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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (カトリック教会の動向)

カトリック教会の動向 正教会の掌院セルギイは、他教派の活動状況をも同書に記しているが、カトリック教会,カトリックは今のところとても質素な小さな家に住んでいる。,札幌のカトリック教会(当時の名称では札幌天主公教会)は、二十一年八月、オズーフ司教が巡教したころは、信徒,二十四年、フォーリーは、現在カトリック北一条教会のある北一条東六丁目一帯(当時北二条東三丁目)の土地を,そのなかで、プロテスタントの伝道がカトリックの布教を阻害していると述べ、またカトリック教徒の子どもたちに / カトリック教会の動向
新札幌市史 第5巻 通史5下 (カトリックの改革と教会一致運動)

カトリックの改革と教会一致運動 市史5上第十章で触れたとおり、一九六〇年代後半(昭和四十~)以降、カトリック,その一例に、カトリックとプロテスタントとが共同して行った聖書の翻訳がある。,完成後は、札幌市内でもその翌年六十三年五月に豊平教会が試用を始めるなど、八〇年代末から九〇年代には、カトリック,では、プロテスタント諸教団の連合体である日本キリスト教協議会(NCC)、日本福音同盟(JEA)などとカトリック,札幌でも、同年八月十五日にカトリック、プロテスタントそれぞれの平和集会と平和行進が行われ、大通公園で合流 / カトリックの改革と教会一致運動
新札幌市史 第3巻 通史3 (第一次世界大戦後のカトリックの活動)

第一次世界大戦後のカトリックの活動 カトリック教会では前述(本節三)のとおり、北海道の布教を全面的に,フランシスコ会は札幌の南北全域を一体として担当することとなり、札幌が名実ともに全道のカトリックの中心地,チモテオ司祭の死は知牧区や教会の関係者に大きな衝撃を与えたが、札幌のカトリック教会の信徒数はこの頃から / 第一次世界大戦後のカトリックの活動
新札幌市史 第5巻 通史5上 (教会と社会)

カトリックでも同年六月、全道向けのカトリック放送をHBC(後にはSTVラジオにおいても)で開始した。,三十七年から四十年にわたって開催されたカトリックの第二バチカン公会議は、教会の現代化を目標とし、外に開,四十四年の大会テーマは、「現代社会に生きるカトリック者」であった。,また、教会一致祈禱週間には、カトリック・プロテスタント共催の講演と祈禱会が行われ、交流が本格化した。,プロテスタント、カトリック、ハリストス正教会の連携がこの運動をとおしても深まった。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (敗戦直後札幌の諸教会)

セブンスデー・アドベンチスト教団/札幌教会 (単立) 札幌大通基督教会▼ 大通西7 札幌独立キリスト教会 カトリック,日本天主公教教団 札幌北一条教会▼ 北1東6 カトリック北一条教会 札幌北十一条天主公教会 北11東,2 カトリック北十一条教会 円山教会 北4西23 カトリック円山教会 札幌南十条教会 南10西11 カトリック,単立の大通教会(独立教会)は九月に陸軍の接収を解かれたが、昭和二十年十月には占領軍のカトリック用の礼拝堂,北八条教会の会堂、カトリックの北一条教会の伝道館も接収が解除された。  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (戦後伝道とアメリカの影響)

カトリック、プロテスタントを問わず、日本の諸教会は欧米のキリスト教界との関係を回復し、物心両面の支援を,昭和二十一年から二十二年にかけて設置された、カトリック復興委員会、プロテスタントの内外協力委員会がその,まずカトリックであるが、同年十一月宗教団体法で認可されていた日本天主公教教団を解散し、天主公教教区聯盟,(現カトリック中央協議会)を結成した。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (宣教の共同)

宣教の共同 前述した「'97さっぽろ聖書展」の開催のように、カトリックとプロテスタントの共同活動,平成九年五月には、前年第一回が北光教会で開催された「さっぽろ教会音楽祭」が、次にはカトリック北十一条教会,この間、カトリックにも朝祷会が生まれたこともあった。,朝祷会は、カトリックとプロテスタント共同の祈りの場となっている。  ,カトリックとプロテスタントとの共同が広がる一方、プロテスタントの側では、その信仰的立場を強く意識した聖会
新札幌市史 第3巻 通史3 (フランシスコ会の参入)

