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新札幌市史 第1巻 通史1
(上ツイシカリアイヌの離散)
上ツイシカリ
アイヌの離散 シレマウカの本拠地である
上ツイシカリ
の場合、もっとも大きな影響を受けている,東蝦夷地内のウライ没収以降文化十年(一八一三)までの間に、シレマウカとその一族が
上ツイシカリ
を去ったため,、「
上ツイシカリ
蝦夷人住居不仕不残他場所住居仕候」(由来記)というごとく、無人と化している。,『由来記』に記された文化十年十一月付の
上ツイシカリ
通詞幸吉以下三名の報告は、次のようにそのありさまを伝,其後人別御取調之節
上ツイシカリ
人数ニ相成候。 /
上ツイシカリ
アイヌの離散
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二回訴願)
その間に
上ツイシカリ
のシレマウカ夫妻も次第に年老いて言語も自由にならないほどとなり、おまけに子供が若年,その結果、同年十一月付の
上ツイシカリ
通詞幸吉、下ユウバリ通詞定右衛門、トクヒラ通詞万右衛門の調査した限,①
上ツイシカリ
の知行主松前勇馬(天明末~寛政初年の『西蝦夷地分間』では、
上ツイシカリ
の知行主は松前貢、,④
上ツイシカリ
のアイヌは、ウライ没収以後、イシカリ川筋の長びく不漁によって、住人のほとんどが今ではイザリブト,、ハッサム、トウベツブト方面に離散してしまい、
上ツイシカリ
は無人と化している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(集約化されるアイヌ労働)
①
上ツイシカリ
アイヌの人別 文化十年(一八一三)、
上ツイシカリ
の通詞幸吉以下三人が、
上ツイシカリ
の,この
上ツイシカリ
は、東蝦夷地が直轄になって以来、
上ツイシカリ
の惣乙名(そうおとな)シレマウカが所有する,ところが、
上ツイシカリ
の人別に入っていた二六戸、一〇五人というのは、もとテシオ場所のアイヌで、
上ツイシカリ
,ねさせる状態で、そのまま住まわせておいたところ、ちょうど人別改めがあり、実際は上川に住んでいるのに、
上ツイシカリ
,しかしこの場合、
上ツイシカリ
の人別に入れたことで請負人は、
上ツイシカリ
の名を使った利権を継続できることになる
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリアイヌの入会権)
上ツイシカリ
の惣乙名シレマウカ、下ツイシカリの乙名レタリカウク、上ユウバリのアンラマシテ、同カシュウシ,
上ツイシカリ
の惣乙名シレマウカは、『由来記』によれば、元来は千歳アイヌ系であるという。,なぜ
上ツイシカリ
の惣乙名になったかは不明である。,その際、ムイザリアイヌの財宝を償いとして差し出したが、それでは足りず
上ツイシカリ
のシレマウカの祖父に頼
新札幌市史 第1巻 通史1
(第一回訴願)
第一回訴願 西蝦夷地が直轄地となった翌年の文化五年(一八〇八)、
上ツイシカリ
惣乙名シレマウカは、ウライ,②このウライの所有は、かつて東蝦夷地からアイヌがムイザリに攻めてきた時、ムイザリのアイヌの依頼により
上ツイシカリ
,残る上ユウバリのアンラマシテ、
上ツイシカリ
のカシュウシ等の訴願についても、同様な理由ではねつけている。,11-
上ツイシカリ
通詞幸吉らウライ事件顚末について調査報告す(
上ツイシカリ
の主要産物の干鮭は、シレマウカ,
上ツイシカリ
のアイヌの住人は、ウライの没収と不漁で各所へ離散した)。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔イシカリ場所人別帳(松浦武四郎)〕)
トクヒタ惣乙名〕 〔ハツシヤフ乙名〕 〔下サツホロ乙名〕 〔上サツホロ乙名〕 〔
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(東蝦夷地の仮直轄)
これにより、
上ツイシカリ
のシレマウカの所有するムイザリのウライの設定場所などは、一方的に直轄地に属することになった
新札幌市史 第1巻 通史1
(衰退の要因)
元サッポロの出身者には、イカシトシ(トクヒラ小使)、ニツル(
上ツイシカリ
)、イタクリキン・チウエンレシユ,じく他場所に編入されてはいるが、家の所在地につきサッポロとするのは、サンキツ(トクヒラ)、イバンケ(
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(上原熊次郎の斡旋)
しかし、この案も、
上ツイシカリ
のシリコノエが承諾しないまま、「其年も漁業等も不仕捨置候」といった状況で
新札幌市史 第1巻 通史1
(請負方式の変化)
村山伝兵衛イシカリ場所之内トクヒラ、ハッシャフ、
上ツイシカリ
