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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (三ベッドの特性)

三ベッドの特性 八軒ベッドとは八軒観測所のボーリングで、基盤の下野幌層(第三章参照)と上位の山口ベッド,このように、八軒ベッドの堆積期は比較的温暖であり、貝化石の14C年代から三万四〇〇〇年前ころである。,山口ベッドは山口観測所のボーリングにおいて、深度約一四〇メートルで鮮新世の西野層(第二章参照)を不整合,八軒では、前記のように八軒ベッドの上位に連続的に累重している。,このベッドに含まれる貝化石は、エゾタマキガイ・ホタテガイ・エゾワスレガイなど二六種の寒暖混合群集である / 三ベッドの特性
新札幌市史 第1巻 通史1 (埋没古三角州堆積物)

困難であるが、何本かのボーリング・コアから得た試料の花粉化石、貝化石などの特徴によって、下位から八軒ベッド,、山口ベッド、樽川ベッドに三区分されている。,ベッドというのは地層区分の最小単位のことであるが、ここでは、それぞれをこの古三角州堆積物の下部・中部・,この堆積物は、下部を別にすると、中部のベッドが山側付近に、上部のものが海よりに広く、しかも厚く堆積しているようである,各ベッドの特性は次のとおりである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (田草川伝次郎)

トウベツより少し行日暮。夜九時過ツエシカリへ着泊。,一  イベツ川筋右に枝川イチヤリブトと云ふ。直に川口に泊家あり。,一  イベツ川上はシコツの沼のよし。 一  行程二り程。,一  イベツの上シコツ沼なり。千年川はシコツ沼へ流込。 一  ヲサツは沼へ落る川なり。,一  イベツ川上[  ](本ノママ)千年川とも左右川柳其外雑繁茂一円平地なり。
新札幌市史 第1巻 通史1 (分領地の選定)

(一)カラフト  (二)サッホロ・シリベツ山、ウナベツ山  (三)ユウフツ辺よりトカチ川、クスリ川,、アッケシ・ネモロ・ノッケ等さしはさみユウベツ山辺迄  (四)エトロフ・クナシリ島  この中の(二,)には、サッポロ山、シリベツ山(羊蹄山)周辺の道央部が含まれていた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎の新道構想)

シツカリからコンブ川をたどってマッカリを通り、羊蹄山と尻別岳の間を抜け、キモベツ川をさかのぼって現在の,ツイシカリよりは石狩川を川なりに遡上して、カムイコタン、チュウベツブトを経てアイベツ川に転じ、峠を越して,下り、さらにナヨロ川からサンル川をたどってホロナイ川上流に出て、そして北海岸(オホーツク沿岸)のモンベツ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (木工・家具工業)

木工・家具工業 安田ベッド工業は発寒木工団地に工場をもち、昭和三十六年から道産ナラ材を使った二段ベッド,の製作をはじめており、四十八年から一般ベッドの一貫製作に進出している。,五十年十一月十一日にカナダのマーシャル・ベンチレイテッド・マットレス社とベッドのスプリングに関する技術提携
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロの検分)

、ほかにイシカリにおける従来の場所請負のあり方、アイヌの動向など地域全般に関心をはらい、さらに帰途エベツブト,ここから上流の新規開発を大津浜グループが始めることになっており、エベツブトにその拠点となる元小家の設置,ツイシカリからエベツブトにかけてのこうした調査は、箱館奉行の思惑と示唆が背後にあったと思われる。  ,調査の一行は十月十二日イシカリ出立、エベツブト検分のあと千歳越ルートを経て十月二十三日箱館着、翌十一月二日
新札幌市史 第1巻 通史1 (遠山・村垣一行)

ハツサブ[五軒] サッポロベツ夷 ヒトヰ トウベツ トマムタヰ夷 ツイシカリ 上陸して泊る。,ヰベツに入る。左右みな沢にして、川境さだかになし。ユウバリ川合流す。濁流也。,シマケシケクシベツ、沢中に入、湖水の如し。ユウブツに泊る。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (飛驒屋伐木図)

武川家文書 岐阜県下呂町教育委員会蔵  この地図は、イシカリ川流域とその支流のサッポロ川上流域、エベツ,一方、「川流シ道」の方は、エベツ川を遡り、シママップ川、イザリ川を遡って、シコツ山麓辺の「伐出場所」に,また、「川流シ道」のエベツ川のイシカリ川への合流点には、「留場所」があって人家が集まっているように描かれており,また、伐木された材木は、イザリ川上流からシコツ川、エベツ川を流送してきて、イシカリ川との合流点の「留場
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎のイシカリ川筋探検)

