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新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村の成立)
下手稲村
の成立 手稲村は片倉家旧臣の開拓使貫属が入植し、五年二月に発寒村を割き設置された。,そこで手稲村を二つに割き、片倉家旧臣の地を上手稲村とし、サンタロベツの方は
下手稲村
として同村が誕生した,ただし
下手稲村
の設置の年月は明確でない。一般には六年とする記述は多いが、月日までは示していない。,この副戸長設置をもって
下手稲村
成立の時期と考えられるのである。,以上の二点から上・
下手稲村
の分割は六年十月頃と判断できるのである。 /
下手稲村
の成立
新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村と軽川の発展)
下手稲村
と軽川の発展
下手稲村
は二十一年八月に、上手稲、下手稲、山口村の三カ村戸長役場が上手稲村より,
下手稲村
の中でも軽川(手稲区本町)は、十四年十月二十五日に幌内鉄道の簡易停車場が設置され、市街地の形成,
下手稲村
の二十二年の戸数は二〇八戸、人口は五七九人であったが、農業は六割でその他が四割とされており(佐藤喜代治,
下手稲村
には二十五年に巡査駐在所がおかれ、二十八年に前田農場の軽川支場が開場し(小作は三十二年で四九戸,」、「石狩港並に附近の村落は、冬春積雪の候は凡て物貨は我が軽川に運送し来り」、軽川には戸数二八一戸(
下手稲村
/
下手稲村
と軽川の発展
新札幌市史 第3巻 通史3
(手稲村の概況)
手稲村の概況 手稲村は明治三十五年四月一日に上手稲村、
下手稲村
、山口村の三村を合わせて二級町村制が施行,四十二年の戸数・人口は上手稲村が二三八戸一三七六人、
下手稲村
が二八二戸一六七五人、山口村が九七戸六二一人,上手稲村と山口村が純農村であったのに対し、
下手稲村
には停車場、村役場がある軽川に市街が開けており、前田農場,行政区域は七部に分かれていたが、大字上手稲村は上手稲・西野、大字
下手稲村
は軽川・三樽別・下手稲星置、大字山口村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
空知通 (北)西創成町 (北)東創成町 雨龍通 札幌通 雁来村
下手稲村
, 篠路村 発寒村 琴似村 山鼻村 (2)耕地の部 雁来村
下手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道開進会社)
このうち札幌周辺では十三年六月と十四年六月の二度出願されているが、後者の場合、
下手稲村
に六〇〇万坪、札幌村,十四年六月の出願では
下手稲村
に約六〇〇万坪の仮割渡しが許可となり、八月ここに同社の第五会所(
下手稲村
四五番地
新札幌市史 第2巻 通史2
(山口村の成立)
山口村は当時
下手稲村
に属し、十四年九月に山口県から宮崎源治右衛門を総代とする植産会社の人々が移住したことに,山口村の設置は十五年十二月二十二日に、
下手稲村
を割き設置の告示がなされた(札幌県布令全書 明治十五年)
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌近傍の林相)
篠路村ヨリ花畔村ノ間 雁来村ヨリ豊平川沿岸対雁村迄平林、篠路村ヨリ東北「ケレトウシカ」沼平林
下手稲村
星置往還筋,野津幌迄ノ間街道ヨリ北側 円山村ヨリ北琴似川筋平林 上手稲村字「テイ子イニタ」川筋、落合迄平林 上
下手稲村
山,
下手稲村
、三樽別、軽川、星置、山林 発寒川字「モリ」辺ヨリ西北平林 琴似川ヨリ西北発寒川迄平林
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
札幌市街 山鼻村 円山村 琴似村 発寒村 琴似発寒屯田兵村 上手稲村
下手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場と戸長)
と戸長 琴似ほか四カ村には当初戸長の配置が一人であったが、十五年七月一日に琴似・発寒村に一人、上・
下手稲村
,また十六年四月に
下手稲村
を分け山口村が設置されたので、上手稲、下手稲、山口村の三村に一人の戸長配置となった
新札幌市史 第2巻 通史2
(神社等の増加)
#160;6 三吉神社 札幌区 明治10 明治13 中の島神社 平岸村 明治10頃 手稲神社
下手稲村
,#160;9 大正4.3 丘珠神社 丘珠村 明治15. 9 明治25.10 星置神社
下手稲村
,信濃神社 白石村 明治29. 9 明治30.10 南沢神社 山鼻村 明治30 新川神社
下手稲村
,明治31.10 西野神社 上手稲村 明治32. 1 三つの小祠を合併創建 稲穂神社
下手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の兼務)
