし、クシュンナイをめぐる日露紛争
新札幌市史 第1巻 通史1
(深き見込みの場所)
しかし、
イシカリ改革
をみると、堀奉行の積極的な阿部屋罷免の動きから、図式的な解釈の成り立たぬ背景をうかがわせる,外交的、経済的要因をはらみつつ、
イシカリ改革
はこの政治課題に挑戦したとみていい。
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の批判)
外不宜場所第一」(入北記)とされ、また阿部屋に対して箱館奉行から「不行届」に対する厳重な申渡しをうけており、
イシカリ
,
改革
の要因ともなった。,武四郎自身も以前から、アイヌを救済するには場所請負の廃止しかないと主張しており、
イシカリ改革
の積極的な
新札幌市史 第1巻 通史1
(漁獲高)
漁獲高 次に、
イシカリ改革
後の漁業経営の様相をうかがうことにする。,
イシカリ改革
後、網持出稼人らは毎年のように不漁を訴えるが、表7のように安政六年は標準高を上回り、各年平均
新札幌市史 第1巻 通史1
(長谷川儀三郎の役割)
、これも長谷川儀三郎や、同じくスッツ詰であった下役の岡田錠次郎らに、イシカリ場所の様子を聞きただし、
イシカリ
,
改革
のプランを練ったとみられる。,
イシカリ改革
の計画推進のために、イシカリ兼務となったことが、以上の経過でほぼ了解がつくであろう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(役人の増員)
このことはすでに
イシカリ改革
の計画にくみこまれていた。 ,豊之助は安政四年六月以降、金助を補佐して
イシカリ改革
を推進した人物であった。,
イシカリ改革
に際しては、「漁場改革に付取調、其外土人召連れ山中処々見分」をなしたという(木村家文書 村並仕法替書類
新札幌市史 第1巻 通史1
(産物会所とのつながり)
すなわち、
イシカリ改革
にともなう直捌と産物会所を結びつけ、有効に機能させる仕事を担ったわけである。,箱館産物会所設置とほぼ同時に行われた
イシカリ改革
は、阿部―堀田政権のもとですすめられた蝦夷地産物の流通統制政策
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の総括)
幕府による第二次直轄あるいは
イシカリ改革
は、その目的のひとつに以上のような人口減少、アイヌ社会の疲弊と,また
イシカリ改革
による請負制の廃止も、幕府などによる新たな搾取と収奪をもたらすのみで、アイヌ社会にとり
新札幌市史 第1巻 通史1
(小休所の建設)
イシカリ改革
の折、恵比須屋(岡田)半兵衛に、「其方義セニハコよりトヨヒラへ之山道昼所手前へ小休所取建、
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ役所の評価)
イシカリ役所の評価 イシカリ役所は、これまでみてきたように、
イシカリ改革
あるいはクシュンナイのイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革まで)
改革まで そこで、
イシカリ改革
に至る経緯をもうすこしたどってみよう。,これらの動きを考えると、
イシカリ改革
の必要は安政三年末ないし四年初めに課題となっていたわけで、問題化するのはさらに,こうして安政五年四月十三日、
イシカリ改革
断行の日をむかえるのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(堀利熙の再訪)
今度の再訪の主目的は、廻浦中に金助がイシカリ詰となったので、
イシカリ改革
につき金助と協議することにあったのであろう,しかし、
イシカリ改革
へむけての準備とプランの作成を、金助へ命じたことは確かなようである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ役所の創設)
イシカリ役所の創設
イシカリ改革
の実施にともない、イシカリ場所全般の行政・司法をつかさどる機関として,
イシカリ改革
の実施にともない、第一に手がけられたのは、建物の移管である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革の要因)
改革の要因 安政五年(一八五八)四月に発表された
イシカリ改革
は、アイヌ問題についてもおおきな影響をもつ
新札幌市史 第1巻 通史1
(那珂湊と廻船)
イシカリ改革
前、すでに蝦夷地と那珂湊を廻船が度々往来していたことはよく知られ、那珂湊辰の口の廻船問屋(,
イシカリ改革
の年、那珂湊へ入津の南部屋客船一七艘の内(住吉屋の竜徳丸は二度入津したが一艘にかぞえた)、
新札幌市史 第1巻 通史1
(詰合役人の刷新)
村垣範正の信頼の厚かった人物で、荒井金助を補佐して、
イシカリ改革
をすみやかに実行することが期待されていたのであろう,特に、イシカリ詰へのきびしい処置は、
イシカリ改革
をひかえているだけになおさらであった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政六年の人別帳)
このことは、安政五年の
イシカリ改革
により場所が廃止となるにともない、人別帳の作成様式はこれまでの場所ごとではなく
新札幌市史 第1巻 通史1
(人足役)
これは
イシカリ改革
以後、イシカリに本陣・浜役の町役の自治組織ができるにしたがい、人足役も負担するようになったことを
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政五年)