マコンベツ ここより支流に入る。巾10間ばかり、深さ6・7尋。川柳垂れ、野萄葡熟す。,この前にて漁をす。 フスコベツ 左岸の支流。古き川の意。巾13~15間もあるが猟事なし。両岸あし、垂柳,(泊) スノツ 左岸枝川。元番屋、今跡あり。 イベツフト ツイシカリより1里5丁程。右岸大枝川。,サヌイベツ 左岸枝川。漁猟多し。両岸柳、桑、雑木多し。 ユウバリ ツイシカリより5里半。,ツイシカリより先は、エベツブト(イベツブト)でイシカリ川本流と分かれ、支流の千歳川に入った。
新札幌市史 第1巻 通史1 (義勇の日記)

五月二十八日箱館  (三)「入北記」〔雲の巻〕─不明 〔行の巻〕─六月二十九日カラフト・トンナイ~八月四日モンベツ,  〔雨の巻〕─八月五日モンベツ~八月二十八日ヒロヲ〔施の巻〕─八月二十九日ヒロヲ~九月二十七日箱館
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政五年の調査)

二〇丁余下るとツイシカリメムという水溜りがあり、少し行くとツキシャフプト、ついでポロアシュシベツプトがありこの,ついでポロコトニ、ヨウコシベツなる川を経てハッサムに至る。  ,翌二十日、在住宅五、六軒あるチライオツベツの辺を過ぎ、サンタラッケに来るや、オタルナイ領より薪、材木伐,六月十九日トイヒラを出発し、ツイシカリ川に沿いツキシャプ、モツキシャプ、アシュウシベツを経て、ついでシュママップ
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕府の倒壊と大友亀太郎の去就)

そして帰着後の八月にナエボの開墾に着手し、また十月四日には兵部省の命により石狩国トウベツ山の開墾場予定地,の調査に赴き、同月八日石狩に帰着してトウベツ開墾場の地勢を報告するとともに、十月十二日サッポロ村のイシカリ,その後大友は直ちにトウベツにおける兵部省石狩国開墾場の造成に、金一万七〇〇〇両余の資金をもって従事するが,中止のやむなきに立ち至り、明治三年四月二十二日には兵部省石狩役所の開拓使への引き渡しのため、大友はトウベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (串原正峯)

これによれば、まずイシカリ川を舟で遡ってトママタイのアイヌの家に一泊、二日目はエベツ川の落とし口に出たのだろうか,三日目になってエベツ川よりシコツ川を遡ってシコツへ出、それより山越えしてビビに出、そこからはアイヌの丸木舟
新札幌市史 第2巻 通史2 (円山村の野菜)

生産されたものは『円山百年史』によると、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、ごぼう、キャベツ、大菜、大根、ねぎなどである
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌近傍の林相)

下手稲村星置往還筋、小樽内川迄平林  篠路太ヨリ石狩川筋幌向太迄両側平林 三等官林 「ヘンケハツタリベツ,白井川筋山林  上手稲村ヨリ西方二股迄平林  同村ヨリ北方、発寒三樽別落合迄平林、月寒村ヨリ新道筋「アシヽベツ,  平岸村東方「モツキ」川筋  有珠新道筋豊平川筋湯ノ沢ヨリ定山川上迄、白石村ヨリ東北平林  「アシヽベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎の調査行)

武四郎は安政四年(一八五七)に、「追々山道切開、土地御開墾の一助」(燼心餘赤)を目的とし、シイシリベツ,シツカリ(現長万部町)より、ルウサン(喜茂別町)──ツイシカリ(江別市)──トツク(新十津川町)──チユクベツフト
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の管轄・地域)

ニシトレンはチクベツ(秩父別)出身である。そのために上川に記載されたのであろう。,(四)上川の番所はこのチクベツにあったが、上川は五一軒、二〇九人と最も人別が多かった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (テシオ川からイシカリ川へ)

を越えてイシカリ川へ出てからで、十月十二日の「タナシ山高凡十丈」に始まって、同十三日の「ヒビ発チユクベツ,チュクベツ番屋から下流については、残念ながら図面は欠くが、のちの記録に「イシカリ河原ヨリ深山幽谷数十里
新札幌市史 第1巻 通史1 (井上貫流一行)

イシカリ・ユウフツ間全部の日記を紹介することは非常に長くなるので割愛するが、ツイシカリ、エベツブト付近,立ち、ツイシカリに到着したが、前年田草川伝次郎らが宿泊した泊小屋(ここでは運上屋と記しているが)はエベツブト,ここでイシカリ詰の役人が、私的な荷物を公の船に乗せてエベツブトまで運ぼうとしていたことが発覚し、今後の,エベツブトの宿泊所は大きく、会津藩の蝦夷地警備に派遣されたもののうち六〇人余りが泊まっていた。,さらに、エベツブトより先は、千歳川を遡って、「リフンヘツ」で一泊しようとするが、日没のため小屋さえ見つからず
新札幌市史 第1巻 通史1 (小休所の建設)