市太郎は十二月に総代の任命を求めたが、おそらく人材が乏しかったのであろう、
下手稲村
副戸長管野格に発寒村事務取扱
新札幌市史 第2巻 通史2
(その他の村落)
、札幌村には十七年七月、請負人大岡助右衛門から校地を譲り受けて藤古小学校が設立され、また開村間もない
下手稲村
,写真-3
下手稲村
学校略図(札幌県治類典 道文8939)
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部寺院の創立)
. 30
下手稲村
曹洞宗 智徳寺 32. 5 白石村 真宗大谷派 高恩寺 32
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌神社の活動)
七年に平岸村が出願し、さらに
下手稲村
(十一年)、札幌市中(同)などへも遙拝所が創建されていった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の農場と小作制)
これらの規則や法律による土地払下をもとにして、現在の札幌市に含まれる札幌村、苗穂村、篠路村、
下手稲村
、,これを面積の大きい順に挙げれば、前田農場の一六七四町、小作四二戸(
下手稲村
軽川)、谷(拓北)農場の一〇
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街と村の景観)
下手稲村
戸数七、八十戸三百余人。耕耘に従事する者少し。,
下手稲村
と異なるのは、元仙台藩士片倉小十郎従者団結移住したために土着の精神が強いという。
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸村の状況と生産高)
琴似・下手稲・札幌の四力村のみで、屯田兵村となっており戸数も多い山鼻・琴似村は当然のように思われるが、
下手稲村
,
下手稲村
にはすでに山口県から四〇戸ほどの移住者が入地していたが、彼らは副業として薪をつくり銭函の漁場、,『札幌区市街各村之開拓ノ顚末』(明治十年調、伊東正三資料 函図)でも、
下手稲村
は旅人宿・煮売店・馬追・,月寒村の一戸当農地が豊平・
下手稲村
に次いで低いのは、この年に報国社や岡山県移民が多数入地しており、それで
新札幌市史 第2巻 通史2
(実業教育)
まず二十二年に上・
下手稲村
で、「将来の為め」児童に本業を教えるとして上手稲・下手稲両校に「本年より小学校
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
16,500 道庁理事官 5 生松吉兵衛 同 上 53,029 8,600 栃木県 6 水原寅蔵
下手稲村
,9,500 東京府寄留 8 高畑利宜 上手稲外1カ村 86,499 8,600 道庁属 9 古川素助
下手稲村
,もと屯田兵公有地 9 稲積 発寒 36 稲積豊次郎 454 - 自作,もと屯田兵公有地 10 前田
下手稲村
軽川
新札幌市史 第3巻 通史3
(前田農場の経営状況)
前田農場の経営状況 この中で、「自作及小作ノ両経営」を行っている、最大の面積を擁する
下手稲村
の前田農場
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
〔白石村〕 〔月寒村〕 〔札縨村〕 〔篠路村〕 〔琴似村〕 〔
下手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(作物の特産化)
栽培し札幌市街へ販売し、琴似村は麦、豆、麻、蔬菜、発寒村は穀菜少し、上手稲村は蚕、桑、麦、豆、百合、
下手稲村
新札幌市史 第4巻 通史4
(手稲村)
一月十七日に
下手稲村
にて発会式が行われたが、協議事項には開村五〇年祭挙行、学齡児童就学歩合の向上、農業金融上信用組合
新札幌市史 第2巻 通史2
(救済事業)
この準備米方法にならって各村々でも備米や備金制度を採用し、
下手稲村
では八年二月より一戸につき二円六〇銭
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【人口】)
33表 戸数・人口 (豊平村・町) 第34表 戸数・人口 (上手稲村) 第35表 戸数・人口 (
下手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
十月頃に手稲村が上・下に分割されて
下手稲村
は管野格が任命された。
新札幌市史 第2巻 通史2
(教導職の設置)
さらに六年五月には市中村々へ教導に関する世話方設置に関する文書があり、七年一月に上・
下手稲村
民に民事局
新札幌市史 第3巻 通史3
(就学督励と「名誉旗」の授与)
手稲村の就学状況は『明治四十一年札幌郡手稲村勢一班』に基づくものであるが、手稲三村(上手稲村・
下手稲村
,上手稲村では男子八三・三三パーセントに対して女子九一・四二パーセント、
