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新札幌市史 第3巻 通史3
(丘珠村小作人聯盟)
丘珠村
小作人聯盟 一方小作人側の動きであるが、同じ札幌村で九年六月、小作人聯盟なるものが設立されている,
丘珠村
小作人聯盟規約 第壱条 聯盟者ハ協同一致シテ正当ノ権理ヲ主張シ当然ノ義務ヲ完フシ以テ各自生活ノ,小作スル聯盟者外□□ニ対シテハ第四条ノ制裁ヲ加フルモノトス 大正九年六月 日 札幌村大字
丘珠村
聯盟者,この規約から明らかなように、この
丘珠村
小作人連盟は、地主側の「不当ナル」小作料値上や土地引上げに対抗することを,ちなみにこの年、札幌の北東部に位置する雁来村は五六・二パーセント、苗穂村は五六・九パーセント、
丘珠村
は /
丘珠村
小作人聯盟
新札幌市史 第3巻 通史3
(丘珠村の争議)
丘珠村
の争議 篠路村・拓北農場の争議が発生した二年後の大正十一年(一九二二)、隣村の札幌村でも小作争議,丘珠の小作人騒ぐ/大地主許士対(ママ)の紛擾/札幌署長の仲裁で漸やく納る 大正九年中より札幌郡
丘珠村
御料地四十八町歩 /
丘珠村
の争議
新札幌市史 第2巻 通史2
(丘珠村と白石村の「自治」)
丘珠村
と白石村の「自治」 また
丘珠村
ではこれ以前に、組と伍長制度が存在していた。,道毎日には、
丘珠村
には明治七、八年頃より一の組合規約なるもの有り。,明治二十一年に至り初めて規約の正条十三ケ目を設けたり……(二十九年三月二十九日付) と述べ、
丘珠村
規約一三,このように
丘珠村
の「伍長会」は、毎年一月に村民が集合して総代集会を開き、事業・会計報告を行うなど、林顕三,
丘珠村
では一月に年一回の総代集会が開かれていたが、同様の集会は白石村でも認められた。 /
丘珠村
と白石村の「自治」
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
下手稲村 豊平村 平岸村 白石上白石両村 月寒村 雁来村 札幌村 苗穂村
丘珠村
,山口村 対雁村 五八 移住民情況調(明治一九年調) 札幌村 雁来村 苗穂村
丘珠村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
上白石村 豊平村 苗穂村 円山村 上手稲村 札幌村 平岸村
丘珠村
,豊平村 苗穂村 雁来新道 円山村 上手稲村 札幌村 平岸村
丘珠村
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
〔月寒村〕 〔手稲村〕 〔対雁村〕 〔札幌村〕 〔苗穂村〕 〔
丘珠村
,7 篠路村(明治6年7月2日検地開始) 8 発寒村(明治6年6月6日検地開始) 9
丘珠村
,年6月15日検地開始) 摘用録〔抄〕 札縨村外十一ケ村収穫高調 明治六年収穫調 〔
丘珠村
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌村の概況)
札幌村の概況 札幌村は明治三十五年(一九〇二)四月一日、札幌村、苗穂村、
丘珠村
、雁来村の四村が併合して,10・5)、『札幌村史』によると大字札幌村に元村、中通、新川、列々布、大字苗穂村に苗穂上、苗穂下、大字
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(東区の状況)
丘珠村
―丘珠。雁来村―雁来。篠路村―中野、福移。札幌区―鉄東。 ,
丘珠村
は元山形県の移民より形成されたが転出者が相次ぎ、そのあとを富山県移民が入植し、さらにさかんに呼び,寄せをおこなって
丘珠村
の奥地や烈々布に入植していったと思われる。,また札幌・
丘珠村
にまたがる烈々布の富樫農場は二八戸の小作がすべて富山県出身であった(北海道農場調査)。,これが継承・保存されてきたのも、
丘珠村
に特に富山県出身者が多く濃密に分布してきたことによる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌近傍の林相)
下手稲村、三樽別、軽川、星置、山林 発寒川字「モリ」辺ヨリ西北平林 琴似川ヨリ西北発寒川迄平林
丘珠村
,ヨリ東南豊平川方面平林 札幌村ヨリ北琴似川筋「レーレツフ」迄平林
丘珠村
ヨリ苗穂村ノ間平林 苗穂村,ヨリ東南雁来村ノ間平林
丘珠村
ヨリ篠路村琴似川ノ間平林 篠路村ヨリ西琴似川筋平林 同村ヨリ「モイレトウ
新札幌市史 第2巻 通史2
(地域守護としての地蔵)
地域守護としての地蔵 二十六年、札幌村に中通地蔵尊、烈々布地蔵尊、二十七年に
丘珠村
に丘珠地蔵尊が安置
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の出発と到着)
五月で、六月から開墾に着手したというが、山形県移民は庚午一ノ村(苗穂村)に三六戸一二〇人、庚午二ノ村(
丘珠村
,はもちろん三年の干支が庚午のことに由来しているが、四年五月二十五日に改称され、庚午一ノ村は苗穂村、二ノ村は
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(土地割渡しと家作)
丘珠村
では十二月に家屋が給与されたという(市史 第七巻二六一頁)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(財政支出)
丘珠村
の二十六年、二十八年の臨時費は道路修理費で、このように二十年代は臨時費として処理されていた。,3.
