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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5下 (ススキノの変貌)

ススキノの変貌 昭和三十九年ススキノでは、二条市場や大通などとともに三十年代なかばから再び問題となっていた,ススキノの屋台は当時一六〇軒ほどで、おもに南五条西一丁目の新善光寺・南六条西二丁目の中央寺裏、南四条西六丁目,一方この時期以降ススキノでは飲食店のビル化も進み、四十九年六月八日には「昼の薄野」(さっぽろ経済 昭47,四十八年のオイルショック以降の不況は、ススキノの客層を社用族やサラリーマンだけでなく若年層、あるいは女性客,ビアホールや酒場とは違った気軽さや個性、低価格を特徴とする新たな店が登場し、これらはより幅広い客層をススキノ / ススキノの変貌
新札幌市史 第5巻 通史5下 (ススキノと郊外の歓楽街)

ススキノと郊外の歓楽街 昭和六十年になるとススキノでは、「オークラビル」(南五西二)や「第三グリーンビル,そんななか十一年にはすすきの観光協会やすすきの社交料飲組合、町内会など一四団体が「薄野こうでナイト会議,」を発足させ、ススキノ地区をより安全に、また「男性だけでなく女性や高齢者も楽しめる」場所として活性化するため,、九月二十五、六日には成田山札幌別院新栄寺で「薄野縁市」を開催するなど「昼のススキノ」をアピールする動,しかし、「北のススキノ」といわれた北二四条をはじめ、琴似や麻生、南郷七丁目、大谷地、澄川など地下鉄駅を / ススキノと郊外の歓楽街
新札幌市史 第5巻 通史5上 (よみがえるススキノ歓楽街)

よみがえるススキノ歓楽街 飲食営業臨時規整法は廃止されたものの、同法に含まれていた外食券食堂は、外食者,サウナ・ボウリング等の娯楽ビルまで、八、九階建ての高層建築が官庁街に匹敵する勢いで増え、四十年代半ばにかけてススキノ,こうした風紀問題を抱える中で、ススキノを明るく近代的な街にしようと、四十年六月十九日薄野商店街振興組合,また、すすきの祭りの際にできた実行委員会が契機となって、ススキノに点在する各業態ごとの組合を一本化しようと,、翌四十一年一月十八日にはすすきの地区連合協議会が創立されている。 / よみがえるススキノ歓楽街
新札幌市史 第5巻 通史5上 (料飲店の営業再開)

二十六年五月一日飲食営業臨時規整法が失効になると、ススキノにはカフェー・酒場が続々と誕生し、同年の飲食営業,南五条西三丁目の大映劇場(昭30公楽劇場、昭45東宝公楽)の西側に並んだ数軒のラーメン長屋である(ほろ酔い気分のススキノ・スケッチ,四十四年八月、冬季五輪に向けた道路の拡幅工事にともなって、七軒すべてが移転し(すすきの千一夜物語)、その
新札幌市史 第5巻 通史5下 (薄野娼妓並水子哀悼碑と水子供養)

明治三十一年(一八九八)五月に花街すすきのに創建された通称・豊川稲荷(豊川稲荷札幌別院、本寺は愛知県豊川市,の妙厳寺)は、すすきのの守り神であるとともに、水子供養を行う禅寺(玉宝禅寺・曹洞宗)としても知られている,薄野娼妓並水子哀悼碑」が建立されたが、碑石建立に際して当時の北海道知事が碑文を寄せていることからも、当寺がすすきのの
新札幌市史 第5巻 通史5下 (雪まつり)

五十八年よりすすきの会場が設けられ、すすきの会場では一〇〇基の氷像が展示されいっきに拡大化した。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (ライラックまつり・夏まつり)

夏まつりには三十年より狸小路商店街の狸まつり、四十年よりすすきの地区のすすきの祭り、定山渓温泉のかっぱ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (東豊線、東西線延長工事)

札建*JV 北2条 錢高・北野JV 大通駅 鹿島・日産・岩倉*・不動JV 南3条 熊谷・白石JV 豊水すすきの,引込線 熊谷・大豊・奥村・淺沼・住石*JV 東豊線:札幌市交通局『札幌市高速鉄道東豊線建設史(栄町~豊水すすきの,間)』平1 東豊線延長部:札幌市交通局『札幌市高速鉄道東豊線工事記録(豊水すすきの~福住間)』平7
新札幌市史 第5巻 通史5下 (地下鉄の新路線の開業)