小休所の建設 銭箱・トヨヒラ間は歩くと一日行程で、その中間にあたるハッサム(ベツカウスとも呼ばれた)
新札幌市史 第1巻 通史1 (調査の概要)

ここで十日ほど滞在した後、船でイシカリ川を遡り、トクヒラ、ヤウシフハ、マクンベツ、シビシビ、トリアシ、,フシコベツ、ハッサム川、ヤウシハ、サッポロ、ヒトイ、トウペツ、「津石狩川」を過ぎ、エベツブトよりエベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (その用務)

①  イシカリ川エベツフトより上川筋の場所を見立て、漁業出稼をすること。,④  エベツフトより下流部に漁場を割り当てられ、鮭引網を行うこと。
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の出稼)

その上流、サッポロブト(現茨戸付近)の上よりエベツブトまでは山田が新規に開いた引場が多く、「鮭漁場数多,山田の鮭場増設はさらにつづき、安政四年(一八五七)に浜中の川口西方、エベツブト近くのホリカモイ、千歳川筋
新札幌市史 第1巻 通史1 (新漁場の割渡し)

浜中(16町)、ハナンクル 安政4年から 安政五年より出稼 勝右衛門 常陸 浜中(15町)、トウベツフト,伝吉他) 林治郎 松前 浜中(12町)、ウツナイ 浜中を安政6年返上 吉五郎 松前・吉岡 マクンベツ,松前 オタルナイ シビシビウシ、ハナンクル 代人(久五郎、源治、惣兵衛) 利右衛門 松前 マクンベツ,その後も網持出稼人の出入りははげしく、引場返上、再割渡しが繰り返されるが、川口からエベツブトまでのイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1 (ナイホとシノロ)

ナイホの乙名はニシトレン、小使はケセアマで、前者は上川チユクベツブト出身であった。,シノロの乙名インレシユは、安政四年春に死亡し、家はべツバラ(現妹背牛町)にあった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (野菜作経営の実態)

たまねぎが一町でもっとも多く、キュウリとかぶが五反であり、その他になす、キャベツ、馬鈴薯、葱、ゴボウ、,50.0円 なす 2 92 2.6 3.6 1.2 キュウリ 5 220 3.3 9.0 7.5 キャベツ
新札幌市史 第2巻 通史2 (下手稲村の成立)

村内のサンタロベツ(三樽別、後の軽川)と呼ばれたいまの手稲区本町付近は、四年に通行屋(取扱人吉田新兵衛,そこで手稲村を二つに割き、片倉家旧臣の地を上手稲村とし、サンタロベツの方は下手稲村として同村が誕生した
新札幌市史 第1巻 通史1 (中嶋村の成立)

すなわちイシカリ在住として安政四年ホシオキに入地した中嶋彦左衛門は、万延元年コトニ川支流のケネシベツ川流域
新札幌市史 第3巻 通史3 (野菜生産の拡大)

一七九町(二〇パーセント)、大根一五二町(一七パーセント)が三大作物であり、その他に白菜などの漬菜やキャベツ,表-23a 野菜作の変化(札幌郡,単位;町)   漬菜 キャベツ 大根 かぶ 人参 葱 玉葱 ゴボウ,57 16 57 46 1,202 表-23b 野菜作の変化(札幌郡,単位;円)   漬菜 キャベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (中期)

その時期の堆積物が八軒ベッドである。,それが山口ベッドである。  
新札幌市史 第7巻 史料編2 (四 官有地・官林)

四 官有地・官林 四二 月寒・望月・精進川・ハツタリベツ等官林の件(明治六年一一月一三日) 四三 
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政三年の調査)

小川が左右に多く、左の方にシャクシコトニ、ノシケコトニ、コトニの川が並び、また本川の右の方にチケウシベツ,この川筋を聞くと、一里余川上に沼様のタウシナイがありエベツプトに近いという。,翌九日、一行はツイシカリを発し、シノツ、エベツプトを経て石狩川をさらにさかのぼり、雨竜川に転じてルルモッペ
新札幌市史 第1巻 通史1 (磯谷則吉)