フランシスコ会の参入 二十世紀初頭、カトリック教会の札幌宣教はパリ外国宣教会が担当し、H・ラフォンヌ,ラフォンヌとビリエは、カトリック教徒としての基礎的な教理を注入するため、「信者に向って病人を除く一般信者老幼共公教要理,札幌の発展に伴って、カトリック教会も宣教体制の新たな強化を目指すことになり、函館教区のベルリオーズ司教,創成川を挾んだ鉄道以北の地域は、後述するマリア院の開設も加わり、カトリックの教会、修道院、学校、病院など,諸施設が地歩を占め、その後のカトリック発展の基礎を築くことになる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

、大浜徹也『明治キリスト教会史の研究』、土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史』、高木一雄『明治カトリック,教歴史大事典』、日本聖公会北海道教区編『教区九十年史』、福島恒雄『北海道キリスト教史』、小野忠亮『北日本カトリック,教会史』、仁多見巌『北海道とカトリック』戦前編、札幌史学会編『札幌沿革史』、林恒衛『札幌市における天主公教会,』、仁多見巌「札幌におけるカトリックの伝道」『札幌の歴史』第九号、『遠友夜学校』(さっぽろ文庫一八)、,略史』、『札幌組合基督教会略史―創立満十年紀念』、『札幌北光教会七十年の歩み』、『札幌正教会百年史』、カトリック
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

教史』、『日本バプテスト宣教一〇〇年史』(日本バプテスト同盟)、牛丸康夫『日本正教史』、高木一雄『明治カトリック,札幌組合基督教会略史―創立満十年記念―』、『札幌独立基督教会沿革』、林恒衛『札幌市に於ける天主公教会』(カトリック,キリスト教会札幌豊平教会略年表』、『札幌独立キリスト教会百年の歩み』上・下、『神の愛、われらに満ちて─カトリック,北一条教会宣教一〇〇周年記念―』、仁多見巌『北海道とカトリック』戦前編、『日本基督教会北海道中会記録―,一九〇三年~一九六一年―』、『北のひとむれの歩み―日本基督教会北海道中会の諸教会の歴史と年表―』、カトリック
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

、大浜徹也『明治キリスト教会史の研究』、土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史』、高木一雄『明治カトリック,第一三号、日本聖公会北海道教区事務所『教区九十年史』、福島恒雄『北海道キリスト教史』、小野忠亮『北日本カトリック,教会史』、榎本守恵『北海道開拓精神の形成』、仁多見巌『北海道とカトリック』戦前編、『北大百年史』通説、,同・札幌農学校史料一、林恒衛『札幌市に於ける天主公教会』(カトリック北一条教会蔵)、仁多見巌「札幌における,カトリックの伝道」『札幌の歴史』第九号、『札幌とキリスト教』(さっぽろ文庫四一)、鈴江英一「戦前・札幌
新札幌市史 第4巻 通史4 (会堂の接収と終戦)

さらに翌年、被服本廠のもう一カ所の倉庫として大通教会(独立教会)の会堂が接収され、カトリックの北一条教会,教職者の徴用では、宗教挺身隊の一員として函館郊外の飛行場建設工事や、三菱美唄炭坑などの労働に従事したが、カトリック,カトリックの神父たちの「喜びは大変なもので、これからは布教を良くすることが出来る」(山鼻カトリック教会三十年
新札幌市史 第5巻 通史5下 (平和といのちと人権の取り組み)

カトリックも、昭和五十年(一九七五)、札幌地区正義と平和委員会を発足させたが、六十年札幌地区信徒使徒職協議会,カトリック月寒教会司祭ジュレー・ロウも在日韓国・朝鮮人に連帯して、十月指紋押捺を拒否した。,このほかアルコール依存症から脱却させるための社会復帰中間施設が、カトリックとプロテスタント双方で開設されている,カトリックでは五十二年(一九七七)から中毒者の回復をめざす活動が始まり、五十七年に札幌マックハウス(白石区菊水
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