丘珠村
は『
丘珠村
関係資料』、白石村は『白石藩移住後継者団体資料』(道開)、その他は『札幌郡調』(北大図
新札幌市史 第3巻 通史3
(丘珠御料地払下問題)
「予て出願中なりし
丘珠村
御料地は故許士泰氏が明治初年に於て拝借開墾を了したものなるが今回御料地払下規定
新札幌市史 第2巻 通史2
(組頭から村三役へ)
この中で指摘できることは、豊三郎組の組頭であった日田豊三郎(円山村)、徳次組の今野徳次(
丘珠村
)、元右衛門組
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部寺院の創立)
. 18
丘珠村
真宗本願寺派 安楽寺 32. 9 白石村 真宗本願寺派 『北海道毎日新聞
新札幌市史 第2巻 通史2
(長専寺の場合)
しかし、『北海道毎日新聞』には、篠路・
丘珠村
檀信徒総代人によって、大谷派寺院設立願の提出されていることが
新札幌市史 第3巻 通史3
(許士農場の設立)
許士農場の設立 この記事にもあるように、争議の起きたのは札幌村大字
丘珠村
にある許士農場においてであった
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝燕麦村〟)
この事業の計画は三十七年にたてられ、篠路村では三〇〇町歩、札幌村では四六〇町歩(うち大字
丘珠村
が六〇町歩
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
中村英重「移住史研究の課題と『遊説日誌』」『地方史研究』第二一三号、『札幌県治類典』(道文八六八三)、『
丘珠村
資料
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾・営農の推進者たち)
授賞人名調によれば、一等二等三等の五人はすべて有珠郡紋鼈村の出品者であったが、四等賞(賞金一五円)に
丘珠村
許士泰,琴似村大磯寅之助、六等賞に月寒村中山久蔵、苗穂村山口和三郎、円山村金野惣七、上手稲村鈴木信一、内馬場仲政、
丘珠村
安藤彦松,江別村樋口千代吉、山内茂助、雁来村伊藤清次郎、篠路村沢田福松、早山清太郎、札幌村原伝左衛門、小熊善右衛門、
丘珠村
范永吉
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所の設立)
二十二年(真宗本願寺派、区内)、二十三年(浄土宗西山派、平岸村―のち順正寺)、二十四年(真宗本願寺派、
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(学務委員と学区)
、六番(豊平・上白石・平岸村)、七番(白石村)、八番(月寒村)、九番(苗穂・雁来・札幌村)、一〇番(
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(学田)
20.3148 上手稲村西野 苗穂学校 19.0400 苗穂村渡辺豊行隣 丘珠学校 15.6546
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(養蚕施設と桑園)
同年三月早くも
丘珠村
に養蚕室を建て、岩鼻県(群馬県)から教師二人を雇い、陸前・磐城から黄白二種の蚕種を,七年五月
丘珠村
蚕室を廃し、創成通旧本庁内に仮蚕室を設け、女性の志願者に業務を教えた。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 払下手続・地券発行等)
カ年平均一覧表(明治一二年頃) 三一 官費募移の者失踪跡地の件(明治一四年一二月) 三二 札幌郡
丘珠村
耕地小作及抵当景況調
新札幌市史 第3巻 通史3
(臨時村民大会の開催)
そしてこの同じ六月に、
丘珠村
小作人連盟が設立されていることも、このことと一定の関わりがあると思われる。
新札幌市史 第3巻 通史3
(神楽村御料地争議との連動)
したがって、
丘珠村
の信愛会に結集する小作人たちが、横田と堀に争議への支援を依頼したのはその後ということになる
新札幌市史 第2巻 通史2
(亜麻等特約農家)
444.30 11.00 新琴似 330.25 3.50 茨戸 28.35 - 雁来村 60.60 -
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺地域との連絡網の整備)
十五年には篠路村福岡開墾地から里道開削願い、篠路・銭函間道路開削計画、十六年手稲山口村里道開削願い、
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(作物の特産化)
)、じゃがいも、大根、大麦、小麦、大豆、小豆、麻、札幌村はとうもろこしを主とし大麦、小麦、蔬菜、麻、
丘珠村
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【人口】)
第22表 戸数・人口 (琴似村・町) 第23表 戸数・人口 (苗穂村) 第24表 戸数・人口 (
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街と周辺村落との境界)