、下ユウハリ、シマヽフ右五ケ所夏漁場幷秋味漁,このように、イシカリ場所のうちトクヒラ、ハッサム、
上ツイシカリ
、下ユウバリ、シママップの五場所ということは,京極屋嘉兵衛 70 佐々木屋嘉兵衛 70 シノロ 筑前屋清右衛門 50 筑前屋清左衛門 50
上ツイシカリ
,夏商では、文化四年では請負人の米屋孫兵衛が、トクヒラ、ハッサム、
上ツイシカリ
、シママップの計四場所を運上金二五五両
新札幌市史 第1巻 通史1
(第三回訴願と収拾)
以上のような内容の、いわば「覚書」を
上ツイシカリ
惣乙名シリコノエ、小使サエラフニとそれにユウフツ惣乙名,解決の糸口をみてみるならば、
上ツイシカリ
の惣乙名シレマウカの妻が千歳出身であり、老女となって一人残されているものを
新札幌市史 第1巻 通史1
(十三場所の人口把握)
) 五九人 コミトリ ⑩シマヽリフ(シママップ) 二四人 モムアイノ ⑪トイシカリ(
上ツイシカリ
,93 98 シノロ 19 15 37 22 15 125 138 67 71 138 67 71
上ツイシカリ
,三倍以上の増加場所は、下ユウバリ(六倍)、シノロ、
上ツイシカリ
、上ユウバリ、上カバタで、減少したのはハッサム
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政三年の人別帳)
ハツシヤフ 5 11 10 21 下サツホロ 5 14 12 26 上サツホロ 20 29 50 79
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の管轄・地域)
カバタ ②シノロ、下カバタ ③ナイホ、上川 ④(ユウバリ)上ユウバリ、下ユウバリ ⑤
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(ウライの没収と出漁禁止)
上ツイシカリ
通詞に、「ウラエ共弐ツ御取揚ニ相成候ては、末々渇命ニも及可申」(由来記)と訴えたが、幕府の
新札幌市史 第1巻 通史1
(ナイホとシノロ)
上サツホロ 乙名 シリコフツネ シリコフツネ 小使 モニヲマ サンナイ
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(十二場所論)
下サツホロ 五リ ナイホウ 上サツホロ 七リ 下ツイシカリ 八リ
上ツイシカリ
上ユウバリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(十三場所の出産物)
2,500入1本 上サッポロ 差荷物(7両2分) 下サッポロ 差荷物(5両) シノロ 差荷物(5両2分)
上ツイシカリ
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
イシカリ場所の人別帳の内容は、イシカリからはじまって、ハツシヤフ、下サツホロ、上サツホロ、
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政三年の調査)
本川を少し上ると
上ツイシカリ
で、番屋一棟(梁三間、桁五間)、板蔵一棟がある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所請負へ)
多門 下ツイシカリ 24 油2樽、あつし大10枚、〓2束、干鱈2束、くし貝5束 12 松前 藤兵衛
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(アイヌ支配の構造)
イツトセ 脇 ケミアント 小 シヤヒセ 乙 イシレミユ(57歳) 小 イシヨラニ(33歳)
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎のイシカリ川筋探検)
①トクヒラ、②ハッサム(ハツシヤフ)、③サッポロ、④上サッポロ、⑤ビトイ(シノロ)、⑥ツイシカリ、⑦
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(十三場所の変遷と請負人)
高橋平蔵 南条安右衛門 酒井作之右衛門 松崎太次右衛門 比定場所
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫『入北記』(カラフトへ向かう))
小使 シイレンカ 下ユウハリ 乙名 ユワコラン 小使 シリカンチユ
上ツイシカリ
,クウチンコロ 上ユウハリ 同 サンケバロ 代アブンケグル 下ユウハリ 同 ユワコラン 代タリキン
上ツイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
の入会権 二 漁業権紛争の発端 東蝦夷地の仮直轄 ウライの没収と出漁禁止
上ツイシカリ
アイヌ
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