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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (下サッポロ)

下サッポロ 石狩十三場所のうち、現在の札幌市域に存在したのは、ハッサム・上サッポロ・下サッポロ・シノロ・ナイホ,下サッポロは、人別帳に五軒二六人の記載があるも、当時は一軒もなかった。,一時的にせよクウチンコレは、下サッポロに居住したようだ。,小使モリキツは、この下サッポロの生まれであったが、いまは家もなく浜に下げられていた。,なお下サッポロの位置は、伏籠川の下流域で、フシコサッホロとも呼ばれていた。 / 下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (「不人別帳」)

「不人別帳」 それはどういうことかというと、たとえば上サッポロ・下サッポロの場合、人別帳には上サッポロ,は二〇軒、下サッポロは五軒の記載がある。,下サッポロも、人別帳には五軒二六人を記載するがまったく居住していない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の管轄・地域)

サッポロは旧場所の上サッポロ、下サッポロのように上・下がみられなくなっている。,この上・下サッポロのうち、どちらが退転したか不明であるが、サッポロと上・下ツイシカリが一ブロックとなっている,しかも上川には場所がおかれていず、石狩川上流域のアイヌは、以前はみなトクビタ、シノロ、上・下サッポロなどの
新札幌市史 第1巻 通史1 (十三場所の変遷と請負人)

表-6 イシカリ十三場所・知行主・請負人・運上金変遷表 比定場所 ナイホ 下サツポロ シノロ 上サツポロ,一五両 三〇両 二〇両 二〇両 3 『松前随商録』 天明末~寛政初 〔石狩十六箇所〕 下シノロ 下サツポロ,    5 『北藩風土記』 天明末~寛政初 〔イシカリ十三ヶ所〕 下シノロ 上サツポロ 上シノロ 下サッポロ,上サッポロ・下サッポロについては、おそらく場所が近接しているため、地名の交錯、上・下の混同、誤記が少なからずあったとみるべきだろう
新札幌市史 第1巻 通史1 (十三場所の人口把握)

  二四人   モムアイノ ⑪トイシカリ(上ツイシカリ)   一〇人   シリマウカ ⑫サツホロ(下サッポロ,各場所の人口は、①トクヒラがもっとも多くて六四人、ついで⑨トイヒラ(上カバタ)の五九人、⑫サツポロ(下サッポロ,上サッポロ 29 15 50 27 23 187 194 104 90 194 104 90 下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政五年の調査)

この川筋はすべて下サッポロ、一名フシコサッポロへ落ちる由。,コトニ川幅五、六間、これがフシコサッポロといい、また下サッポロともいう川筋のことで、昔は人家があったというが
新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロの開発)

サッポロの開発 場所請負制下の札幌市域は、シノロ・上サッポロ・下サッポロ・ナエボ・ハッサムなど、イシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1 (衰退の要因)

衰退の要因 以上のように、上・下サッポロ、ハッサム、ナイホ、シノロのコタンをみてくると、いずれも衰退
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政四年の調査)

下サッポロ・ナイボの両川とツイシカリ川の両方へ水は落ちるという。
新札幌市史 第1巻 通史1 (十二場所論)

『路程全図』に位置づけられた十二場所をみると、いずれもイシカリ川沿いにあり、川口に一番近いのが下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (十三場所の出産物)

鯡切込2斗入1樽、防風漬2樽、数子10貫目、身欠鯡2,500入1本 上サッポロ 差荷物(7両2分) 下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋の台頭と没落)

西蝦夷地分間』(天明末~寛政初年)段階では、イシカリ十三場所のうち、上サッポロ、「ツフカルイシ」(シノロ)、下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (海防論とイシカリ)

イシカリ川筋の上サッポロ、下サッポロ、カバト、ユウバリ辺のアイヌのなかには、この通路を知っている者もいるので
新札幌市史 第1巻 通史1 (場所請負へ)

あつし10枚 工藤忠左衛門 (宝暦元年より) 5 目谷 小八郎 下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (請負方式の変化)

米屋孫兵衛 50 米屋孫兵衛 40 阿部屋 * 上サッポロ 浜屋甚七 70 浜屋甚七 65 下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ支配の構造)

 ウシヤレンカ 脇 ホロヘンケ 小 ルンメ 乙 イカエテノ(56歳) 小 カ子クシ(57歳) 下サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

減少 松浦武四郎の総括 アイヌへの種痘   第三節 コタンとアイヌの人々…867     一 上・下サッポロ,とモニヲマ        下サッポロ 上サッポロとモニヲマ モニヲマの家族 トシキランの死     
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