その答申に基づき、緊急に整備すべきであると判断された北東部の栄町~すすきの間の建設について、五十七年一月運輸大臣,この東豊線の栄町~豊水すすきの間は、五十八年七月二十七日着工し、六十三年十二月二日開業した(概要 昭57,五十八年十月残りの未整備区間である東西線琴似~手稲東地区間と東豊線豊水すすきの~北野地区間について、学識経験者,東豊線延長の豊水すすきの~福住間五・六キロメートルが、平成二年(一九九〇)一月八日着工し、六年十月十四日開業
新札幌市史 第5巻 通史5下 (都心まちづくり計画)

都心まちづくり計画 平成六年(一九九四)、札幌駅からすすきのに至る地下歩行空間ネットワークの形成を目指,これらと連動してまちづくりを展開する地区として都心商業エリア、道庁周辺エリア、北三条エリア、東大通エリア、すすきの
新札幌市史 第5巻 通史5下 (地場外食産業の道外進出)

また四十五年ススキノに第一店を出した「いろはにほへと」が「新鮮な北海道直送の『北の幸』」を売り物に(道新
新札幌市史 第5巻 通史5上 (道内四行の業況)

なお三十二年五月七日、ススキノ十字街にあった四階建ての本店が類焼するという不幸に見舞われたが、翌年十月,には新築五階建て本店が竣工し、「当時のすすきの地区としては堂々たる威容を誇る建物」(北海道相互銀行30
新札幌市史 第5巻 通史5下 (その他の都市型生活サービス)

また平成十二年一月には加森観光がススキノの旧札幌アートプラザホテルを改装して、ペットの病院、美容室、ペットホテル
新札幌市史 第5巻 通史5上 (観光事業の復活と振興)

三十年からは狸小路商店街の狸まつり(昭29開始)が参加し、四十年には、この年誕生したすすきのまつりと定山渓温泉,のかっぱまつりが加わり、大通・狸小路・すすきの・定山渓の四会場で開催されるようになった(さっぽろ夏まつり,開設当時は、大通を基点に時計台・北海道大学・同附属植物園・円山公園・札幌神社・大倉シャンツェ・狸小路・すすきの
新札幌市史 第5巻 通史5下 (【主要参考文献・史料】)

おかげさまで北海道とともに』平2、『札幌地下鉄建設物語』、札幌市交通局『札幌市高速鉄道東豊線建設史(栄町~豊水すすきの,間)』平1、札幌市交通局『札幌市高速鉄道東豊線工事記録(豊水すすきの~福住間)』平7、札幌市交通局『札幌市高速鉄道東西線工事記録
新札幌市史 第5巻 通史5下 (基幹交通体系の変化)

東豊線も栄町~豊水すすきの間が六十三年十二月二日に開通し、三本の地下鉄線がそろうことになる。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (五十八年道知事選・道議選)

横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」が最初に旗揚げされ、これに呼応して全道に勝手連が広がり、札幌では「ススキノ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (都心部における攻防)

「ダイエーショッパーズプラザ」が道内一号店として南二条西四丁目に進出、翌四十九年六月八日には松坂屋がすすきの,五十四年二月一日にはすすきのを拠点としたためにショッピングゾーンからはずれていた松坂屋が閉店し、四月二十八日
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌旅館協同組合の大型ホテル建設反対運動)

・25)、札幌プラザホテル(南七西一 昭49開業)は不動産・ホテル運営の大手である北海道振興に譲渡、ススキノグリーンホテル
新札幌市史 第5巻 通史5下 (政令指定都市の出発)

写真-1 節電のために消えたススキノのネオン
新札幌市史 第5巻 通史5下 (外食産業の多様化)

そのためススキノを避けてテナント料の安い郊外に出店し、ファミリーレストラン化を図るなど、新たな集客策を
新札幌市史 第5巻 通史5下 (場外馬券売り場問題)

