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新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区の公園経営計画)
しかし多大な費用がかかるため、四十三年には予算削減のため
中島公園
の予算だけが区会を通過した(北タイ 明,そしてこの年度は
中島公園
の計画の一割を実施することになった(北タイ 明43・4・14)。,計画実施とともに、中島遊園地は
中島公園
と改称された(札幌区事務報告 自明治四十二年十月至四十三年九月),四十五年には
中島公園
に梅林が植林された(同前 自明治四十四年十月至大正元年九月)。,このように円山公園、
中島公園
、大通逍遙地は明治四十年以降順次整備されていった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(開会の日)
開会の日 大正七年八月一日、午前十時の号砲の合図とともに、第一会場である
中島公園
で盛大に博覧会の開会式,会場は
中島公園
を第一会場とし、北一条西四丁目の第二会場、小樽区第二区埋立地の第三会場の三カ所からなっていた,夜に入って、札幌駅前通から
中島公園
にいたる街路は「電光の装飾」に埋めつくされた。,第二会場はさながら不夜城のような燦爛(さんらん)たる光に照らし出されたばかりか、第一会場の
中島公園
は、,えて行進曲演奏の楽隊とともに約二五〇〇人が札幌区協賛会役員の指導のもと、道庁、札幌駅前通第二会場を経て
中島公園
第一会場正門
新札幌市史 第3巻 通史3
(明治四十年の公園計画方針)
明治四十年の公園計画方針 次に明治四十年に作成された
中島公園
と円山公園の設計方針を掲載する。,〔
中島公園
〕 札幌区
中島公園
設計方針
中島公園
は本区の南端にして地位高燥面積広闊喬木老樹黙々繁茂,し各樹下に露床を散置し公衆に不便なからしむるの方針を以て計画せり(後略) 写真-5 大正初期の
中島公園
新札幌市史 第4巻 通史4
(実現しなかった鉄道計画)
しかし前述のように同区間は北海道(鉱業)鉄道の苗穂~沼ノ端間と競合するため、九年四月第一期線手宮~
中島公園
地,と第二期線
中島公園
地~安平間に分けて免許を受けたいと申請しなおした。,しかし八月
中島公園
地~安平間は、原総理大臣宛の沿線住民からの実現請願も出されたが、「別途免許案経伺ニ係,一方、手宮~
中島公園
地間は四月九日に出願し、五月六日付けで「地方開発并産業振興上有益ナル企業ナルノミナラス
新札幌市史 第4巻 通史4
(公園其他設営調査委員会)
大通逍遙地設営計画書の討議、
中島公園
実地視察(北タイ 大6・7・4)、北海道博覧会に使用された
中島公園
復旧
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和期の公園整備)
九年には、
中島公園
内で旧招魂社跡の改修工事が行われた。,十年、
中島公園
の設営、山鼻公園の設営、清華亭の保存工事が行われた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街地の拡大)
また開拓使時代の工業局の跡地の市街化、豊平川の分流跡地の市街化、
中島公園
予定地の条丁目編入、さらに西方,札幌への区制実施直前である三十一年には、市街は南北は北八条から南七条(現
中島公園
周辺を含む)、東西は東五丁目
新札幌市史 第4巻 通史4
(大正期の公園の整備)
中島公園
、円山公園、大通逍遙地ごとに設営年度を記載すると次のようになる。,
中島公園
は大正三年、八~十一年、円山公園は大正四~十一年、十三年、十五年、大通逍遙地は大正六~七年、九年
新札幌市史 第4巻 通史4
(実現しなかった軌道計画)
この路線は札幌電気軌道会社が申請した
中島公園
北五条間の路線や、北海中央電鉄が申請した
中島公園
小樽市手宮間
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和十二年夏の札幌)
ことに夜の提灯行列では、「オリンピック祝歌」を高らかに歌い、
中島公園
から北大まで行進途中六回も「万歳三唱,札幌では、小樽の道博の向こうを張って七月十五日から
中島公園
を会場に文化振興展を開催、各展示館のなかでも
新札幌市史 第5巻 通史5上
(第九軍団の進駐)
午前十時過ぎ、最初の四台のトラックが北一条から入り、
中島公園
内の北部軍管区司令部に向かった。,昭和二十一年になると、五月に総合運動場、六月に体育会館と
中島公園
水泳場が接収された。,伊藤豊次邸,斉藤甚之助邸,西鷹二邸,古谷邸,笠原邸,札幌鉄道集会所,藻岩山小屋,パン屋,競馬場,円山公園,
中島公園
池,,
中島公園
プール,藻岩スキー場,モータープール 『私たちの証言 北海道終戦史』(毎日新聞社 昭49),
新札幌市史 第4巻 通史4
(水道敷設工事の開始)
事務所は
中島公園
内の農業館内で、初代部長は水道計画の当初から立案設計に当たった栗林始が任命された(北タイ