下手稲村
では男子五二・〇〇パーセント
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の移転と分立)
まず上手稲ほか二村の戸長役場は、これまで上手稲村におかれていたが、三カ村の中央に位置する
下手稲村
の軽川
新札幌市史 第4巻 通史4
(手稲村)
手稲村 手稲村は上手稲村、
下手稲村
、山口村の三大字から成り大正十年九月三日に開村五〇周年記念式が挙げられた
新札幌市史 第2巻 通史2
(新しい農業の導入)
~十四年の農具売下合計でみると、プラウの合計は札幌市街三、札幌村三、円山村七、平岸村四、上手稲村四、
下手稲村
一
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
十五年月寒村字厚別・白石・札幌・山鼻・
下手稲村
字軽川に切手売下所を設け、琴似村には無集配郵便局(郵便受取所
新札幌市史 第2巻 通史2
(移住の新展開)
Ⅱ農民移住のうち(1)会社・大農場は、第四十四銀行頭取の岩橋徹輔がおこした北海道開進会社があり、
下手稲村
新札幌市史 第3巻 通史3
(ブリーダー牧場の概況)
極東煉乳株式会社軽川農場 (手稲村大字
下手稲村
字軽川) 極東煉乳株式会社の経営にして、大正六年の創業なり
新札幌市史 第4巻 通史4
(市街地の広がりと郵便局の新設)
札幌逓信講習所内郵便局 改称,南22西7 昭14. 9 . 6 手稲鉱山郵便局 新設,三等局,手稲村大字
下手稲村
字
下手稲村
星置
新札幌市史 第2巻 通史2
(墓地と火葬場)
下手稲村
においても同様であった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(施行地)
札幌村(旧来の札幌村、苗穂村、丘珠村、雁来村の区域) 人口四二五八人 手稲村(旧来の
下手稲村
、上手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
3748 1637 発寒村 212 314 102 上手稲村 577 823 246
下手稲村
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
手稲村は上手稲村、
下手稲村
、山口村の三大字であったが、十七年四月十日に大字を廃止し福井、平和、西野、東
新札幌市史 第2巻 通史2
(四季と遊覧)
光風館 札幌郡
下手稲村
二十六年十一月三日開業。所有東幸三郎。
新札幌市史 第2巻 通史2
(山口・広島県からの移住)
年代中頃まで) 当時、山口県からは漁・島松村(現恵庭市)、千歳村への移住も行われ、また上手稲・
下手稲村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 教育)
明治六年九月二七日) 九七 市中教育所に助教師任命の件(明治七年一月二九日) 九八 上手稲・
下手稲村
説教世話方届
新札幌市史 第2巻 通史2
(共同の財産)
ほかに月寒村厚別、上
下手稲村
に分散するが、官用地とともに新琴似兵村に近接する土地の編入替が注目される。
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸村の人口と移住の動向)
また
下手稲村
の増加は、山口県移民が現在の手稲区山口に移住したことによる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(三十一年大洪水)
〈
下手稲村
役場部内〉 三樽別川橋梁破損甚しく交通途絶。二、三十戸浸水か。
新札幌市史 第4巻 通史4
(「村社」をめぐる競合)
.28 西野 同 大字上手稲村 明32. 1 .28 昭 4 . 1 .10 手稲 同 大字
下手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の任免と村民との対立)
札幌郡上手稲、下手稲、山口戸長役場は
下手稲村
字軽川にありて従前より苦情多く、戸長の交迭も又極めて頻繁にして
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の郵便局)
4 . 1 新琴似郵便局 受取所を改称,三等局 明治32 . 3.16 軽川郵便受取所 手稲村大字
下手稲村
字軽川
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
史料は、明治十三年の月寒村、平岸村、上・
下手稲村
等の実態を示している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(農産の中心・札幌)
下手稲村
ハ安政六年ヨリ耕作ヲ営ム者アリト雖モ瘠土ニシテ収穫甚少シ。
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