には赤字経営に苦しむ道営競馬が収益の向上をねらって、中央競馬会の札幌競馬場に間借りしていた馬券売り場をススキノ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市街地再開発)

市街地再開発事業は、市街地改造法に基づく札幌駅前通の拡幅(昭38~45)、防災建築街区造成法に基づくすすきの・
新札幌市史 第5巻 通史5上 (商工政策の展開)

目抜き通りの四丁目・狸小路・ススキノには色鮮やかな広告塔やアーチが設けられ、店頭装飾競技会・福引き大売出
新札幌市史 第5巻 通史5上 (民間市場の郊外進出)

一方二十五、六年ごろからは、かつては狸小路、すすきの、四丁目、駅前に限られていた商店街が商品の出回りや
新札幌市史 第5巻 通史5上 (四十年代の劇団)

すすきののナイトクラブを昼間利用で拠点とし、飲食つきで大人が楽しめる演劇を目指した。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (第一次オイルショックとパニック現象)

ススキノ歓楽街は大型ネオンの点灯を自粛し、重油燃料の公衆浴場はやむなく営業時間を短縮した。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郊外に生まれる繁華街)

郊外に生まれる繁華街 従来、市の繁華街といえば、駅前通南一条西四丁目付近・狸小路・ススキノ一帯とほぼ
新札幌市史 第5巻 通史5上 (本州建設会社の進出)

場 第四市街地改造ビル 敷島ビル,吉忠札幌ビル,三甲札幌工場,三越百貨店増改築 東8丁目立体交差,すすきの
新札幌市史 第4巻 通史4 (演奏家の来札)

演奏家の来札 すすきのアカシヤ楽器店の石井春省は、田上義也との共同事業で昭和六年一月に純粋音楽社を設立
新札幌市史 第2巻 通史2 (遊廓地の決定)

これには、割渡しとなった遊廓地を薄野(すすきの)と称呼すること、および遊廓地内へ移転予定の「売女屋」を
新札幌市史 第2巻 通史2 (神社等の増加)

. 7 明治30.11 すすきの金比羅社 札幌区 明治25.10 稲荷神社 札幌区 明治
新札幌市史 第5巻 通史5下 (第二次ホテルラッシュ)

また不二ホテル(昭48・3)、ホテル・リッチ札幌(昭48・5)、札幌チサンホテル、ススキノグリーンホテル
新札幌市史 第5巻 通史5上 (道内四行の業況)

四十六年十一月、地域のニーズに合わせるため、すすきの支店の夜間営業が開始された。
新札幌市史 第4巻 通史4 (展覧会場)

ルビー喫茶店(南1西3)では、繁野三郎、山田正、今田敬一らが小規模な個展を、カメヤ喫茶店(ススキノ4丁目
新札幌市史 第5巻 通史5下 (勤労青少年ホームの建設と健全育成施策)

「北の誉」など各種酒製造会社、古鉄問屋、菓子問屋などのほかに二条市場もあり、隣接地区は狸小路商店街、ススキノ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (新札幌市史 第五巻 通史五(下)/総目次)

再編 大谷地流通業務団地の整備 中央卸売市場の動向      三 飲食店の動向         ススキノ,き残りをかけて 老朽施設の再整備と国際見本市の開催      三 飲食店の動向         ススキノ
新札幌市史 第5巻 通史5上 (道婦人相談所・市婦人相談室の開設と更生施設)

買う側、すなわち「買春」について罰則を設けていなかったために、「ソープランド」の名のもとに札幌では「ススキノ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (バブル経済と住宅建設)

めをかけるため、すでに六十二年十月一日から国土法に基づき、商業地のJR札幌駅付近から大通、狸小路、薄野(すすきの
新札幌市史 第5巻 通史5上 (「夜の女」の増加と「風紀取締条例」の制定)

と変わらない集団売春営業地域・薄野(明治初期から大正十一年まで札幌遊廓街)の一部を「青線」と称した(すすきの
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)

多様化      二 飲食業の伸展         料飲店の営業停止 料飲店の営業再開 よみがえるススキノ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (図版・写真・表組一覧)

平成16年)(札幌市広報部広報課)   第10編 現代の札幌   序章 写真-1 節電のために消えたススキノ
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