フランシスコ会北海道布教小史」『光明』附録、日本聖公会北海道教区『教区九十年史』、仁多見巌『北海道とカトリック,の伝道-明治から太平洋戦争終結まで-」『札幌の歴史』9号、同「戦時下における札幌のカトリック伝道と受難,新札幌市史』のためのノート-」同31号、日本基督教会札幌北一条教会『創立六十年史』、武田俊信・細谷良彦『山鼻カトリック,〇』、『天使病院七五周年記念誌』、『札幌独立キリスト教会百年の歩み』上・下、『神の愛われらに満ちて-カトリック,北一条教会宣教一〇〇周年記念-』、『フルダから札幌へ』(カトリック北十一条教会)、『札幌正教会百年史』
新札幌市史 第2巻 通史2 (日本宣教の気運)

諸教派のうち、まずカトリック教会は、パリ外国宣教会によってキリシタン時代以来の再布教に着手した。,派遣された一人、メルメ・デ・カションは函館を任地としたが、北海道で布教活動をした最初のカトリック宣教師
新札幌市史 第2巻 通史2 (フォーリー神父の巡回)

フォーリー神父の巡回 幕末から明治維新後にかけて、カトリック教会の宣教(布教)は、九州地方の復活キリシタン,当時札幌には材木商の大国元助ほか一、二戸のカトリック教徒がいたといわれるが、大国家以外の人びとの氏名は,やがてこれが第一歩となって、札幌天主公教会(現カトリック北一条教会)の設立につながっていった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (「昨今の如き教勢は」)

カトリックでは幼少時の洗礼受領者(受洗者)には、「公教要理」による訓練をほどこし、それを経て初聖体(聖餐,札幌天主公教会(カトリック札幌北一条教会)が昭和二年(一九二七)に始めた同胞会の無料治療所などに見られる,そこでは、半世紀にわたる独立の精神を具現した独立教会、「異国の空に励む伝道」としてカトリックの札幌教区長館,教会、大会堂を新築し日曜学校に力を注ぐ日本基督教会、実業家が多く経済的にも堅固な力を持った組合教会、カトリック,さらに五年、カトリックでは山鼻天主公教会が設立された。  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

51)、『日本基督教団史』(昭42)、『日本基督教団史資料集』三、四(平10)、高木一雄『大正・昭和カトリック,62)、「北海教区史略年表」日本基督教団北海教区『北海教区通信』一〇〇号(昭63)、仁多見巌『北海道とカトリック,「フランシスコ会北海道布教小史」一-一七『光明』一一七三-一一九〇(昭32)、『フルダから札幌へ -カトリック,北十一条(聖フランシスコ)教会創建七五周年記念-』(昭59)、『山鼻カトリック教会三十年のあゆみ』(昭,35)、『五十年のあゆみ -カトリック円山教会創立五〇周年記念-』(昭62)、『札幌正教会百年史』(昭
新札幌市史 第4巻 通史4 (市民との接点)

カトリックでは、昭和七年の春と秋に札幌天主公教会などの青年たちによる戯曲「切支丹の最後」を、今井記念館,さらに九年には札幌市内のカトリック三教会により公開のクリスマス大会を市公会堂で開催した。,写真-8 札幌天主公教会(カトリック北一条教会)同胞会無料診療所と平世修明
新札幌市史 第5巻 通史5上 (各層への浸透)

一方、カトリックでは、二十四年六月に、キリシタン時代の宣教師フランシスコ・ザベリオ(ザビエル)の〝聖腕,琴似療養所では、カトリック円山教会がカトリック研究会を毎週開いていた。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (【主要参考文献・史料】)