新札幌市史 第5巻 通史5上
(観光事業の復活と振興)
二十三年二月には、十七年以降途絶えていた
中島公園
の氷上カーニバルが復活し、同年、小学校・新制中学校の修学旅行,二十九年七月十七日から、
中島公園
を中心に第一回さっぽろ夏まつりが開催された。,一方、大通・
中島公園
と並んで円山公園の整備も進んだ。,基点に時計台・北海道大学・同附属植物園・円山公園・札幌神社・大倉シャンツェ・狸小路・すすきの繁華街・
中島公園
等
新札幌市史 第5巻 通史5下
(その他のイベント)
①は六月の北海道神宮の例祭を中心とした祭りであり、都心部の神輿(みこし)・山車(だし)の巡行、
中島公園
新札幌市史 第3巻 通史3
(開幕まで)
会場は
中島公園
の第一会場、北一条西四丁目の第二会場、小樽区第二区埋立地の第三会場の三カ所に決定していたが,写真-20 開道五十年記念北海道博覧会第一会場全図 開道50年記念北海道博覧会は、
中島公園
を第一会場
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市の醜景と遊廓の機能)
としては忽諸に附すべからず」として、道都であり学都である札幌の将来のためにも、都市の中心部から南端である
中島公園
内鴨々水門付近,それによると「薄野遊廓は区の中央部に位し、
中島公園
に通する要路に当るを以て、風紀上并体面上其移転を必要
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌乗合自動車株式会社)
その後札幌乗合自動車株式会社は、五年八月新たに北四西四~札幌村役場前、札幌駅~
中島公園
入口、北一西四~
新札幌市史 第5巻 通史5下
(大規模施設の整備)
札幌駅南口広場整備(平12)、札幌駅北口八・三複合施設(平15)、公園では大通公園整備事業(平元~6)、
中島公園
整備事業
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌区内のガス供給区域)
西六丁目間、南五条通西一~六丁目間、南二条通東二~四丁目間、東二丁目通南一~三条間、西四丁目通南六条~
中島公園
内
新札幌市史 第4巻 通史4
(警防的活動)
このうち婦人演習は、九月七日、八日とがあり、七日は予行演習で一七人が出席、八日は「大詔奉戴日」にあたり
中島公園
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画街路)
広路 7 白石平岸通 白石村大字上白石村 精進橋東詰 55m 1 3 1 札幌駅前通 札幌駅前
中島公園
北口,28.5m 1 3 12 大学石山通 北7条西11丁目 西15丁目通終点 25m 1 3 13 公園通
中島公園
西口,都市計画区域界 20m 2 1 20 烈々布小学校通 大学前通屈曲点 都市計画区域界 20m 2 1 21
中島公園
東通
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌招魂社と札幌護国神社)
札幌招魂社と札幌護国神社
中島公園
内には札幌聯隊区内の戦死者を慰霊する忠魂碑があり、忠魂碑保存会、祭典区,札幌招魂社の創立後は忠魂碑前に仮設の拝殿を造り、十二年から八月十五日に忠魂祭が行われてきたが、
中島公園
内
新札幌市史 第3巻 通史3
(左側通行)
それに札幌駅と
中島公園
間等に電車が開通し、さらに人力車、馬車が往来し、札幌警察署でも交通取締上なんらかの
新札幌市史 第5巻 通史5下
(天理教の動向)
また、札幌まつりの期間中、
中島公園
内の清掃も三十五年以来なされていた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(市民会館の建設)
新しいホールについては、大通西一丁目で、豊平館を残しながらの建設案も示されたが、結局豊平館は
中島公園
に
新札幌市史 第5巻 通史5上
(GHQの検閲)
新聞は北海道新聞社(大通西3)、放送及び出版関係はNHK札幌中央放送局(
中島公園
内)、通信・手紙類は北四条西五丁目
新札幌市史 第3巻 通史3
(招魂祭・忠魂祭)
しかし実際に
中島公園
競馬場内に移転するのは、日露戦後の四十年八月一日の招魂祭をもってである。,この
中島公園
の「忠魂碑の英霊」としては、明治十年西南戦争戦病死者準陸軍軍曹の佐藤一蔵ほか三六人、日清戦争戦死者屯田陸軍歩兵中尉
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画係の公園関係事業)
各公園とは実際にどこを指すのか明確でないが、おそらく大通公園、
中島公園
、円山公園など明治期に設定された
新札幌市史 第3巻 通史3
(さまざまな問題)
一番目の道路交通の問題は、まず札幌駅と第一会場の
中島公園
へ来観者を輸送する手段として、札幌電気軌道株式会社,それは札幌駅前と大通間の両側に二六基の装飾電灯を施し、さらに第一会場の
中島公園
にいたる間を各種装飾で壮麗