 (イヘチフトと順序は逆か) イヘチフト あり シコツ川合流して大河 トマヽタイ あり トベツチ,~4 シヤツボロ 3~4 トユビラ 3~4 サツボロ川小流 ハツシャブ 3~4 フシコベツ,2~3 イシカリの旧流あり トヤレ 2~3 小流合す シフシフシ 2~3 マクンベツ 2~3
新札幌市史 第5巻 通史5下 (レンタル業の躍進)

同店はベビーベッド等の一過性の商品に照準をあてたほか、利用促進のために企画や会場設営等も請け負い、豊平区,レンタル用品は小児用品や旅行カバンから、単身赴任者を相手にしたベッド、テレビ等まで多岐にわたり、「必要
新札幌市史 第1巻 通史1 (上ツイシカリアイヌの離散)

移転先の内訳は、千歳川のイザリブトへ七戸、二六人、ハッサム場所へ三戸、九人、トウベツブトへ二戸、八人という,残るトウベツブトへの移転もやはりシレマウカのウタレで、粟、稗、青ものなどをおもに栽培していたらしく、住居
新札幌市史 第3巻 通史3 (フランシスコ会の参入)

ベッド数二五床の小さな病院であった。,しかし札幌の病院の多くが畳敷きであった中で、ベッドを設備したことから多数の見学者を呼び、修道女の献身的
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕末の変転)

大友亀太郎は、さらにトウベツ(当別)の開拓も計画していた(大友亀太郎文書)。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (後期)

よくわからないが、海はさほど後退せず、札幌市の北部は海底下にあり、陸上からの土砂を堆積しつづけていた(山口ベッド,手稲山口や石狩町樽川などの地下に分布する樽川ベッドが当時の海底堆積物である。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門の漁業)

割渡しを変更されたから、三年目の万延元年に勝右衛門のもとに残った引場は、浜中と川筋のバンナグロ、トウベツブト,出稼五年目の文久二年(一八六二)、勝右衛門が直接経営した引場はトウベツブトの二統のみで、その水揚は五二四束
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎の調査)

ただし、『燼心餘赤』では、「シリベツ川筋石狩水源行の儀願書」を、四月二十二日に組頭三田喜六に提出している
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌの使役)

アイヌの使役 松浦武四郎は七月六日に、ユウバリ調査行の途次、ベツカイ(茨戸付近)にて休憩する。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ川の地図)

川名の記入は欠くがイシカリ川を遡ると、下流から順にハッサム川、フシコサッポロ川、サッポロ川、エベツ川が,川へ流れ込んだ場所がツイシカリ川の中流域の支流「ヌフルテツ」(ヌプロチペ=現野津幌川)および「フシコベツ,サッポロ、ナイホウ ③ コトニ川   シノロ、コトニ、ヨコシヘツ ④ サッポロ川  ツイシカリ、アシシベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (コトニ開発場)

コトニ開発場 第七章で記述したように、安政四年にケネシベツ川(コトニ川支流、現琴似川)の川岸に入居していた
新札幌市史 第4巻 通史4 (野菜・果樹)

かぼちゃ 牛蒡 琴似村 りんご 大根 なす ぶどう かぼちゃ 手稲村 大根 すいか かぼちゃ キャベツ,梅 藻岩村 なす きゅうり かぼちゃ キャベツ りんご 豊平町 りんご かぼちゃ キャベツ にんじん,さくらんぼ 白石村 牛蒡 キャベツ 長いも りんご 玉葱 札幌市 キャベツ 大根 玉葱 長ねぎ りんご
新札幌市史 第1巻 通史1 (移住の自由)

十三場所の内カバト、ユウバリ等を請負ったことがあり、当時は西蝦夷地のオタルナイ、フルビラ、東蝦夷地ではホロベツ,) ユウフツ、サル、アッケシ 場所請負人 恵比寿屋半兵衛 小休所取建 見世(店)開設(サンタラベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム番所)

④ オベツカウシ(発寒)にも勤番所あり。,以上の五項目の関連事項からみると、ハッサム番所はまずオベツカウシ(現在の西野東部)に所在していた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷地での活躍)

ってソウヤに至り、渡海して北蝦夷地のマアヌイ、クシュンナイを巡ってソウヤに帰り、さらに西蝦夷地のモンベツ,実施され、四月二十九日箱館出立、オシャマンベよりスッツへ出てイシカリに至り、石狩川をさかのぼってチウベツブト
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

肝付兼武伝」『伝記』第四巻一号~六号、杉浦勝誠『日次記』、「荒井金助事蹟材料」、「荒井金助逸伝」、「モンベツ
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサムよりシユママツフへ)

翌十九日は小雨の中を出発し、チキシヤフ(月寒川)、アシュウシベツ(厚別川)をすぎ、シユママツフ(島松)
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