の第三の波 ―カリスマ運動とは何か―』(平14)、『札幌とキリスト教』(さっぽろ文庫41 昭62)、カトリック,中央協議会『カトリック教会情報ハンドブック二〇〇四』(平15)、同札幌司教区『躍進』(平14)、仁多見巌,『北海道とカトリック 戦後編』(昭62)、カトリック円山教会『五十年のあゆみ』(昭62)、同月寒教会『,』(平7)、同北一条教会『喜び、祈り、感謝』(平14)、平中忠信「一九七〇年以降の札幌地区における、カトリック
新札幌市史 第5巻 通史5下 (キリスト教界の教勢と新たな構図)

カリスマ運動は、カトリックを含む既存の教団の一部の教会にも浸透し、「聖霊による刷新」をめざしている。,チャペルキリスト教会などの教会史やホームページで、カリスマ信仰の立場が強調されている記事を見るほか、カトリック
新札幌市史 第4巻 通史4 (神社参拝問題の発生)

翌三年十二月の第二八回通常北海道会では、札幌市立高等女学校の女教師(カトリック教徒)が大嘗祭に神社の玉垣外,、上智大学生の靖国神社参拝欠席が問題となり、同校配属将校の引上げに発展するなど、神社参拝を巡る問題がカトリック,このためカトリック東京大司教は、学生や児童の神社参拝が「愛国心ト忠誠トヲ現ハスモノニ外ナラス」という文部省
新札幌市史 第5巻 通史5上 (活動の再開)

カトリックでは、昭和二十一年(一九四六)四月に第二次大戦で帰国できずにローマにとどまっていた浅井正三、,札幌地区のカトリック教会は少壮の三司祭を迎え西創成国民学校を会場に宗教大演説会を開催した。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (広がりの中で)

カトリック系では、藤学園が二十五年の女子短期大学、三十六年に女子大学を開学し、同じく天使学園も二十五年,このほか、カトリックの札幌聖心女子学院が三十八年、宮の森に開校した。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (教会と教会員数)

教会員数 1987年4月までに存在した教会数 プロテスタント教会 141 45 13,543 109 カトリック,教会員数は、『キリスト教年鑑』二〇〇四年版に掲載されている各教会の教会員数を集計すると、カトリックとプロテスタント,なお、教会・教会員数がすでに表7で明らかなカトリックと前述の日本基督教団、イエス之御霊教会教団以外で、
新札幌市史 第5巻 通史5下 (教会設立の動向)

たとえば七〇年代前半(昭和四十五~四十九)に限ってみても、カトリックが小野幌に、日本キリスト教会が白石,この傾向は七〇年代後半(昭和五十~)以降も続き、カトリック、日本基督教団、日本キリスト教会、聖公会、日本福音
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争後の諸相)

盧溝橋事件のあと、カトリック東京大司教は文部省の要請を受けて、挙国一致体制への協力を信徒に訓示した。,カトリックの札幌知牧区長(教区長)も、同年十月、W・キノルド司教が辞任、日本人の戸田帯刀に代わった。,カトリックの藤高等女学校は昭和十四年に文部省の厳しい視察を受けた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (占領期の活況)

昭和二十一年四月二十一日、イースター(復活祭)の朝、大通広場では占領軍将士がキリストの復活を祝って、カトリック,ようやく落ち付きが取り戻され、教会の門をくぐる人の多くなったのもこの頃(昭和二十二年)からである」(山鼻カトリック,プロテスタント、カトリックの諸教会の活況を全体的に見るならば、戦後、二十四年前後を頂点として二十六年頃
新札幌市史 第3巻 通史3 (全国の趨勢)

三十四年、プロテスタント諸教派の信徒数は約五万人、日本の対人口比〇・一一パーセント強(ほかにカトリック,とされている)であったものが、大正十年(一九二一)には約一四万人、対人口比〇・二五パーセント強(ほかにカトリック,都市零細層への伝道は、カトリック教会が早くから手掛けていたが、プロテスタントでは、「四重の福音」を掲げた
新札幌市史 第3巻 通史3 (道内における札幌の教会の位置)

これにカトリックとハリストス正教会を加えると信徒数は七〇〇人以上になろう。,さらにこの時期発行されるようになる各教団の道内向け機関紙、例えばカトリックの『光明』、メソヂスト教会の
新札幌市史 第3巻 通史3 (北星女学校・幼稚園・日曜学校)