上白石村各仮境界、十三年豊平・平岸・篠路・山鼻・円山・琴似・発寒・上手稲・下手稲・対雁・札幌・苗穂・
丘珠村
各境界
新札幌市史 第4巻 通史4
(区から部へ)
札幌村は札幌村、苗穂村、
丘珠村
、雁来村の四大字からなり、大正十三年六月二十八日に部長設置規則ができて、,札幌村には元村、中通、新川、烈々布(れつれつぷ)、苗穂村に上苗穂、下苗穂、
丘珠村
に丘珠、雁来村に雁来の
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌紡織所)
札幌では四年から
丘珠村
に蚕室を設け、翌五年四月には座繰糸若干を製造して横浜で販売し、その状況を試している,札幌の開発が進むにつれ、七年五月
丘珠村
の蚕室を旧庁内の一室に移し養蚕所とした。
新札幌市史 第2巻 通史2
(財政収入)
白石村の等級数は少ない方で、これにひきかえ
丘珠村
では二十八年現在、二〇等級に細分化されている。,これは
丘珠村
が農場所有者と小作人など貧富の差が大きかったのに対し、白石村はまだ村内の財産高の懸隔が目立
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民調査と〝定着〟)
つぎに新移のみの農民で形成された丘珠、月寒村をみると、まず
丘珠村
は四年に三〇戸一〇六人がいた。,
丘珠村
は山形県、月寒村は岩手県の同郷者から形成されていただけに、〝共同体意識〟も強く、離村者をつなぎとめる
新札幌市史 第2巻 通史2
(葬儀の慣行)
まず最初に「村規約」として明記されたものを、
丘珠村
を例に紹介する。
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市近郊農村の特性)
明治三十四年頃は札幌・
丘珠村
を中心に一〇〇戸ほどが玉葱栽培を行っていた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝小作村〟)
この他にも札幌村大字
丘珠村
にまたがる以下の農場があった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(信愛会の結成)
前提を形成していたことは、冒頭に引用した四月五日付の『北海タイムス』記事中に、「大正九年中より札幌郡
丘珠村
御料地四十八町歩
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
小熊善右衛門の管掌した四力村では、
丘珠村
が六年二月に安藤彦松、十月に苗穂村が坂野元右衛門、篠路村が瀬川友治
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 農業)
山刀返納(明治一〇年一月一八日) 六五 清国人居所修繕の義に付伺(明治一〇年一月二四日) 六六
丘珠村
清国人居所修繕,逃走(明治一〇年六月五日) 七四 支那人取締詰所御模様替の儀伺(明治一〇年六月二〇日) 七五
丘珠村
支那人居留地
新札幌市史 第2巻 通史2
(蝗害・熊害)
ことに熊は札幌付近にも出没し、十一年一月には円山村と
丘珠村
で三人を死亡させ、二人に重傷を負わせた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人と名望家支配)
大野儀蔵、豊平村の阿部与之助、阿部仁太郎、佐藤珍平、平岸村の中ノ目文平、砂金佐太郎、苗穂村の水森源五郎、
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸数と人口の増加)
その一方では、上手稲・上白石・札幌・
丘珠村
などのように、さほど急激な増加が認められない所もある。
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
篠路村に興産社(社長瀧本五郎)が二五三万五二四五坪、苗穂村に佐藤昌介(札幌農学校教授)が五〇万坪、篠路・
丘珠村
,23,224 道庁技手 14 高橋宗吉 白石村 58,452 5,845 東京府 15 吉村佐太郎
丘珠村
新札幌市史 第4巻 通史4
(産業組合)
豊平町大字月寒村 (27) 大 7. 7. 2 満期 昭 3. 7. 2 (有)丘 珠 信購販 札幌村大字
丘珠村
,、以下同じ)、(有)札幌村第一信販購組合(字苗穂村から字雁来村)、(有)丘珠信販購組合(字元村から字
丘珠村
,の一部)、(有)札幌村烈々布信販購組合(字烈々布の一部から字
丘珠村
の一部)の四組合を合併して、昭和十年十月
新札幌市史 第3巻 通史3
(烈々布青年会と篠路歌舞伎)
したものとして演じられるが、大正六年の「素劇楽天会」(座長花岡義信)旗揚げ以降、烈々布の枠組を越え、
丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(就学の問題)
札幌村 9 32 17 3 20 3 9 12 62.5 85.0 25.0
丘珠村
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