これを
イシカリ改革
という。 ,以下『書付』と略記)は
イシカリ改革
の経緯を次のように述べている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(山田家の出稼形態)
だから
イシカリ改革
で阿部屋が受けたマイナス面は山田にない。,むしろ阿部屋と対等の立場でイシカリの漁業が営めるようになったわけで、
イシカリ改革
は山田家に有利に作用したといえよう
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の調査)
これは、当時
イシカリ改革
をめざし諸種の調査をしており(第一章参照)、武四郎にもそのことが命令されていたかもしれない
新札幌市史 第1巻 通史1
(口絵)
単独請負になり、文政元年(1818)にはイシカリ十三場所の夏商の一括請負も加わって、安政5年(1858)の
イシカリ
,
改革
まで続けられた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリは「不宜場所」)
しかし、特にイシカリ場所が尖鋭的にあらわれており、この解決は場所請負制の廃止―
イシカリ改革
に、またなければならなかった
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革の発表)
改革の発表
イシカリ改革
の発表は、先の「評議済」を得て、この年(安政五年)四月十三日に「書付」の形式
新札幌市史 第1巻 通史1
(新漁場の割渡し)
イシカリ改革
の大きなねらいは、場所の閉鎖性を打破し、出稼人を受け入れ、生産活動を高めることにあったから,表-6
イシカリ改革
後の網持出稼人(安政5・6年) 網主 郷里 住居 イシカリにおける出稼引場 備考,それだけ六人の特権層が
イシカリ改革
時におよぼした影響は大きかったといえよう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(移住の自由)
移住の自由
イシカリ改革
は長年の場所請負制を廃止し、それに代わる直捌を柱とした箱館奉行による土地住人,表-1
イシカリ改革
の発令 被命者 内容 経歴 阿部屋伝次郎 請負差免、出稼申付(漁場割渡) 人馬継立差配
新札幌市史 第1巻 通史1
(改役所の設置)
改役所の設置
イシカリ改革
による最も大きな変化は、場所請負の廃止、直捌の開始にともなうイシカリ改役所,以上のアイヌ漁場、労働雇用、軽物交易などにみられるように、
イシカリ改革
によりアイヌはこれまでの場所請負人
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応三年の人別帳)
安政五年は
イシカリ改革
の年で、それ以前は阿部屋により人別帳が作成され、人別数も信頼のおけない面が多いが
新札幌市史 第1巻 通史1
(早山清太郎による道路開削)
瀬川伊兵衛は安政五年四月の
イシカリ改革
により、石狩川のフンベムイの出稼となった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(士分の雇農民)
イシカリ改革
時の作物としては、穀類で粟、稗、麦、いんげん豆、小豆等、野菜類は大根、人参、茄子、きゅうり
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋の漁業経営)
阿部屋の漁業経営 次に
イシカリ改革
後の漁業経営の実態を網持出稼人の三例からうかがうことにする。
新札幌市史 第1巻 通史1
(新道の再整備)
イシカリ改革
以後にもかかわらず、依然としてアイヌの労働力に依存していたことがわかる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井金助のイシカリ到着)
範正からは、当然、
イシカリ改革
のことも種々、言い含められていたことであろう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリの繁栄)
イシカリの繁栄
イシカリ改革
以降、出稼人が大幅に増加し、越年もするようになった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(アイヌ酷使と私曲)
『書付』で述べられている改革の要因と、その内容と考えられるものであるが、これだけでは請負制廃止という
イシカリ
,
改革
の説明には不充分であろう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(沖の口体制)
沖の口体制
イシカリ改革
では産業の振興とともに、生産物の流通を円滑化する施策にとりくんだ。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ入津の廻船)
イシカリ改革
の年、安政五年の入津は四五艘と記録にある(市史一三四、一四一頁)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(新道の開削工事)
しかし、
イシカリ改革
により請負を差免されたため、新道切開の継続工事はどのようにしたらよいのかという伺であった
新札幌市史 第1巻 通史1
(箱館奉行への対捍)
これを是正するには、種々の問題のある請負制の廃止、直捌(じきさばき)の採用による
イシカリ改革
しかのこされていなかった
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