日曜学校生徒数を別掲しているので、プロテスタント系の日曜学校生徒数はこれをはるかに上回っていたはずであり、カトリック,カトリックの場合は後者に重点が置かれ、信徒の子弟を教育して信仰を継承させるところに主眼があった。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (二一世紀において)

これはとみに社会問題への関わりを深めた日本基督教団北海教区の教会に限らず、カトリックにおいてもJEA加盟
新札幌市史 第4巻 通史4 (全札幌労働者組合と労働者共和会)

片岡一三は、北一条東六丁目のカトリック教会の診療所で息をひきとったが、札幌の労働者は、無産者診療所の設置
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦争前後のハリストス正教会)

えられていないが、後述する区内キリスト教関係者を中心に組織して開催された日露戦争支援の音楽会などには、カトリック
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌への進出)

北海道では、前述のとおり十年頃までにプロテスタントの二派、カトリック、正教会が拠点を持った。
新札幌市史 第2巻 通史2 (キリスト教の定着と国家)

カトリック教会・正教会も一九〇〇年代には教会活動を充実させる段階に入った。
新札幌市史 第4巻 通史4 (宗教団体法への対応)

結局、キリスト教はプロテスタントの日本基督教団とカトリックの天主公教教団の二教団しか認可されなかった。,日本基督教会) 写真-9 日本基督教団北海教区創立教区会(昭16.8)  一方、天主公教教団(カトリック
新札幌市史 第5巻 通史5上 (諸教派の戦後進出)

32 33 35 39 39 3 その他の教派 1 1 1 1 1 4 3 2 2 2 4 カトリック,カトリックは、三十七年から徐々に教会数を増加し、この時期の最後では、北二十六条・月寒・真駒内を加えた七教会
新札幌市史 第2巻 通史2 (クラークの遺産)

カトリックと正教会は宣教後まだ日が浅く、教会として確立したものとはいえなかった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (教会の消長)

カトリックでは、十二年に市内四番目の教会、円山天主公教会を設立、献堂した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道への進出)

函館では、それ以前から活動を開始していたハリストス正教会、カトリック教会の動きと合わせて、宣教師や信徒
新札幌市史 第5巻 通史5下 (七〇年紛争とキリスト教)

万博の問題は、プロテスタントとカトリックが共同して、万博パビリオンの一つとしてキリスト教館を設ける計画
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌市民の宗教的関心)

ちなみに二十二、三年頃、札幌基督教会、カトリック、正教会の三教会の日曜礼拝に集う人数は、おおよそ二〇〇
新札幌市史 第3巻 通史3 (「札幌の教会、教会の札幌」)

小野村のほかにも、知育より霊育をと主張する海老沢亮やカトリックの詩人三木露風の反論などが相次いだが、小野村,1968) 日本基督教団札幌北光教会 札幌天主公教会 北1条 東6丁目 大正5年 (1916) 現存 カトリック
新札幌市史 第3巻 通史3 (ルーテル、セブンスデー、救世軍の進出)

図4は大正九年時点の教会・修道院・関係学校等の分布図で、プロテスタントだけでも一二の教会を数え、カトリック・ハリストス
新札幌市史 第5巻 通史5下 (伝道機会の変化)

また、ラジオ、テレビによる伝道は、市史5上で北海道マスコミ伝道センター(ホレンコ)とカトリックの活動に
新札幌市史 第5巻 通史5上 (開拓伝道地としての札幌)

すでにこの時期-三十年以降-、プロテスタント、カトリックを問わず、札幌への進出、教会設立は、教派・教団
新札幌市史 第5巻 通史5上 (教会の再編)

カトリック教会は、ローマ教皇を頂点として一つに統合されている組織であったから、敗戦時の四教会(北一条・
新札幌市史 第2巻 通史2 (プロテスタント諸教会の教勢回復)

カトリック教会や正教会との交流はなかったが、プロテスタント諸教会間では各教会を会場とした聯合祈禱会を開催
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