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新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋の台頭と没落)
松前藩のカラフト調査が行われ、翌年には場所も開設され、阿部屋が「場所稼人」として場所経営にも参加、さらに
シャリ
,オタルナイが、東蝦夷地では、サル、ニイカップをはじめ一一場所、それに藩直営場所の差配人としてのソウヤ、
シャリ
,同年ソウヤ、
シャリ
、カラフトをはじめ、阿部屋の支配場所全部が引き上げられ、闕所・居所払に処せられたからである,このため、同十一年には、「いしかり秋味」ほか、ソウヤ、
シャリ
、カラフトなどが「御手支配」となった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地での活躍)
ソウヤに至り、渡海して北蝦夷地のマアヌイ、クシュンナイを巡ってソウヤに帰り、さらに西蝦夷地のモンベツ、
シャリ
,まで北上し、クシュンナイを廻ってソウヤにもどり、ここで一行の隊長である向山源大夫の病死にあうが、さらに
シャリ
,石狩川を遡上して美瑛川から中央山脈を横断して十勝川を下りオホツナイ、クスリより北上して雌阿寒岳を経て
シャリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(『野作東部日誌』)
この年はさらに、
シャリ
(斜里)まで行ったようだが、襟裳岬以東の日誌は残されていない。 ,安政三年の調査は
シャリ
まで行ったが、しかし「門人三人甚不居合ニテ、品々意味有之」(公務日記、安政三年十月二十一日条
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ通過の第一報)
カラフトからの帰途、東蝦夷地ユウフツを通過した速報(『西地宗谷より
シヤリ
越松前迄里程申上書』、また『堀村垣回浦上申記
新札幌市史 第1巻 通史1
(調査の目的)
文化二年四月二日、松前藩主章広は、ロシア船が突然蝦夷地近海に出没したことにより、
シャリ
・ソウヤ・カラフト
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地見回りとイシカリ場所)
・酒田藩から三〇〇〇人余が、箱館、サワラ、ウラカワ、アッケシ、ネモロ、クナシリ、福山、江差、ソウヤ、
シャリ
,間調役並以下九人、ハママシケよりフレベツの間調役以下一二人、テシオよりソウヤの間調役以下一三人、モンベツより
シャリ
,会津藩兵一五〇〇人、弘前藩兵二五〇人、盛岡藩兵二五〇人が動員され、西蝦夷地には、会津藩がカラフト、ソウヤ、
シャリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(テシオ川からイシカリ川へ)
カラフトアイヌに会ったが、異国船乱暴以後特に異変はないこと、⑤津軽家の警固人数は、ソウヤに二〇〇人、
シャリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(堀利熙の再訪)
利熙は六月二日にイシカリを出立した後、ソウヤ・
シャリ
・ネムロ・トカチ・ユウフツを廻り、この日は千歳川を
新札幌市史 第1巻 通史1
(カラフト・千島襲撃事件)
藩兵は、まもなくソウヤへ引き返し、西蝦夷地シャウ、モヘツ(
シャリ
、モンベツか)を守衛した。
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎の新道構想)
さらに武四郎はこの大新道を幹線として、これからトカチ、クスリ、
シャリ
、ネモロ、ルルモッペ、マシケ、サル
新札幌市史 第1巻 通史1
(詰役の更迭)
ここであげられている詰役の場所は、一郎右衛門のイシカリ、甚之助のルルモッヘをはじめとして、イワナイ・ソウヤ・
シャリ
・エトロフ
新札幌市史 第1巻 通史1
(検分の成果と影響)
仮の備え 当座の仕法 1、石狩、宗谷、
シャリ
に藩籬の設をなし、本蝦夷地の固を厳にする。
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