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新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎の北地出張)
城六郎の北地出張 城六郎が
クシュンナイ
のイシカリ出稼所を担当するようになり、これ以降毎年、
クシュンナイ
,城六郎は、万延元年の場合、弥五郎の着任と前後して北地(
クシュンナイ
)出張にでたとみられるが、この時の史料,これ以降の報告はないが、別に金助の家来である中村精一、漁場取締役の横山喜蔵などの報告があり、
クシュンナイ
,これにともない、
クシュンナイ
のイシカリ出稼所も廃止となったのである。,
クシュンナイ
は、北地(カラフト)詰の勤番所があり、西シララオロ、ナヨロ、ウシヨロに詰所がおかれていた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(カラフトへの足場)
幕府は安政元年(一八五四)堀・村垣調査団をカラフトまで派遣し、ほぼ北緯四八度、すなわち西海岸は
クシュンナイ
,ところが、ロシア側もこのあたりを南下の拠点として着目、安政四年
クシュンナイ
に兵屋を建てはじめ、翌年はマアヌイ,と
クシュンナイ
両地の直捌を一体的にとりしきることになった。,そこへの出稼人の多くはイシカリ永住か出稼で、しかも
クシュンナイ
出稼人という名目になる。,だから
クシュンナイ
こそ〝直場所〟の名にふさわしい。
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼所の設置)
カラフトの西海岸
クシュンナイ
に、イシカリ出稼所が設置されたのも、その動向の一端であった。,特に
クシュンナイ
が問題となったのは、安政四年以降、ここに住居するようになったロシア人の南下を防ぐためにも,箱館奉行では安政五年十二月に、
クシュンナイ
の状況を報告し、処置を要請していた(維新史料綱要)。 ,それによると、すでに
クシュンナイ
ヘイシカリ出稼所の番家を取建てることが伺い済となっているが、実地に調査,そして
クシュンナイ
川岸に「石狩御直場処」の杭をたて、七月十日に帰途につき、九月七日にイシカリに戻っている
新札幌市史 第1巻 通史1
(直場所の経営費)
直場所の経営費
クシュンナイ
を中心とするカラフト直場所経営の手足となって動いたイシカリ役所は、当然多額,これは全体の七三・六パーセントにものぼり、箱館奉行所の名で行われた
クシュンナイ
直場所経営は、事実上イシカリ,表-10
クシュンナイ
経営費(含準備費、安政5~文久3年) 出金内訳 金額 備考 両 分 石狩より
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ役所の評価)
イシカリ役所の評価 イシカリ役所は、これまでみてきたように、イシカリ改革あるいは
クシュンナイ
のイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎開墾地)
しかし参考になるものとして、荒井金助の部下で、北蝦夷地
クシュンナイ
勤番所の責任者でもあった城六郎のイシカリ,まず文久元年(一八六一)五月八日付、
クシュンナイ
の城より荒井・梨本弥五郎あての文書中に、 一 小生開墾地農夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地での活躍)
することとし、三月八日に松前を出立、西蝦夷地の海岸に沿ってソウヤに至り、渡海して北蝦夷地のマアヌイ、
クシュンナイ
,、オモシロナイ(雨竜川口)を経てルルモッペに出てソウヤに至り、北蝦夷地へ渡海、シツカハタまで北上し、
クシュンナイ
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二次直轄とイシカリ)
改革後は役所の新築、役人の増加、カラフトの
クシュンナイ
に出稼所の設置など、イシカリ役所は広範な職政を展開
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井金助の事蹟)
ちょうど、
クシュンナイ
のイシカリ出稼所が廃止となったのと時を同じくしている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(同心)
万延元年(一八六〇)に
クシュンナイ
に派遣され、越年(冬)するも、この期間中に大病に冒され、文久元年(一八六一
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕末の役人たち)
また六郎が
クシュンナイ
担当となり、後任のイシカリ改会所の担当に、梨本弥五郎が万延元年(一八六〇)三月に
新札幌市史 第1巻 通史1
(役人の増員)
また、安政六年には、城六郎にしたがい
クシュンナイ
へ出張しており、改役所の担当であったとみられる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(鈴木尚太郎と山県璣)
はイシカリをあとにして六月十三日クシュンコタンに渡り、鈴木は東海岸をマアヌイ、トツソまで北上、西海岸
クシュンナイ
新札幌市史 第1巻 通史1
(検分の成果と影響)
清三郎とは支配勘定出役でカラフトの東海岸マアヌイまで北上、西海岸
クシュンナイ
に山越して帰った矢口清三郎,不正防止、信仰を厚く ○銃陣調練、外患警衛 ○賞罰の法を定め、法をおかせば咎申渡 6、
クシュンナイ
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の移動)
また前出史料によれば、高橋靱負は、安政五年三月城六郎に従ってカラフトの
クシュンナイ
に渡ったとされている,移動の理由は、一つはカラフトの状況の変化と、しだいに在住を奥へ移すという官の方針、さらにイシカリ役所の
クシュンナイ
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
設置 ハッサム番所 シノロ番所 調役の政務 学問教授所 イシカリの繁栄 四
クシュンナイ
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
9 明治3年 網持出稼人 『山田文右衛門履歴』をもとに『石狩郡諸調』で補正 (800頁) 表-10
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