新札幌市史 第5巻 通史5下
(道立文学館と道立文書館)
道では平成二年に文学館設置検討委員会がおかれ、北海道立文学館の設置をみることとなり、場所も四年二月に
中島公園
内
新札幌市史 第4巻 通史4
(太平洋戦争)
(三)九月二十八日、アッツ島玉砕勇士山崎部隊長以下ノ英霊ハ、月寒北部軍司令部出発
中島公園
祭場ニ奉移セラルルニ,(四)九月二十九日、
中島公園
祭場ニ於テ北部軍主催ヲ以テ、アッツ島玉砕勇士故山崎中将以下二千五百五十三柱
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道鉄道札幌線(苗穂沼ノ端間))
この申請は九年八月、競願社の北海道中央電鉄の
中島公園
地~安平村間の計画を押さえて許可された(北海道鉄道百年史
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の職業婦人)
また、この年
中島公園
を中心に行われた開道五〇年記念北海道博覧会に「女看守人」(コンパニオンの前身か)が
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道博覧会と仏教界)
そして札幌でも開道五〇年記念の大博覧会が第一会場の
中島公園
を中心に、八月一日から九月十九日までの五〇日間
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平館と札幌郵便局)
市民会館の新築にともない札幌市は昭和三十年に、豊平館を大通西一丁目より
中島公園
へ移転することを決定していた
新札幌市史 第3巻 通史3
(和装から洋装へ)
十年に
中島公園
を会場に開催された生活改善展覧会でも洋装化が叫ばれたが、どちらかというと子供服の洋装化の
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開催決定と準備)
大会の会期は十五年二月三日から十四日までとされ、ボブスレーのコースを神社山、スケート競技場を
中島公園
、
新札幌市史 第4巻 通史4
(出征と凱旋)
防空へ日本国民の関心を誘うために、防空演習の前年、すなわち九年二月二十七日より三月三日まで、
中島公園
農業館
新札幌市史 第5巻 通史5上
(学校設備の充実)
三十年代に入っても、市内で子供が自由に泳げるプールは
中島公園
の市営プールだけであった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(黒百合会の美術活動)
昭和二年六月八日より二十三日まで、
中島公園
農業館で日仏芸術社と黒百合会が共催する第一回フランス美術展が,昭和五年五月二十三日から六月五日までの、第二回フランス美術展(
中島公園
農業館)では、ヴァン・ドンケン、
新札幌市史 第4巻 通史4
(天理教)
十九日に「ひのきしんデー」を設定して社会奉仕に力を尽くしていくが、北海道教友会札幌支部では、この年に
中島公園
新札幌市史 第5巻 通史5上
(道展の分裂と改組)
道展の分裂と改組 北海道美術協会は大正十四年(一九二五)に結成され、十月五日から十八日まで、
中島公園
内
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道美術館建設期成会)
だけではなく、講習や講演、研究会などの教育的役割をも果たす、多面的な美術活動の場とすること、建設地は
中島公園
内
新札幌市史 第4巻 通史4
(婦人見学団)
200 工業試験場・農事試験場(琴似),吉田ダリア園 10 15.10. 1 200 北海道美術展覧会(
中島公園
新札幌市史 第5巻 通史5下
(山車行列と露店)
もう一つのまつり人気の露店は、三十七年から創成川沿いより
中島公園
へ移転していた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平・弥彦・諏訪神社)
昭和二年五月十四日に郷社への社格昇進を申請したが、境内地六〇〇坪は
中島公園
内の市有地であり、神社地として
新札幌市史 第4巻 通史4
(火災予防組合)
翌三年から五月十日を全道「火防デー」と決め、同年十一月には、火防展覧会を
中島公園
で開催、一般から募集した
新札幌市史 第5巻 通史5上
(重要文化財の指定)
八窓庵は二十五年に長沢家の所有となるが、四十六年七月二十七日に札幌市へ寄贈され、同年九月十五日に現在地の
中島公園
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市内の神社)
10 札幌村神社 東区北16東14 明34 無格社 9月 5日 昭46 昭46 弥彦神社 中央区
中島公園
新札幌市史 第4巻 通史4
(旧庁舎)
これにともない隣接する道庁拓殖部長官舎敷地を
中島公園
にある市有地と交換して、あわせて一五一二坪余の新庁舎敷地
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