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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (紛争の経緯)

その後センタインが死んだので、慶安元年(一六四八)、シベチャリの脇乙名シャクシャインと仲直りを以て、酒宴,を開いたところ、シヤクシャインが酒に酔って、オニビシの手下一人を殺し、そのつぐないのことで争いになり、,シャクシャインが勢力を回復するようになると、漁猟圏問題を巡って、再び争いを起こすようになった。,寛文五年(一六六五)、オニビシの支配領域ヘシャクシャインが入り込み「熊の子二ツ取て川を下申候を、折節鬼,オニビシに対して、シャクシャインの返事は埒(らち)があかず、オニビシ側はシャクシャインの所へ押し寄せるに
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハウカセの領域)

チクニシ(竺無、チクナシ)はオニビシ派で、シュムクル地域集団の一首長のピポクのハロウと行動を共にし、シャクシャイン,蜂起後はシャクシャインに従ったとあるが、どのような役割を果たしたかわからない。,『松前蝦夷蜂起』ではシャクシャインと共に死んだとあるが、他の記録には見えていない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (松前藩の反撃)

松前藩の反撃 このシャクシャインの蜂起は、河川の漁猟圏を巡るアイヌの集団間の対立が、アイヌのもつ領域,シャクシャインは盛岡(南部)藩文書の『松前蝦夷蜂起』によれば、 近年松前殿役人仕置非道ニシテ貧リ多ク,申含候」(蝦夷蜂起)とアイヌの心服、密告、協力を要請し、進んでピポク(新冠)に至り、シベチャリにあるシャクシャイン,に降服をすすめ、和睦なるとみせかけて、十月二十三日、その祝としての酒宴に招いてこれを謀殺し、和人でシャクシャイン
新札幌市史 第1巻 通史1 (民族的蜂起)

民族的蜂起 シャクシャインの側には娘婿になっていた越後の庄太夫ほか庄内の作右衛門、尾張の市左衛門、最上,の助之丞らの鷹待がおり、彼等の画策もあって、シャクシャインはオニビシ派の動揺を利用し、松前よりの酒や食物,このシャクシャインの和人襲撃の檄(げき)に答えて、寛文九年(一六六五)六月、東はシラヌカ、西はマシケに,シャクシャインの檄に応じて、東西の蝦夷が商船などを襲撃して和人を殺害した底意は、寛文十年(一六七〇)しりふか,(津軽一統志 青森県叢書)  西のアイヌがシャクシャインの檄に呼応した理由は右の語で明らかである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (蜂起の起因)

蜂起の起因 この蜂起は、アイヌ民族内のメナシウンクル(東方衆)に属するシャクシャインを首長とするシベチャリ
新札幌市史 第1巻 通史1 (『北海随筆』)

した『北海随筆』には、松前の風俗・習慣、産物、地理、アイヌの風俗・習慣や蝦夷地開拓論まで展開させ、かつシャクシャイン
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハウカセの行動)

又去年シャクシャインがことくにたまし寄殺(され)候ては如何のよし申、与市の蝦夷と同心不仕候。
新札幌市史 第1巻 通史1 (津軽十三湊)

イシカリアイヌもこの頃十三湊へ交易に出ていたことを推定させる話として、寛文九年(一六六九)のシャクシャイン
新札幌市史 第1巻 通史1 (快風丸の報告から)

たくさんのアイヌが集まってきたが、半分以上が女性で男性は少なかったことや、集まり来たもののうちに、オニビシやシャクシャイン
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

       御手船の商場 商場ちよまかうた   第三章 蝦夷地支配体制の展開…371   第一節 シャクシャイン
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